ドラクエ1

□竜の勇者と呼ばれた男
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面影を追うのは


 帆は風を孕み、いっぱいに膨らんで、船は快調に海を滑っていく。
 甲板では男達が忙しく動いており、誰も船室の屋根に上った男の事を気にするものはいなかった。
 男――アレフは、シャツをだらしなく肩に羽織っただけの格好で、船の高い場所から周囲を見るとはなしに眺めていた。
 ラダトームを経ってすぐ、アレフは賊に襲われた。野盗を装ってはいたが、男達の太刀捌きは軍人のそれで、さすがに身許を確認するものは身につけていなかったが、彼等がラダトームの正規兵だというのは疑うまでもなかった。
 街中でも命を狙われた。おおっぴらに襲われたわけではないが、もっと質が悪い。
 食に毒が盛られていた。ローラも一緒にいた宿屋での出来事だ。
 ローラもろともに始末するつもりなのかと呆れたが、体の自由を奪うだけの毒だったのかもしれない。その朝だけ給侍が店主の親父に変わり、その親父も様子がおかしかったことからすぐに露見し、アレフはローラを連れてすぐにその街を出たのだった。
 2年の間、アレフガルド中を旅した勇者アレフの風体は伝え広まっていたし、ローラの美しさも市井では目立ちすぎた。アレフ一人ならまだしも、ローラを連れている以上人里に寄らぬわけにもいかず、アレフ達の行動はラダトームに伝わらぬわけがない。
 アレフガルドにいる限り命を狙われ続ける。それは、竜王を倒した時からわかっていたことだった。世継ぎの姫を連れていることで、多少は追っ手の心情的に負い目になるのではないかとも考えたが逆効果であったらしい。

(始末するか…)

 船室の粗末な寝台の上には、珠の肌を洗いざらしのシーツに包み眠るローラがいる。
 一先ずアレフガルドを脱出しようと、金を積み船を出した。
 船乗り達はアレフを英雄と信じ、姫と新天地を目指す勇者と同行できることを誇りに思うと涙したが、人の思いなどは簡単に変わるものだとアレフは知っている。
 海を隔ててさえ、ラダトームの影響下から完全に抜け出すまでにどれほど移動すればいいのか。立ち寄った港で、ラダトームの間者が船員に紛れ込まないとはいいきれない。
 ローラさえ戻れば、王都の奴等は気が済むだろうか。ならばいつでも帰してやる。楯にもならないなら、あんな女はお荷物なだけだ。

(使い古しでよければな)

 くくっ、と喉の奥から嘲笑が漏れる。
 ローラの婚約者と目されていた伯爵様の蒼白な顔を思い出していた。
 ローラがアレフに連れていけと懇願したあの日、群集の中にやけに顔色の悪いのがいた。大方、アレフの命を狙っているのもあの伯爵なのではないだろうか。
 貧相な童顔をごまかそうと蓄えた髭が逆にアンバランスで頼りなく、憐れでさえあった。精悍なアレフと比べるといかにも見劣りがして、ローラでなくともあの男よりアレフに恋をするだろう。
 いつ寝首をかかれるか解らない不安な旅の共は足手まといでしかない、疎ましい女だというのに、いつ始末してもいいとさえ思っているのに、魔物が出ればいつかもそうしたように、彼女を庇って戦っている。
 ひとつしかない船室に、ひとつきりの寝台。愛されていないとわかっているだろうに、それでも彼女はそこに入って来た。後の事を知らなかったとは思えない。或はそうするように王家の子女は教育されているのかもしれない。進んでそうしていたような気配さえあった。
 娼婦のように積極的に事を成そうとしても、ぎこちない初な所作が、一生懸命なその姿が、胸に詰まった。
 海風にふと空を見上げる。
 名を呼ばれたような気がして。
 抱いた女に、今は失き恋人の姿を思い出した。同じ色の髪が、よく似た唇の形が、そうさせたのかもしれない。

(………)

 名も知らない海鳥が、甲高い声で鳴き飛んでいった。
 僅かな衣擦れと木の軋む音に振り返る。
 自分で身支度することにまだ不慣れなのだろう。あちこち着崩れたドレスを手で押さえながら、不安そうな目でローラがアレフを見上げていた。
 縋る瞳に別の誰かの姿が被る。
 胸を刺す痛みは、彼女を裏切ったという証だろうか。

「アレフ様…?」

 いつになく切なげに自分を見る男にローラは気遣わしげに表情を曇らせ、それに気付いてアレフはわずかに苦笑した。
 上っていた屋根から、身軽に飛び降り、あっと驚くローラの肩を抱く。

「そんな格好で出ては水夫を困惑させます。着せてさしあげますから、さ、中へ」

 ありがとうございます、と素直に従ったローラは、城で侍女達にそうさせていたように腕を広げてアレフのするがままに任せた。

「ある程度のことはお一人で出来るようになっていただきませんと」

 下着の紐を背中で結びながらアレフが呟く。

「わたくしも常に姫のお側にいられるとは限りませんから」

 お苦しくはありませんか? との事務的な問いに、ローラはついむっとして赤い頬を横向けた。

「アレフ様は随分、女性の装いにお詳しいんですのねっ」

 意地悪のつもりで言ったが、相手にはそよ風ほども効いていない。可愛い嫉妬にアレフの唇が笑う。

「男を脱がし馴れてるよりはマシでしょう」
「まぁっ!」

 ますます頬を赤らめるローラに、ついにアレフは吹き出した。

「さ、これでいい。けれどあまり長い時間甲板には出ないでください。強い日差しはお体に毒です」

 ドレスの仕上がりを確かめながらローラは不満そうに唇をすぼめた。

「アレフ様は外にいらっしゃるのに?」
「俺は―…」
「あっ」

 不意をつかれて息が漏れる。抱き寄せられた体が離れた時には息も止まりそうなくらい心臓が跳ねていた。
 鼻先が触れるほどの距離で、薄くアレフが笑う。

「肌の白い女が好みなんだ」
「っ!」

 低い囁きを残し、襟から覗く鎖骨に唇が触れる。昨夜の熱を思いだし、ローラの背筋が震えた。
 両手を胸の前に組み、目を閉じて待っていると、くすりとアレフが笑ったのがわかった。
 呆気に取られて立ち尽くす。ただ見詰めることしか出来ないローラを残し、何事もなかったようにアレフは出入口に向かい歩き始めるところだった。

「あ、あのっ」

 戸惑い、声をかけるが、次に何を言えばいいのか言葉が思い付かない。
 言い淀むローラを振り返り、アレフはにっ、と意地悪そうな笑みを唇の端に浮かべた。

(―…あ)

 慇懃でも、酷白でもない。彼の素を覗かせる笑み。始めて見た。

「芋の皮は剥けるか?」
「や、やったことはありませんが、覚えます!」

 アレフの笑みが、満足そうに深くなる。

「こっちだ」
「は、はい!」

 手招く腕に抱き着く勢いで床を蹴る。そのローラを、アレフは甲板へ上がる階段の途中で待っていた。

 進んでみよう。風が導くままに。

 ローラに手を貸しながら、アレフはそう、心の中で呟いた。



2010.10.21
予告に反して、アレフその後。
ローラにほだされてく過程。
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