宝物部屋

□やさしいひと
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巡回中の街に、見間違えようのない姿を見つけて、近藤は足を止めた。

いつもならこの時点で駆け寄って話しかけて、そして殴られているところだ(そこまでが挨拶である)。けれども今は、逃げ出したくて、でも目があってしまって、仕方なく歩み寄る。顔に貼り付けた笑顔がひきつっていないことを、近藤はただ祈った。

(我ながら自分勝手だ)

機嫌の良し悪しで大好きな人にまで態度を変える未熟さに、このところ馴染みとなった痛みがまた胃でしくりと疼いた。

「お妙さん!」
「あら、近藤さん」

近藤と書いてゴリラと呼んだお妙は、相変わらず完璧な笑顔を薄い化粧に上乗せして、大人しく挨拶をした。

「いやあ、偶然ですね!運命かな!」
「悪い方のね。…随分とお久しぶりで」

瞬間凍える背筋に近藤は冷や汗を隠して笑った。

(バレているのだろうか)

このところ、近藤がお妙を避けていること。

「最近仕事がゴタついてましてね。お店に顔出せなくてすみません!」

これは本当だった。
春先に起こった内紛の後始末。
やっと戦死者の葬式の四十九日を済ませ、新隊士の補充を行い、失った信用を取り戻す為に、少ない人員で今まで以上の働きを見せようと日夜飛び回る日々。
とてもキャバクラ通いなどする暇はない。
けれども妙を前にして近藤を後ろめたくさせるのは、近藤自身の気持ちだ。

足が、どうしても向かない。
お妙の方に。

近藤を嫌うお妙にとっては好都合なのだから、堂々としていればいいのに。
キャバクラの払いの謝罪だって、お妙にしたら社交辞令の内であるのに、近藤は気まずくて、結果お妙を避けている。

「今日もお綺麗だなぁ!」
「セクハラです」
「えぇっ!何でですか!」

大袈裟に驚いて見せて、誤魔化すようにアハハと笑って、近藤はこれ以上無理だと思った。

「それでは、お買い物途中にお邪魔しました!本当は荷物をお持ちして家までお送りしたいところですが…」
「結構ですストーカー」

妙は顔色を変えない。いつも通り他人に感情を読ませない完璧な笑顔で、すげなく返事をかえす。
いつものことだ。
二人の間では慣れた挨拶だった。

「はは、手厳しいな。それでは、お気をつけて。失礼します!」

(いつも通りだっただろうか。もっといつもは食いつくだろうか、自分は)

近藤は、けれど、一礼をして妙に背中を向けた。

(もう、無理だ)

もうこれ以上、この人の前で笑えない。

瞬間、名前を呼ばれた。



「近藤さん」

反射的に振り返った近藤の襟をつかんで妙は、思いっきり近藤を殴り飛ばした。

「おごォ!」

軽く三メートルばかり吹っ飛んで、近藤は呆気にとられて妙を見上げた。
道行く一般人が何事かと遠巻きに二人を見て通りすぎてゆく。

「な、なになさるんですかァァァ!」
「いえ、ちょっと」

近藤の当然の抗議を一言で流し、妙は三メートルの距離を詰めた。
近藤は慌てて立ち上がり、ニ、三歩後退るが、妙はそれを許さなかった。再び隊服の襟を捕まえて、近藤を引き寄せ、睨みつける。
近藤は訳が分からないが、殴られるなら妙の気が済むまで殴られてしまおうと思った。

(なんでもいいから、早くここから離れたい。このひとの視線から)

覚悟を決めて目を閉じた近藤に、しかし二発目の衝撃は襲って来なかった。

「目を開けなさい」

妙の硬い声に、近藤は緊張するが、言うことは聞かなかった。

「開けなさい」

(無理だ。無理です)

「開けなさいったら!」

焦れたような声があんまり必死だったから、近藤は驚いて目を開けた。
そしてそのとたんに、涙がボロリと溢れて、近藤の赤く腫れた頬を伝った。

目を開けた先の妙の顔は、思ったより近くにあった。
妙はなんだか酷く怒った顔をして、けれど近藤の涙に驚いた様子を見せず、こうなることを見透かされていたのだ、と、近藤は理解した。

「あぁ、畜生。勘弁してくださいよ」

瞬きすらせずに此方を見つめる妙に、近藤の喉の奥から情けない声が出た。

ずうっと堪えていた。
あの時、妖刀にとりつかれながらも自分を助けに来た親友にさとされてから、事が終わっても、葬式が終わっても、自室に戻ってからも心から緊張を解くことが出来なかった。
背負ったものが重すぎて、それには自分があまりに卑小に過ぎて。

恐ろしかった。

好きな人に会うことすら、罪悪のように感じて。

なぜ、ここでそれを。
他でなくこのひとの前で。

「お妙さん」

顔を反らそうにも、襟を掴まれていて叶わない。手で顔を覆おうにも、妙の体が近すぎて出来ない。

涙は、止まらない。

「勘弁してください。お妙さん。俺に格好をつけさせてください」

放してくれと暗に言うが、妙は依然として隊服の襟をつかんだまま、近藤の顔を睨み付けている。

「あなたが」
「あなたが私の前でまともに格好つけたことなんてこれまで一度だってありません」

そう言ってぎゅっと力の込もった、小さな手が暖かかった。



往来で大きな男が泣いている。
若い娘に苛められて泣いている。
情けねぇなと通りすがりの男は顔をしかめ、あらいやだと通りすがりの女は笑った。

ひでぇ女だ。男をなんだと思ってる。
こんな往来で男に恥をかかせて、と。通りすがりの老人は毒吐いた。
信じられない、恰好悪い。
私なら一緒にいるのも御免だわ、と。通りすがりの若い女はつぶやいて足を速めた。

泣く男はけれど、娘を叱らない。
こんな往来で恥をかいて、けれども男は娘のなすがままだ。

みっともない男を、けれども娘は放り出さない。
こんな往来で、男より娘のほうが余程恥ずかしいだろうに、娘は動かない。
ずっと襟首を掴んだまま、じいっと男を睨み付けている。
慰めるでもなく叱るでもなく、ただそこに立つ。

男は、泣いている。



「あなたはずっと」
「最初から恰好悪かったじゃないですか」
「今更隠れたってもう遅いんです」

しばらく黙った後に、やっぱり怒ったみたいに、妙が言った。

最後に鼻水をずずっとすすって、
「ですかね」

近藤はなんだか随分と久しぶりに、ニヤッと笑った。


end
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