ドラクエ2

□DQ2 if
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2.王家の影

 精霊神ルビスの加護の下、繁栄を約束された王国。栄光の王家。
 それが、勇者ロトの血を引くローレシア・サマルトリア王家に対するイメージだろう。
 しかし、王家の系図を紐解いてみると決してそうではないことがわかる。

 アレフの長男、ローレシア2代国王アザッロは20代半ばで王位を継いでいる。在位自体は40年と長い。
 しかしその間に、王妃を2人失っている。王太子時代の婚約者も含めれば5人だ。5人の妻の間に子も設けているが、どれも死産もしくは幼い内に失っている。
 はっきりとした記録は残っていないが、当時王権の傍にあったローレシア貴族間の権力争いの結果であろうと筆者は推測する。
 アザッロの3人までの妻が、どれもローレシア貴族の娘であり、妻の死後にはその父親の家系が歴史の表舞台から消えているからだ。
 4人目の妻の死後、しばらくの間アザッロは妻を迎えていない。
 37歳のとき、ようやく3代国王の母となるレイリア王妃を迎えている。この王妃の出自は明らかにされていないが、表向きローレシア貴族の娘ということになっている。その実、アレフガルドのラダトーム王家に縁のある姫君だとされているが、真相は定かではない。
 レイリア王妃との間に生まれた第一王子フェルーノに、アザッロは早々に妻を迎えている。
 ムーンブルクの末姫フィオラである。アレフとローラの末娘アウレアがムーンブルク王家に嫁いで生まれた末の姫だ。息子アザッロの不幸を嘆いた母后ローラがムーンムルクの娘アウレアに懇願しての婚姻だった。
 さすがのローレシア貴族も、建国王の孫にして大国ムーンブルクの姫には手出しできなかったと見え、フェルーノ、フィオラの婚姻はつつがなく幸せな家庭を築いた。

 アザッロよりさらに悲惨な人生を歩んだのは、アレフの今一人の息子ベルーノだ。
 幼い内に母親から引き離され、見知らぬ土地で名ばかりの王となった彼は、サマルトリア貴族の娘との間に3男設けている。
 私人としては兄のアザッロより幸せだったのかもしれない。しかし公人としてはまったく不幸であった。
 母ローラに似たのか、英雄の血を濃く現していたのか、ベルーノは利発で情熱的な人物であったらしい。もちろん政にも積極的に意見した。
 それはローレシアから派遣されている大臣たちにとってはまったく迷惑な話だったのだ。
 ベルーノが長じるまでの10数年間、やりたい放題やってきたローレシア人の役人たちにしてみれば、突然政治に口出しを始めたこの若い国王がひどく邪魔な存在であったろう。
 建国王アレフが病没し、ベルーノの長男レムスが16歳になった年、ベルーノはサマルトリアの湖畔で何者かに刺殺された。34歳だった。
 犯人は見つかっていない。
 ベルーノの後を継いだレムスもまた、在位僅か2年でこの世を去る。歌と自然をこよなく愛した心優しき繊細な王子だったという彼は、宮廷内の殺伐とした空気に絶えられなかったのだろう。
 レムスの後は2歳年下の次男チェザレが継ぐが、彼は国家反逆の罪で翌年処刑された。生まれたばかりの息子も、その赤子を産んだローレシア貴族の娘も共に処刑され、彼等家族の記録は残されていない。
 ベルーノの死後、僅か5年で二人もの若い国王を失ったサマルトリアを一番憂いていたのはアレフ亡き後も三国を見守り続けていた国母ローラであろう。夫、息子、孫を数年のうちに立て続けに失ったローラの憔悴はすさまじく、彼女はムーンブルクとの国境、現在のローラの門付近の庵に引きこもってしまう。この後、ローラはぱたりと歴史の表舞台から姿を消す。
 さて、血にまみれたサマルトリアの玉座を継いだ5人目は、ベルーノの三男パウロだ。8歳で即位し、翌年3歳年下のロッドバルト公爵令嬢オデットと結婚している。
 幼いながらに父や兄を襲った不幸から学ぶべきものを学んでいたパウロは、ローレシア政権に逆らうことなくうまく傀儡の王を演じたようである。在位36年間の間にオデット嬢との間に一男一女をもうけ、長男パウロ二世が21歳のとき<ロトの盾>の管理者を申し出て退位している。

 ムーンブルクに嫁いだアウレアだけが、公人としても私人としても、恵まれた一生を過ごしたといえるのかもしれない。
 アレフとローラの3人の子供たちの中で、彼女が一番長く生きた。それだけに、政治の駆け引きに翻弄され見たくないものも見て来たであろう。それでも神々は、ロトの血を後世につなげ、守り続けてきた彼女に最悪の悲劇だけは見せないという慈悲を与えた。
 彼女が81歳で自然死を迎えた翌年に、世界は重く垂れ込めた暗雲に日常を脅かされることとなる・・・
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