ドラクエ2

□破壊神を倒した英雄達のその後
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7−2

 セリアに手を引かれるまま、会話もなく歩きつづけた。
 螺旋階段を上る。
 迷子になりかかっていたので自信はないが、おそらく東棟の一番古い尖塔に居るのだと思われた。

「セリア、どこに向かっているの?」

 それから、つないだ手が、なんだか照れくさい。

「えっ?」

 なにやら物思いに耽っていたらしきセリアは、声を掛けられた事自体に酷く驚いた様子で足を止めた。頬を染めて、はたと、つないでいた手を離す。
 惜しいような気もしないではない。まるで十代の子供の様に思う自分がおかしかった。

「ご、ごめんなさい」
「いや。いいんだけど」

 手をもじもじさせて、真っ赤になって俯く姿は、とても凛としたムーンブルクの女王様には見えない。出合った頃のセリアの姿と重なって見え、僕はくすりと笑った。

「アレンは、…どうして、あそこに?」
「コナンの部屋で、飲んだ帰り。酔いを覚まそうと思ってうろうろしてたんだけど…。そのぅ…。迷ったんだ」

 ばつが悪くて、意味もなく鼻の頭を掻いた。

「わたしも、似たようなもの」

 くすりと、セリアが微笑む。

「そうか」
「ええ」

 それから、どちらともなく、並んで階段を上った。
 最上階には扉がひとつ。
 ふふ、と楽しそうにセリアが笑う。

「なんだか、冒険の続きのようね」
「そうだね」

 思い出すのはさまざまなダンジョン。
 長い事忘れていた感覚が甦り、わくわくと胸が躍った。

「鍵が掛かってる…」

 目の前の扉は金色の錠で閉ざされていた。僕の呟きに答えてか、セリアが心得顔で呪文を唱え始める。

「アバカム」

 コリンコリン、と軽快な音をさせて、錠が外れた。

「こんなに魔法を使うのなんて、いつ振りかしら」

 古い扉がきしみながら開いていく。室内は、埃っぽい事を除けば、綺麗に片付いていて、調度品も揃っている。それらの品は、どれも高価なものに見えた。

「お伽噺のお姫様が、閉じ込められていそうな場所ね」

 弾んだ声で、セリアは部屋中を見てまわり、窓を開けて新鮮な空気を取り入れた。そしてそのまま、窓枠に腰掛けて月を見上げる。
 月の光を受けて輝く、月の王国の姫君。
 淡く、青白い光の中、幻想的な美しさ。十年余りの時を経ても尚、その美しさは損なわれることはない。

「…何を、揉めていたんだ?」

 夫婦の間の事に、他人が首を突っ込む事ではないと、頭では分かっていても、尋ねずにはいられなかった。引っかかっていたのは、伯爵が喚いていた言葉。
 息を飲んで振り向いたセリアの顔に、浮かんでいたのは、困惑。
 そして彼女の襟元に、青い光が輝くのを僕は見た。
 慌てて彼女が押さえたそれは、ラダトームの夜祭で買った、あのペンダントだ。
 見間違えるはずが、ない。
 狂ったような男の言葉が脳裏に甦る。
 ―――それでは、それでは…!
 僕はああ、と声を漏らして額を覆った。
 その声は歓喜だったのか、後悔だったのか。

「セリア」

 窓際に立ちすくむセリアは身を硬くして俯いている。羞恥にか、その肩は細かく震えていた。
 伸ばしかけた手を、僕はぐっと拳を固めて止める。
 彼女をこの腕に抱く資格など、僕は疾うに失ってしまった。
 彼女から目をそらし、唇を噛んで俯く。
 あの日の別れと同じだ。
 僕は何も変わっちゃいない。

 と、風が、動いた。

「!?」

 トン、と、柔らかな体がぶつかってきた。体に走った衝撃よりも、精神的な衝撃の方がはるかに大きい。とっさの事に抱きとめることも出来ず、硬直している僕の胸に額を押し付けて、セリアは泣いていた。
 泣、いて…?
 強ばっていた体に感覚が戻ってくる。
 声もなく泣いているのは、かつて愛したただ一人の少女。
 かつて?
 否。
 ペンダントと共にしまい込んだ情熱が、檻を破って炎のように噴き上がる。
 苦痛に耐えるように、僕は奥歯を噛み締めた。
 抱きしめたい。
 抱きしめて、やれたら…!
 心の中、思い出すのは太陽の姫。陽だまりの幸福。

「…ごめんなさい」

 消え入りそうな呟きが聞こえたのはその時だ。
 涙に濡れた頬を、そっとぬぐい、無理に微笑んでみせる姿に、胸が引き裂かれそうだ。
 そんな顔を見たいんじゃない。そんな顔、させたくない!

「アレンには、いつも甘えてばかり…。困らせてごめんなさい」
「違う!」
「え…?」

 まだ、セリアを正面から見ることも出来ないまま、抱きしめる事も出来ないまま、僕は激しくかぶりを振った。

「僕が卑怯だったんだ。セリアを守るって、力になるって言ってたのに、口ばっかりで。セリアが辛い思いをしているのに気付きもしなかった。気付こうとしなかった!」

 ダンッ!

 拳を叩き付けた壁の漆喰がはがれ、この十年の間ですっかり柔になった皮膚は、破れて血を滲ませた。

「僕自身の気持ちで、手一杯で…。どうしようもないガキだ…」

 涙が頬を伝っていた。

「…こんなにも、君を愛しているのに…」

 力なく垂れ下がった手は、のろのろとセリアに向けて伸びる。

「あの時、君をさらって行けば良かった…」

 セリアの頬に振れる前に、傷付いた手が白い両手に包まれていた。ホイミの清浄な癒しの光が、傷を跡形もなく消す。

「愛してる。忘れるなんて、出来ない」

 頬に触れるセリアの手。

「わたしも、忘れようと思った。でも、出来なかった。どうしても、捨てる事は出来なかった」

 国も、恋も。
 欲張りだと、セリアは笑った。

「あなたへの思いを捨ててしまうのは、わたし自身を否定する事と同じだと思ったから」

 セリアの告白に、僕が漏らした息は、今度こそ歓喜の溜め息だ。
 愛する人に、愛されているということ。それがどれほど幸福な事か、今更ながらに自覚する。

「セリア…」

 見詰め合う。
 セリアの細い腰を抱き寄せる。
 十年分の思いを込めて、抱きしめる。
 ようやく、手に入れた。
 欠けていた心の欠片が、今、戻ってきたのだ。
 この、手の中に。

「わたしは弱いわ…。こんなにも…」

 腕の中で、ほぅと漏れた吐息が甘く香る。
 自虐的に呟かれた言葉も、吐息も、全て絡め取って口付けた。
 空白を埋めるように、何度も何度も口付けた。崩折れる、細い体を抱き伏せて、何度も、何度も。
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