捧げます。

□理由なんていらないのに
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よし、これで帰れる。そう思いながら窓を見ると、日が落ちはじめていることに気が付いた。
どうやら、さっきの人権学習で観た映画の感想を書き終わるまで長い時間を費やしたらしい。
映画がはじまる前は寝ようかと思っていたけれど、いざはじまると引き込まれてしまい、終盤はひとり泣きながら映画を見ていた。
隣の霧ヶ峰…じゃなかった、竜ヶ峰くんの視線が痛かったのを覚えている。
先生が用意した横書きの10行程度の感想を書く紙は、びっしりと字が詰め込まれていた。これは私が書いた感想だけど、これだけじゃ足りなかった。
こんな10行程度であの映画の感想を書けるわけないじゃない。裏にも書いたけど、それでも足りなかった。
最終的にはルーズリーフから紙を千切ってそれに表も裏も使ってやっと足りて、書き終わった後も誤字脱字がないか確認して、今に至る。
周りを見ると、私を除いてこの教室にいるのは杏里ちゃんだけだった。杏里ちゃんも、私みたいにこってり書いてるのかな。
杏里ちゃんは右手にシャーペンを持っているけれど、その手は止まっていた。何書くか詰まってるのかな…?と思った頃には、私は彼女の席まで歩み寄り、言葉を紡いでいた。


「杏里ちゃん、書けた?」

「…いえ、何も………」

何も?帰りのHRを済ませてから担任が配ってからはじまってからもう一時間以上経っている。
感想の紙を教卓に提出したら帰っていいと言ってから教室を出た担任の先生は一度も帰ってきていない。
クラスメイトも適当に書いたのか、みんな教卓に紙を提出して帰っていった。
そう言えば杏里ちゃんと仲良しで同じクラス委員を務める竜ヶ峰くんは、杏里ちゃんに外せない用事があるから先に帰るね。と、テンパリながらしどろもどろに言っていた気がする。
ふいに、杏里ちゃんの紙を見てみると、それは渡された時と同じくらいに真っ白だった。消しゴムの跡もなく、それは杏里ちゃんの言葉通り、何も書いていない状態だった。


「もしかして杏里ちゃん、寝てた?」

「いえ、ずっと観てました。」


そうだよね。杏里ちゃんに限ってそれは無いよねぇ。と心の中で思っていると、杏里ちゃんの小さな唇は言葉を紡ぎ始めた。


「ずっと観ていたのに、何も、浮かんでこないんです。」

「・・・?」

杏里ちゃんは頭を俯かせ、眼鏡の向こうにある大きな目を少し細め、小さな唇はほんの少しだけ笑っていた。
さっき観た映画は、クラスメイトとの友情や先生との絆、異性の生徒とのほんの少しの恋愛描写のある感動物語だった。
感想を文章で表すのが苦手な友達を知っているけれど、杏里ちゃんがその子みたいに苦手だとは思えなかった。もっと、杏里ちゃんには私が計り知れない理由があると思う。
未だ笑っている杏里ちゃんの憂いの表情は、窓の外から入り込んでいる夕焼けの色に染まり、より一層美しさを際立たせていた。


「私、普通の人よりも、いろいろなものが欠けてるんです。」


そう一言、杏里ちゃんは零す。その言葉に私は一瞬だけ、息が止まってしまった。


「・・・杏里ちゃん、」

「はい?」


名前を呼ぶと、きょとんと私を見る杏里ちゃんに一瞬どきっとしてしまう。
杏里ちゃんは誰よりも綺麗で、人をやんわりと拒絶しているような雰囲気を持っているけれど、私の中で杏里ちゃんは何処にでもいるような普通の女の子で、しっかりしたクラス委員の子だった。
たとえ杏里ちゃんに誰にも明かせない秘密があったとしても、杏里ちゃんが杏里ちゃんであることは変わりない。


「感想、書いてもいい?」

「え…」

「あの先生、生徒の字なんてロクに覚えてないから、大丈夫だよ。」

「そんな…!悪いです…!」

「悪いことなんてないよ。私、杏里ちゃんを残して帰る方が、気を悪くなっちゃう。だから、私に書かせて?…ね?」


そう訊くと、杏里ちゃんは弱々しくはい…。と言ってくれた。



私の書いた紙には裏にもびっしりと書き、ルーズリーフにも書いたけれど、杏里ちゃんの紙には7行そこそこに書いて提出した時、ずっと黙っていた杏里ちゃんは私の名前を呼んだ。


「?…どうしたの?」

「ありがとうございました。・・・それと、ごめんなさい。」


私にお辞儀をした杏里ちゃんのその動作は、今まで私の見てきたお辞儀の中で一番綺麗だったと思う。


「あ…気にしないでいいからね…。ただのお節介だし、杏里ちゃん残して帰るのが嫌だったから…って理由なんてどーでもいいよね。」

「え?」

「…うん。理由なんてどーでもいいし、そう大事じゃないよ。・・・杏里ちゃんはさ、もし困ってる人がいたら力になろうと頑張るよね。…それに理由はいらないよ。」


私は杏里ちゃんをひとり残して帰るのが嫌だと、杏里ちゃんに言ったけれど、それは後付けに違いないし、理由でもなかった。私の行動に、理由は無かった。


「私がしたことはそれと同じだから、杏里ちゃんは気にしなくていいんだよ」


そう言うと、杏里ちゃんは瞳を大きく開いた後、優しく笑ってくれた。そんな杏里ちゃんに帰ろう。と言うと、杏里ちゃんもはい。と返してくれた。
教室を出ると、外は夕闇の景色で、夕陽はほとんど落ち、杏里ちゃんとゆっくり帰れないことを残念に思った。



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企画『あの子はきれいです』様へ提出しました。
参加させていただきありがとうございました。


11/06/12 七川

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