◆キリ番の作品
□一万Hit記念部屋
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一万Hit記念
■焼きいも 1
元ネタはブリーフ&トランクスの「石焼イモ」
◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇
――16歳
星が降りそうな夜。木々が風でざわめく公園で、肩を寄せ合い歩いた。
冷たい風に擦り合わせる手を絡めて、コートのポケットにつっこむ。
小さな冷たい手を、ポケットの中でにぎりしめた。
嬉しそうに笑って、肩に頭を寄り掛からせるから、髪の毛の甘い香を意識しないでいるなんて無理。
以前に比べたら、随分自分に素直になったと思う。それでも、気持ちをうまく言葉に出来なくて、それでも彼女はわかってくれたから、それに甘えてた。
彼女は、待っている。待っていてくれる。意気地無しの自分の言葉を。自分が行動を起こすのを。
緊張の為に乾いた唇を湿らせて、何か言おうと口を開き、結局何も言えずに口を閉ざす。
なら、行動で示すのは?
「?」
不意に足を止めれば、彼女も足を止める。きょとんと見上げる先に、思い詰めたような、少年の熱っぽい瞳を見つけて、少女は一瞬赤くなり、それからそ、っと目を閉じた。
吸い寄せられるように、少年も目を閉じて、二人の顔が近付く。
「いーしやーきいも〜、やーきいも」
今しも唇が触れようとしていた二人は、ぱちりと目を開き、弾かれたように離れた。もう、寄り添い熱を分け合わなくても寒くない。湯気が出そうなほど真っ赤だ。
「いーしやーきいもー、おいしーいおいもだよー」
おじさんの独特の節に載せて、焼きイモの甘い香も漂ってくる。
真っ赤に茹で上がって、もじもじしている彼女の後ろ頭に向かって、彼は小さく溜息をついた。
「買って帰るか。お前好きだろ?」
「な、なんで決め付けるのよぅ」
「なら、嫌いか?」
「ききき嫌いじゃないけど」
くすりと、いつもより何倍も優しく笑って、彼は彼女に手を差し延べる。
「…え?」
「え、じゃなくて、手」
怖ず怖ずと差し出された小さな手を取って、引き寄せる。
「おいかけるぞ!」
大人びた表情をしている事の多い彼が、歳相応の、否更に少年めいた光を瞳に閃かせた。
吊られたように彼女も幼い笑みを煌めかせ、元気よく頷く。
「よし!」
降り出しそうな満点の星空。白い息を弾ませながら、二人は焼きイモ屋台を追いかけた。
それはまだ、二人が幼い恋を胸に抱き始めたばかりの、16歳の夜。
◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇
――18歳
ごたごたがすべて片付いて、欠席していた分の課題だけが大量に残された冬。課題の後には期末テストが控えていて、これが終わるまでは気の休まる日はなかった。
救いだったのは、出されていた課題がそのままテストの出題範囲だったこと。必然的に効率的なテスト勉強になったのは、おそらく教科担当教師陣の温情による。
結果、過去最高なんじゃないかというくらいの(彼等にしてみれば)結果を得ることが出来た。
テスト中、家事を放置していたであろう俊の現状を見兼ねて、冬休み初日のこの日、蘭世が俊の部屋に来ていた。
俊がこのアパートに引っ越してから半年余り。玄関先までなら入ったことはあるが、彼の寝室兼居間兼茶の間、つまりは生活スペースの敷居を跨ぐのは今日が初めてである。
年末であることもあり、ついでに大掃除をしてこいと、母椎羅には大荷物を持たされた。奇しくもクリスマスイブ。父望里は優しく微笑んで、遅くなっても構わないと言ってくれた。
朝から始めた大掃除は、簡単な昼食を挟んで夕方近くまでに及んだ。狭いアパートながら、俊が不精だったのか、もともと汚れていたのか、蘭世の納得いく状態になるまでにはなかなか時間がかかったのである。
一息ついて、綺麗に磨きあげられた室内を満足そうに見渡す蘭世に、俊がひょっこり顔だけ覗かせた。
「風呂、涌かしたぞ」
「え? えええっ?」
「そんなに驚かんでも…」
「だだだって…」
「絶対全身に洗剤とか飛び散ってるぞ。汗もかいたし、埃まみれで気持ち悪いだろ?」
実際子供の頃、大掃除の後には風呂に入れられた記憶がある。だからそういうものなのだと、なんの疑いも持たずに浴槽に湯を張ったのだ。他意は全くない。無かったのだが…
風呂に入る、という行為が何を意味するのか、蘭世が何を思って躊躇しているのかに思い至って、俊もまた狼狽する。
「おれんちは、そうだったから、変な事言って、すまん。いやでもマジ、風呂には入ったほうがいいだろ。暫くおれ外行ってるから、お前風呂使えよ。タオルとか、適当に使っていいから」
「あ…」
じゃ! と出ていこうとする俊の背中に何か言おうと口を開いたものの、結局何をいえばいいのかわからずに蘭世は口をつぐんだ。
「うん?」
「うううん。じゃ、お言葉に甘えちゃうね」
「おう。鍵かけてくから」
「うん」
呼び止められたことで、俊も自分が緊張していることがわかった。自分を戒めるように、わざと冗談を口にする。
「覗いたりしないから、ちゃんとあったまれよ」
「あああ当たり前ですっ」
真っ赤になった蘭世の抗議から、俊は「ははは」と笑いながら逃げ出した。
小さく音を立てて玄関が閉じて鍵がかけられるのを待ってから、蘭世は溜息とともに「もう」と一人ごちる。真っ赤な頬を両手で押さえてしばし、心臓が落ち着くのを待つ。
(真壁くんはただ、洗剤とか埃とか落とせって言っただけよ。ただそれだけそれだけそれだけ)
心の中で暗示をかけるように繰り返す。それから「よしっ」と気合いを入れて、脱衣所兼洗面所でエプロンや三角巾を洗濯機に放り込んだ。
(そういえば…)
母が持たせてくれた荷物の中に、お掃除ルック一式の他にも衣類があったような気がする。
予想を違わず、否、予想以上に充実した荷物に、蘭世は恥ずかしさを覚えるより先に呆れた。
「おかあさんたらぁ…」
母は何を考えてこの荷物を詰めたのだろう。父は母の意図を知っていたのだろうか。
そういえば、と、送り出した時の父の表情を思い出す。
いつものように優しく微笑んでいた父だったが、なんだか少し、寂しそうではなかったか?
(…あ)
ならば父は全て納得して、自分を送り出したのだ。今日は遅くなって構わない。その言葉を、父はどんな思いで口にしたのだろうか。
「おとうさん…」
まだお嫁に行くわけでもないのに、一抹の寂しさが胸を掠めてじんわり涙が込み上げてくる。
朝うちを出て来た時は、「あわよくば初お泊り!」と意気込んでいた蘭世だった。けれど今はそうは思えない。あの二人の子供として、甘えていられるのはあと何年だろう? 俊のことは勿論大大大大大好きだけど、俊とはこの先、それこそ死ぬまで一緒にいるのだ(…と、信じたい)。
(やっぱり、今日は帰ろう)
母はがっかりするかもしれない。母が詰めてくれた着替えを抱えて、蘭世はくすりと苦笑を漏らした。
蘭世がお風呂を使い終わるのを、俊はアパートの壁にもたれて待っていた。
薄い壁越しに裸の蘭世がいると思うと射ても盾もいられなくて逃げ出したくなるのだが、お世辞にも安全とは言えない安アパートにそんな無防備な蘭世を置いていくなぞ出来るはずもなく、番犬宜しくただしっと時が過ぎるのを待っている。
へっくしっ
「っだぁぁ」
くしゃみが出ると意味のない雄叫びをあげてしまうのは何故だろう。鼻を啜りながら、マフラーの中に顎を埋めた時、控え目に玄関が開いた。
「あの、大丈夫?」
「…おお」
なんだこいつなんで着替えなんか持ってきてんだ用意がいいなってえっ?もしかしてもしかしてもしかする?いやいや考え過ぎだろう相手はあの江藤だぞ期待するだけ馬鹿を見る落ち着けおれいやしかし風呂上がりってのは妙にそそる
「真壁くん?」
「えっ!?」
必要以上に驚いて、それこそ心臓が飛び出すんじゃないかってくらいに驚いて、俊は蘭世を見た。
風呂上がりのほてった肌、石鹸のニオイ、まだ濡れているまとめ髪。
同居していた頃に、風呂上がり蘭世を見たことがないわけではないが、あの時とは状況が違う。意識するなというのが無理だ。
バクバクと収まる気配のない心臓を、いっそ握り潰してしまいたい。
「真壁くんも、お風呂、入って来て? 外、寒かったでしょう?」
「お、ああ…」
頷きつつ、衿から覗くうなじから目が離せない。薄いブラウスの下が、スカートから覗く脚が!
(ぬぁぁ! 落ち着け! おれ!)
「風呂入ってくる!」
呪いを振り解くように、きっぱりと決意を口にして、俊は蘭世から視線をもぎ離した。
クリスマスだし、掃除を手伝わせた礼も兼ねて外食しようという俊の誘いを、蘭世はやんわりと断った。
「おかあさんが持たせてくれた荷物に色々入ってて…」
俊が風呂から上がると、蘭世は既に台所で何か作業を始めていた。
「外食するのも勿体ないし、今日なんてきっとどこも混んでるわよ」
「あー…確かに、クリスマスか」
俊が今日という日がクリスマスだと認識していたことに驚いて、蘭世は目をしばたく。
流石にレストランを予約するまで気は回らなかった。テスト前はそれ所ではなかったし、所詮高校生の俊では財力も知っている店も高が知れている。
「来年は、どこ行きたいか考えとけよ」
「え?」
予想だにしなかった俊の発言に、蘭世は大きな目をますます大きく見開いて俊を見上げた。驚きだけが大きくて、言われた事の意味が理解できない。
「なんて顔してんだよ。だ・か・ら、行きたい場所。あるだろ? イルミネーションが綺麗な場所だのでっかいツリーが飾ってある店だの、見たいって言ってたじゃねーか」
ぷっと吹き出して、俊は蘭世の前髪を掠う。さらさらと流れていく黒髪の感触に、そっと目を細めた。髪を見ていた理由はもうひとつ。おそらくこちらがメインだ。期待に満ちた純真無垢な蘭世の瞳を直視出来なかったから。今だって、このあと直ぐに鍋が吹きこぼれる事がわかっていなかったら、こんなこと出来ない。
「真壁くん…覚えててくれたの?」
驚きの次には嬉しさが込み上げて来た。
忙しい俊が自分の言った何気ない言葉を覚えていた。気に留めていてくれた。更にまた来年も一緒にクリスマスを迎えてくれようとしている。
「真壁く…」
ごぽっ
じんわりと拡がっていく幸福感に身を委ねようとした時、背後で聞いた不穏な音に蘭世は一気に現実に引き戻された。
「きゃー! お鍋!」
かくして、クリスマスイブの晩餐には、ちょっぴりほろ苦いシチューが並ぶことになった…。
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