ドラクエ1

□竜の勇者と呼ばれた男
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2−2

 それから俺は、ローラ姫をマイラに連れて行き、数日をそこで過ごした。
衰弱したローラ姫の体を慮っての事だ。
 温泉につかり、満足な休養を取った後のローラ姫は、ラダトームの花と謳われた通り、美しかった。
 波打つ黄金の巻き毛。
 澄んだ翡翠の瞳。
 桜色の唇。
 すべらかな真珠の肌。
 そして何より、全身に漂う気品。
 神々しくさえある。
 ふと、ラダトームにいる恋人の事を思う。
 やっぱり、似てないな。
 髪の色や、目鼻立ちは少し似ているのかもしれない。
 でも、あいつはもっと楽しそうに、声を立てて笑うし、拗ねたり、怒ったり、ころころと表情がよく変わる。

(品がない、か…)
「確かにな」

 ふふ、と声に出して笑っていた。

「アレフ様?」
「あ、はい。ローラ姫様」

 背を預けていた壁から、反動をつけて背を正す。
 旅立ちの支度を宿屋の女中に手伝ってもらっていたローラ姫が、不思議そうな顔でこちらを見ていた。

「何か、楽しい事をお考えになっていらしたのでしょう? お顔が笑っていらっしゃいましたわ」
「そう、ですか…?」

 見られていたとは。迂闊だった。
 赤らんだ頬をごまかそうと、手で口元を被う。

「ええ。差し支えなければローラにも笑顔の訳をお教えくださいませ」

 柔らかく微笑み、ローラ姫は俺の真正面に立った。見下ろす形になり、慌てる。膝を突こうとすると、ローラ姫が小さな手で制した。
 この姫は、変わり者なのだろうか。ローラ姫は俺が跪いたり、お姫様扱いしようとするのを嫌がった。よく触れてくるし、ルーラで城までひとっ飛びだと言ったのに、歩いて帰りたいなどという。馬車を用立てる事など出来ないし、道中は魔物も出る。第一、左足の腱を――逃げ出さないようにだろう――切られているローラ姫には辛い旅になるのは目に見えているのに、だ。
 これについて姫は、「わたくしが生きているという事を、皆に知ってもらうためにも、お願いです」と言った。
 政治的な思惑があっての事ならばと、しぶしぶ承諾したのである。

「何をお考えでしたの?」

 じっと見詰められて、尚も問われる。きらきらと輝く瞳は、どうやら答えを聞くまで許してはくれないらしい。

「あー。えっと」

 俺は観念した。

「ラダトームの街に、姫に似た感じの娘がいるんです。姫を見ていたら、そいつのことを思い出して…。いや、あの、実際はぜんぜん違います」

 ローラ姫の顔がわずかに険しくなったのを見て、俺は慌てた。
 そりゃあ、一介の町娘に似ているなんて言われたら不愉快だよな。

「ご無礼をいたしました!」
「えっ?」
「え?」

 勢いよく頭を下げた俺の頭上で、あっけに取られた声がして、俺は目線を上げた。

「あ、あの。どうかお顔を上げてください。無礼など、何も…」

 ふるふると首を振ると、困ったように微笑んだ。

「…参りましょうか?」
「は? はい」

 踵を返し、階段に向かうローラ姫の後ろ姿を、俺は慌てて追いかけた。


 歩きやすい草原を選んで、魔物避けの呪文を駆使して進む事にしたものの、やはりローラ姫の足は遅く、半時も進まないうちに休憩を入れることになった。
 一人旅の時よりは時間が掛かるだろう事は想定していたが、ここまで遅れるとは正直、計算外だ。
 トヘロスを使うこちらの魔力にも限界がある。
 魔力が切れて、トヘロスの持続が切れたら、魔物が出る。
姫を守りながら闘うのはきつい。
 靴擦れが出来たのだろう。足をさすっているローラ姫の足元に跪き、小さく呪文を唱えた。

「母なる精霊神ルビスよ。傷を癒し給え。ホイミ」
「あ、ありがとうございます」
「いいえ」

 作り笑顔は、溜め息混じりになった。

「姫、やはりルーラで帰りましょう」
「でも…!」
「道中、村村にお元気なお姿を、という姫のお気持ちは分かります。けれど城で待つお父上の事をお考え下さい。そもそも、このままでは御身を無事お城までお連れする事は難しい。ご了承、下さいますね?」

 唇を噛み締め、俯き加減で首を振るローラ姫に、俺は今度こそ遠慮なく溜め息をついた。

「あなたの我侭に付き合って死ぬのはごめんです。俺にだって帰りを待ってる人がいるんだ」

 はっと顔を上げたローラ姫の目が潤む。
 ちょっと言い過ぎたかな。

「ごめんなさい…」
「俺も、言い過ぎました。さぁ」

 手を取って立ち上がる。

「お願いします」

 消え入りそうな声に頷きを返す。

「じゃあ、抱っこしますよ」
「え? きゃあ!」

 答えは待たずにひょいと抱き上げる。
 姫を抱き上げるのは二度目だが、相変わらず軽い。サマンサは、…もう少し重い、かな?

「二つの点は一つの点に。時空の守護者よ。我をかの地へと導け。ルーラ」


 城門で、顔見知りになった兵士の一人が、こちらの姿に気付くや奥に駆け出した。

「ローラ姫様!!」

 俺は兵士の歓呼の中、謁見の間への階段を、ローラ姫を抱きかかえたまま上って行く。

 会う度顔色を悪くしていたラルス16世陛下が、今日ばかりは顔を輝かせ、玉座を降りてわざわざ出迎えてくれた。

「おお、ローラ…!」

 まぁ、そうだよな。
 抱いたままだったローラ姫を下ろす。
 ローラ姫は、頬を染めて上目遣いで俺を見た後、父親と抱擁を交わした。
 感動の再会にしばし噎び泣いた後、国王陛下は俺に抱きついてきた。

「アレフよ! 良くぞローラ姫を助け出してくれた! そなたこそ誠の勇者だ!」

 その日は祝宴が開かれ、俺まで群衆の待つバルコニーに引っ張り出された。
 夜は夜で、ひらひらした服に着替えさせられて踊った事もない社交ダンスとやらを踊らされ、貴族の真似事をさせられた。
 食べた事もない豪華な食事に、質のよい酒。それ自体は嬉しかったのだが、生憎と味わうゆとりはなかった。
 国王陛下や貴族、貴婦人が、ひっきりなしにやってきて、飯を食うどころではなかったからだ。
 やっとの事で宴を抜け出し、バルコニーから中庭に飛び降りたところで、俺は長く溜め息をついた。
 ごろりと寝転ぶ。
 城下にも、ローラ姫生還の報が届いているだろう。
 酒が振舞われ、お祭騒ぎになっているはずだ。
 家に帰れば、いつものように、サマンサが俺の好物をこさえて持ってきてくれるだろう。

「腹減った…」

 ぐぅぅ、と情けない音を上げる腹を抱えて一人言ちる。
 と、影が差した。

「こんな所にいらした」
「ローラ姫様!」

 起き上がると、ローラ姫は俺の横にすとんと腰を下ろした。

「どうなさったんです?」

 心底驚いていると、ローラ姫はにこりと微笑んで、手にした包みを差し出した。

「こちらを」

 差し出された布包みには、サンドイッチが入っていた。

「ありがたい!」

 礼を言ってぱくつきながら、宴のメニューにサンドイッチなんかなかったんじゃないかと思いをめぐらす。

「もしかして、姫様が…?」

 作って持ってきてくれたのか?

「何も召し上がっていらっしゃらないようでしたから」

 気恥ずかしげに微笑んで、ローラ姫は頷いた。
 我侭なお姫様だと思っていたけど、なかなかどうして、気の付くいいお嬢さんじゃないか。
 空腹に参っていたので、非常にありがたい。

「ありがとうございます。美味しかったです」
「よかった!」

 本当に嬉しそうに笑うので、つられて笑う。

「アレフ様に喜んでいただける事が、何よりも嬉しいのです。助けていただいたのに、わたくしからお礼できる事が何ひとつないのですもの」

 潤んだ瞳で見詰められて、本能的に後退さる。
 俺も男だから、旅先の女と関係する事もあった。勿論商売女なのだが、中には本気で迫ってくる女もいた。彼女たちが、丁度今のローラ姫のような目をしていたのを思い出したのだ。

「そのお心だけで十分です。俺は姫に感謝していただくような事は何もしていません」

 面倒な事になる前に、この場を逃げ出してしまいたい。腰を浮かせる俺に、ローラ姫はひしっとすがりついた。

「いいえ!」

 おい!
 舌打ちは何とかこらえたが、頬が引きつるのはどうしようもなかった。

「ローラはアレフ様をお慕い申し上げております」

 真摯な瞳で告白されて、眩暈を覚えた。


 深夜、あてがわれた城の一室を抜け出し、城下町に向かう。
 あの後、ローラ姫の告白を、自分には竜王を倒す使命があるから、と逃げてきた。
 世界の大事を、まさか女を振る口実にする事になろうとは思わなかった。
 自嘲に歪んだ口元を引き締めて、宿屋の母屋に向かう。
 深夜であるという事と、時期が時期なだけに人目を忍んだ。酒場にはまだお祭騒ぎの人間が残っていたし、見つかれば朝まで解放してもらえないだろう事は明らかだったから。
 裏庭から屋内に侵入し、まっすぐサマンサの部屋に向かう。
 無用心にも、扉に鍵は掛かっていない。いつでもアレフが帰ってこれるよ、といって笑ったサマンサの顔が思い出された。

「あいつ…」

 呆れつつも、嬉しい。
 できるだけ物音を立てないように部屋に滑り込んだつもりだが、ベッドの人物が身じろぎした。

「アレフ!」
「しっ」

 目を見張るサマンサに、人差し指一本立てて片目を瞑った。

「抜け出してきた」

 それから俺は、ベッドの上の恋人を、力いっぱい抱きしめた。

「だめ!」
「え?」

 思いがけない拒絶に、困惑する。力いっぱい胸を押し返すサマンサの手を掴んで、俺はサマンサを見詰めた。

「赤ちゃんがいるの」

 …え?

 赤ちゃん?

 赤ちゃんて…赤ちゃん?

 ええ!?

「ごめんなさい、迷惑よね? 困るわよね? いいの。あなたに迷惑はかけないようにするから。気にしないで…っ」
 混乱して、理解するのにえらい時間が掛かった。多分俺の沈黙を勘違いしたサマンサが、しきりに髪を耳に掛け上げながら早口にまくしたてる。次第にその目に涙が浮かぶのが分かった。

 ああ、違う。違うんだ!

「違うんだ」

 がばりと――力をこめすぎないように気をつけて――抱きしめて、俺はサマンサの頭に頬をすり寄せる。

「子供のことは…驚いたけど…。俺の方こそごめん。一人にさせて。そのことは嬉しい! だけど、もう、帰ってこられないかもしれない」

 びくりと震えたサマンサが、顔を上げようとしたけれど、顔を見られたくなくて押さえ込む。

「明日、俺は竜王の島に渡る。だから…。下に金を預けてある。もし、俺が帰ってこなかったら、その金で子供を育てて欲しい」

 妊娠自体は予想外だったけど、いつか戻れなくなる時がくると思っていた。
 だから女将さんには、これまでの冒険で得た金を預けてある。
 俺が帰ってこなかったら、養父とサマンサのことを頼むと言付けて。

「サマンサ、愛してる」

 腕の中のサマンサが、声を上げて泣いていた。


 翌朝早く、サマンサは笑顔で「言ってらっしゃい」と送り出してくれた。
 もう、戻らないかもしれないといった、この俺を。
 いつもより長めのキスをして、いってきますと微笑む。
 踵を返しかけて、俺は腰をかがめた。

「いってきます」
「まぁ…」

 そこに芽生えた、命に。
 多分、サマンサは真っ赤な顔をしている。俺だって、馬鹿な事やったな、って思うよ。

 でも
 帰ってくるよ。
 ここに。
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