短編小説

□*6月の大気*
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「ごめん……。君のことが好きだったけど、すまない」

傘の柄をしっかりと握りしめて、君はポツリと言った。
僕は聞こえないフリをしたくて、空を見上げる。

……ああ、なんでこんな話をするときに限って、雨なんか降るんだよ、まったく。
似合いすぎて、都合がよすぎて、まるで下手なドラマみたいだ。

「好きだった」って何だよ?
どういう意味だよ?

やっと聞いた君からの「好き」という言葉が、過去形の最後の言葉なんて、いったいどういう皮肉なんだよ?

運命とかいうヤツを呪っちゃいそうだ。


君の傘を持つ手が小さく震えているのが分かった。
どうして、君が頑なに顔を上げないのかも分かった。
こんな卒業が近い雨の日を選んで、君が僕を呼び出したのも分かった。

もうかなしくて、すべてが、かなしくて、どうにかなりそうだ。

6月はちっともキレイな季節じゃない。
6月は幸せな季節じゃない。
雨の中のアジサイを僕は睨みつける。
僕たちのこれからの別れていく運命を睨みつける。
このどうしょうもない世界を睨みつける。


―――幸せだったのはいつ?

―――あの輝くようだった季節はいつだったのか?


もうすぐしたら、このベンチの後ろにあるアーチに絡まっている野ばらの蕾が、一斉に開くだろう。
7月の青く澄んだ空に向かってローズピンクの花は咲き、甘い香りが漂っても、この場所に僕たちはいない。

―――どこにもいない。

僕たちが出会い、笑いあったこの場所に、もう僕たちはいない。
お互いがそれぞれ別の場所にいて、別々に暮らしているんだ。

そう思っただけで堪らず、持っていた傘を手放すと君に抱きついた。
弾みで君の手から離れた傘も、風に舞うようにゆっくりと揺れて、ぬかるんだ水溜りに落ちていく。

驚いたように見上げる君の瞳は濡れてなくて、そこに君の決意の深さを知る。

「いやだ……。僕はイヤだ。絶対にいやだ」
まるで駄々をこねるように否定の言葉を繰り返した。
「――イヤだ……」
抱きしめると君も同じように抱きしめ返してくる。

そして言った。
「ごめん……」と―――

「謝らないでよ、お願いだから」
僕は傷つき悲痛な声を上げて、君の胸元で叫ぶ。
雨粒が自分のほほをいく筋も伝い落ちていく。
「ごめん」
また君が言って、僕は首を横に何度も振った。
悲しみで胸はつぶれそうになり、涙が溢れて、そのほほに雨の滴が混じって流れていく。

―――なぜ君がこの雨の日に別れを告げたのか本当の意味を知った。

「……最後の最後で、僕に優しくするなんてひどいよ。嫌味で皮肉屋の負けず嫌いの君でなきゃ、僕はイヤだよ。優しくなんかしないでよ」

『君がもっとやさしかったらいいのに』と思っていたけれど、実際に訪れた憧れの瞬間が今だなんて……

「……君は僕のことを忘れるの?」
君は僕の耳元に顔を寄せるとぎゅっと抱きしめながら囁く。

「忘れないさ。忘れる訳ないだろ。君は僕の大切なものだ」
「ひどいな……。こんな悲しい場面で、そんな嬉しいことを言うなんて」

問い詰めるとまた君は「ゴメン」と謝った。
どんなに言葉で挑発しても、昔のように君は突っかかってこない。

「僕といっしょにどこか遠くに逃げることは出来ないの?僕もみんな捨てるから、君もいっしょに……」
君はただ首を振る。

「無理だ。僕たちはもう何も分からない訳じゃないんだし、自分の立場や責任をちゃんと理解しているんだろ?それを捨てるなんて、無責任なことは出来ない。お互いに子どもじゃないんだ」

君の言葉は正論すぎて、僕は俯き黙り込んでしまった。



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