OTER

□道は多分続いてく
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道標などなくとも


 ふと、思うのだ。
 街中で子供の笑い声を聞いたとき、よく似た後ろ姿を見かけた時、
 何故、自分は、今ここにいるのか、と。

 まだ彼が、偽者、なんて名前を名乗る前のこと。
 彼は村一番の猟師だった。
 獲物を追い、獣の皮を被って何日も森に潜り、獣の皮と肉を売って生計を立てていた。今同様、あまり口数が多い方ではなかったが、そんな彼にも家族はいた。
 捕った獲物を山小屋で製品にして町に降りる。
 獲物を金に代えたら、町で土産を買い、村に暮らす家族の元へ帰る。
 亜麻色の髪をした妻と、自分と同じ髪の色をした子供たちが待つ、我が家へ。
 小さな畑と、森の恵み。子供の成長を見守りながら、ささやかな幸せは、自分が死ぬまで続くのだと思っていた。

 そう、あの日まで

 村に役人がやって来た。
 役人は、近くの森に賊が潜んでいる可能性があると告げ、彼に森の案内を頼んだ。
 狩りの時期ではない森に、狩人が入ることは森の精霊の嫌うところだ。迷信には違いない。けれど、それを守ってきたからこそ、これまでの生活があるのだ。
 とはいえ、役人に逆らうことは出来ない。
 僅かな金貨と引き換えに、彼は案内を引き受けた。
 今でも夢に見る。
 赤く燃えた空。不吉な黒い雲。
 彼が役人を連れ森に入っているうちに、賊は村を襲ったのだ。急ぎとって返した時には、もう何もかもが手遅れだった。
 村は略奪され、燃やされて、小さな息子も、愛しい妻も、年老いた両親や気の良い隣人も、みんな死んだ。殺されたのだ。
 それからの彼は獣ではなく、人を追う、復讐の狩人となった。
 当時のことはよく覚えていない。獣の様に闇に潜み、泥水を啜り、生肉を喰らって生き延びた。ただ、復讐の為に。
 自らも深手を負いながら、追い詰めた最後の一人が泣いて命乞いするのを無感動に見下ろしていたのは覚えている。血を流し、息絶えるまで、彼は妻と子を殺した男を眺めていた。
 賊との戦いで負った傷が膿み、熱を出して倒れた彼を拾い看病したのがマルヌとドワーフだ。
 拾われた命は、もう彼だけのものではない。脱け殻のような彼に、マルヌは仕事を言いつけ、そして、彼らを連れてきた。面倒を見てやれと、マルヌは言った。

「よろしく」

 彼が差し出した手を取ったのは少女のようなほっそりとした手で、ああ、これはいよいよ死ねないな、と内心で苦笑したものだ。
 剣どころか、畑仕事道具すら手にしたことがないのではないだろうか。
 はしっこい小人妖精はまだしも、大地母神の神官だと言う少女や魔法使いの半妖精の娘は、ついていかねば絶対に生き残れないだろう。
 村を襲った野盗のような連中が、この世の中にはうようよいるのだから。
 若く未熟な彼らを守ることで、生きていけると、生きていこうと決めた。

「ダミー? 寝てるの?」
「いや…。ああ、今起きた」

 ダミーが寝ている寝台に片膝を乗せて、よっ、と腕を伸ばす。窓を開けようと言うのだろう。目の前で長い髪が揺れる。襟元からは、薄い胸が覗けそうだ。以前、酒の勢いで「女扱いしろ」と詰られたことがあるが、男扱いしていないのはどちらなのだと突っ込みをいれたくなる。
 やれやれと、細い体を押しやって上体を起こすと、我が意を得たりとばかりに、半妖精は寝台に飛び乗って窓を開けた。
 赤い夕日が、金色の髪を亜麻色に染める。
 逆光の中で笑う娘が、懐かしい姿に重なって見えた。

「ご飯だよ。こんな時間まで昼寝したら、夜眠れなくなるんだからね」

 あんな夢を見たせいだ。懐かしさに泣きたくなるのは。

「ああ。そうだな。気を付ける」

 大きく背伸びしてあくびをする。滲んだ涙はあくびのせいにした。

「今日はね、ミートパイがあるよ」
「そいつは楽しみだな」

 階段を降りれば、そこに仲間がいる。

「ダミー」

 名を捨てた日、村の猟師であった彼は死んだ。
 今いるのは仲間の命を背中に戦う戦士だ。

「ああ」

 差しのべられた手は、あの日と変わらずに小さい。小柄な半妖精の向こうに、給侍する犬耳執事シセルの姿が、蝶のような羽根を持つチトが飛び回る様が見える。
 現在と未来を共にする、かけがえのない戦友たちが、ダミーを認め微笑む。
 彼らと共に、生きていく。それ以外に、ややこしい理由は必要ない。標など、なくとも―…



20110401
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