04/08の日記

21:07
建立せよ、学問所。 創作歴史 宍戸就年。
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「この三丘の地で士民教育を徹底すべきではなかろうか?」

家臣の前で、高らかに宣言したのは、三丘領主・宍戸家の第八代目当主・宍戸就年である。
就年は日頃から教育に関して熱心な方である。
士民たちの教育を徹底せよというのは、むしろ就年なら、いついってもおかしくない内容であった。

「士民たちの学問を強化…でございますか?」

部下が尋ねると、就年は首を縦に振る。

「左様。今の時代は武力よりも頭脳だ。力があっても、智がないものは使い物にならぬと私は思う」
「しかし、そのようなことができる建物がございません!」
「は…?」
「多くの人を集めて講義するような場など、この三丘の地にはありませぬ!」

家臣のその答えに、就年は眉間にシワを寄せると、わざとらしくため息をついてみせた。

「そなたたちはバカか?」
「はい?」
「なければ、作ればよいだけのこと」
「な、就年様!?」
「誰ぞ、三丘の地で広い建物を作れる土地があるか知る者はおらぬか?」

就年のその質問に、数名の者が集まり、候補の地をいっていく。
就年はその場所を聞くと、真剣にそこにはなにがあるか、なにが近いか、なにが不便でなにが便利か聞いていった。
あまりの細かさに、部下の一人が就年に尋ねた。

「就年様は先ほどから土地のことを聞かれておりますが…いったいそこに何をお建てになるおつもりですか?」

その部下の問いに就年はさらりと答えをいう。

「士民が平等に学問を学べるところを作るつもりだ。名前ももう決めてある」
「な…なんと!それはまことでしょうか?」
「私は嘘はつかぬ。学びたいものが自由に学べるところを作る!その名も…」
「その名も?」
「徳を修める館と書いて徳修館だ。私が作ろうとしている学舎にふさわしい名前と思わぬか?」
「徳修館…素晴らしい考えだと思います!」
「では、みなのもの…その我が理想の学舎を作るために協力してくれるな?」
「はい、就年様」

部下たちのその答えに就年は満面の笑みを浮かべた。

「その言葉、期待してるぞ」




こうして就年の命できた徳修館は、一度建て替えられ、61年間も続き、維新前には生徒数は402名ほどいたという…
しかし、維新の大改革のため1870年の10月1日…
徳修館は閉鎖をすることになり、領主、家臣、生徒一同が集まり、徳修館の解散式を行い、徳修館の61年の歴史に幕を閉じた。
しかし、徳修館を解散したのちも、その伝統は地元の学校に今も受け継がれているという…

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