似非近未来? パラレル。
苦手な方はブラウザバックを。







ぽたん。
濡れた髪の先から丸い滴が落ちる。
深い沈黙に支配された浴槽にその音はやけに大きく広がった。
ぴたん。
いつの間にか、こんな習慣が当たり前になってしまった。
人間と同じように、体を清める行為など新陳代謝のない自分には不要なのに。

俺は、文明が行き着く所までに発展した世界に気紛れに造られた機械だ。
見た目ばかり人間そっくりな、アンドロイド。
用途は様々で、俺の場合は他の仲間達とは少し違う使い方をされていた。
使い方、という表現は当てはまらないような気もする。今でも彼が何故、俺を購入したのか、よくわからない。
幾通りも思考を繰り返し、いろんな結論を導き出したけれどそのどれもがしっくりこない。……兎に角、俺のマスターは非常に風変わりな人だった。

まず、マスターは開口一番に「何もしなくていい」と言った。正確には、自分は何も命令しないから、お前がやりたいと思ったことをしろ、だった。
意味が分からなかった。
俺達アンドロイドの存在理由は人間の言うとおりに稼働しなさい、なのだから。「もう一度命令を」俺がそう言うとマスターは頭を掻いて、眉を下げる。それから小さくぽつんと「……一目惚れしたんだ。お前に」頬を赤くして呟いた。
もう、何度も再生している記録。
マスターと長い間過ごして、ようやくあの時の表情は、『はにかんでいる状態』なのだと学んだ。

マスターは料理が苦手だった。それなのによく一緒にキッチンに並んだ。マスターは塩と砂糖を間違えるものだから大変だった。お酢とみりんもよく間違えていた。苦手なら手を出さなければいいのに。全くもって非効率だ。俺は、自分だけで調理するなら半分の時間で料理を提供できる、と何度か進言したりもした。
何故かは分からないけれど、そんな時マスターは、俺を見て嬉しそうに清潔な白い歯を出して笑うのだ。とても、人間らしい、と。

人間らしい、と零すマスターは嬉しそうだった。機械はただの機械であって、人間ではないのに。人間らしい、と笑うのだ。
俺はマスターの笑顔を見る度に、原因不明の痛みに襲われた。回路が焼き切れるようなそれは故障の前兆だと、自主的にメンテナンスを受けた。

結果は、異常無しだったけれどギリギリと関節が軋むような、それでいて例えようのない不可解な現象の心地よさに戸惑った。

ある日、マスターの知人が俺を指差して「どんどん、似てくる」と言った。
どうやら俺は、口調や振る舞いがマスターに似てきているらしかった。
マスターはやっぱり、その時も俺を不思議な場所に連れていくような顔で笑っていた。

ぴとん。
前髪から、すっかり冷えてしまった水滴が落ちる。
俺は、膨大になってしまったマスターとの記録の海から思考を遮断する。

風呂に入る必要のない俺に、マスターは入るように促した。確かに俺達アンドロイドはあらゆるニーズに応える為に、頑丈に造られている。だから、湯に浸るくらいはなんでもない。でも何故? 疑問だった。何故マスターは、人間にとって必要だけれど、俺にとっては必要のない行為を勧めるのだろうか? ……いくら考えても、答えは、もう分からない。

つい先日、人間の平均寿命よりも若いマスターは死亡したのだから。
病死だった。

多くの参列者。真っ白な百合が棺桶を埋め尽くす。雑音のように、ただひたすらに俺を不快にさせる人々の慟哭の中、マスターの知人は俺を見て力無く嘲笑した。

やはり、機械は機械でしかないと。

気がついたら、俺はその人間を殴っていた。それはアンドロイドである俺の存在を放棄する行為だった。今でも何故、自分があんな大それたことをした。人間を、何故。分からない。ああ、胸が痛い。

ぽたん。
あの知人は、俺を不問にすると言った。それから俺を引き取りたいとも。
普通なら、その申し出に感謝し、尽くすのだろう。でも俺は、それを断った。
……仕えるべき人間のいないアンドロイドは、破棄される。
それでもいい。俺の仕えるべきマスターは、もう、いないのだから。


マスター。あなたが本当は何を望み、何をさせたかったのか、分からない。俺は、機械だから。
だけどもしも、俺が人間だったら少しは理解することが出来たんだろうか?
もしも、あなたと同じ生き物だったならこのギシギシと痛い胸の原因を知ることは、出来たんだろうか?


目を閉じて、いつかマスターに見せてもらった写真のように丸くなる。生温い水に沈むと、俺を呼ぶ声がする。

「……柊一」

聞こえるはずもない優しい音色。
きっと蓄積されたメモリーが無意識に呼び起こされているだけだろう。
ああ、あなたに会いたい。
二度と増えない記録など、見たくない。

もう、眠ろう。マスターが生きていた頃よりも深く。消費エネルギーを限りなくゼロにして。実質上の機能停止。
こうしていると、人間の胎児みたいだ。
自分は機械でしかないのに、そんな真似ごとをするのが可笑しかった。

「お休み。輝」

一度も呼んだことのないマスターの名前を呟いて、俺は。


20081019
『いま胎児に還る/joy』

北輝?
北輝です。
アンドロイドは輝と思わせて北見です。少しでも、このアンドロイドはどっちだ? と悩んでくださったのなら、幸いです。色々と無理がある話ですみません。





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