ドラクエ2

□DQ2 if
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年代期

偉大なる勇者ロトの末裔の冒険は数多語られている。
しかし彼等のその後について記された資料は多くはない。
歴史をなぞり、ここに邪神殺しの勇者達のその後を記す。

ハーゴンの軍勢に滅ぼされたムーンブルクは、ローレシア王指揮の元、ローレシア・サマルトリア連合軍によって奪還された。

しかし、激しい戦闘のさなか、陣頭に立ち続けたローレシア王は重傷を負い、第一王子アゼルに王位を譲って暫くの後に亡くなった。

若くして王位を継いだアゼルに、老獪な貴族達をまとめる手腕はなく、領国経営に理想を持っていたアゼルは現実とのギャップに絶望していく。

勇者ロトの末裔として、ハーゴンやシドーを倒した自分達を、歓呼の声で迎えた民衆達が、失策を続ける若き王を失望の瞳で見るようになるまでに、長い時間はかからなかった。

そして、彼等の栄光に陰りが射してくると、人の身で神を倒したアゼル達を、人は恐怖し、拒絶するようになった。

神殺しを王に戴く事を、民衆は望まなかったのだ。

民衆の恐怖が、己一身に注がれていることを知った時。
貴族達の思惑が、新国王の血筋を絶やす事だと知り、その標的が、よりたやすく屠れるであろう妻サーシャだと知った時、アゼルは出奔した。

在位中の国王が失踪するという前代未聞の大不祥事に対し、ローレシア政府はアゼルを記録抹消刑という最も不名誉な処罰を下している。

サーシャ王妃はムーンブルク女王として、ムーンペタ臨時政府への帰還を望まれたが、アゼル失踪後間もなく行方不明となる。
暗殺の噂がまことしやかに流れた。

国王夫妻の失踪後、王妃の出生国を援助する必要のなくなったローレシア政府はムーンブルク復興事業から手を引く。

後ろ盾も王家も失ったムーンペタ政府は分裂し、やがて内乱へとその混乱は発展していく。

サーシャ王妃の失踪と時を同じくして、サマルトリア王太子パウロも姿を消している。
ただ、これについては妹姫の証言がある。

「お兄ちゃんはね、大事な人たちを探しに行ったのよ。最近ぼんやりしていたから、私が探しに行けって言ったの。だってお兄ちゃん一人じゃ、ぱっとしないでしょう?」

ムーンペタの内乱は、周辺諸国を巻き込み、政争に明け暮れていたローレシアもほどなく分裂した。

アレフが築き、勇者の末裔によって護られていた王国は、こうして現在のような小都市国家が群立するようになったわけである。

この混乱の時代を、サマルトリアだけは沈黙を守り、どの派閥にも属さなかった。為に現在もサマルトリア王国は健在である。

勇者達の失踪から2年後、周知の通りサマルトリアのパウロ王子だけは帰国している。
この時、かの魔法剣士は後のサマルトリア王妃となるベラヌールの修道女マリアを伴っていた。

ローレシアのアゼル王とサーシャ王妃の行方について、パウロ王はただ「会えた」とだけ妹姫に話している。

近年、パウロ国王の手記が発見された。
これによると、パウロ国王はサーシャ王妃に請われ、アゼル王を共に探していたようだ。
この手記から、パウロ王のアゼル王夫妻に対する深い友情が伺われる。

「僕らの姿を認めたアゼルは、驚いた様子だった。二人を合わせるという目的を達成した僕は、安堵すると共に、僕らに何も言わずにいなくなったアゼルに対する怒りが沸き起こってきて、アゼルを殴った。(略)二人の幸せの為に、二人にはローレシアにもムーンブルクにも戻らない事を勧めた。彼等の平和を守るため、僕は彼等の居場所を話す事は生涯ない。そしてもう、彼等に会うことはないだろう」


アゼル王とサーシャ王妃のその後について、確かな文献は残っていない。
しかし、アレフガルド大陸の辺境に、夫妻らしき人が住んでいたという記録が残されている。

逃亡王の名で知られるラルス19世の退位後、共和制に移行したラダトームだったが、間もなく瓦解し、救国の英雄アレフとローラ姫の血を引くアゼルに即位を求めた。
しかし、衆知の通り、ラダトームはアゼルを王に戴く事はなく、混迷の時代を迎える。

この時の書簡を保管している家がマイラにある。
著者はこの家で、ラーミアを象った帯飾りとルビス神の紋章入りの首飾りを発見した。
首飾りは、ほのかな魔力を放っており、ルビスの守りではないかと推測される。

残念ながら、マイラは10年前疫病の流行によって滅んでおり、英雄の末裔の生存を知る術は残されていない。


〜サマルトリアの歴史学者、エドワルド・C・サイラス/ルビス経暦1008年・記
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