◆ときめきトゥナイト

□ときめき お題外
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いたずらしちゃうぞ


 近年、日本でも行われるようになったハロウィン祭は、古代ケルトのドルイド教では、新年の始まりは冬の季節の始まりである11月1日のサウィン祭にあたる。
 ケルト人の1年の終りは10月31日で、この夜は死者の霊が家族を訪ねたり、精霊や魔女が出てくると信じられていた。これらから身を守る為に、ドルイド達は火を燃やし、その周辺で朝が来るまで踊る。
 ドルイドたちによって清められた炎は各家のかまどに移され、人々はこの新しい火で家を暖め照らし、悪霊(シー。女性形はバンシー)が入らないようにまじないをかけた。というのも、1年のこの時期には、この世と霊界との間に目に見えない「門」が開き、この両方の世界の間で自由に行き来が可能となると信じられていたからである。



 ―――魔界

 人間界と魔界とを結ぶ霧の道。ここの境界があやふやになる日がある。
 2千年の昔から、人間が魔除けに炊いてきた炎も、ほとんどの魔界人には何の影響ももたらさない。逆にそれは、歳若い魔界人達の興味をそそる。明々と燈る人間界への道標となるのだ。



「秋の気候は釣瓶落としっていうけど、本当だね」

 木枯らしに震える親友を振り返り、小学生らしからぬ感想を述べる。

「鈴世ー。お前ってやつはよー」

 彼のそんな態度には慣れっこの筈の親友が、いちいち呆れ顔でそれを指摘するのも、さわやかな笑顔で鈴世が幸太の追求をかわすのも、鈴世の笑顔になるみがどきりと頬をあからめるのもいつもの事。

「夕方のニュースで言ってたんだよ。ね、なるみちゃん」
「え? う、うん。そうね、鈴世君」
「なんで市橋が知ってるんだよ」

 ジト目の幸太になるみはますます頬を赤く染め、「え、えっとあのその」と意味のない言葉を連ねて俯いた。鈴世は変わらぬ――見るものに因っては脅迫にも見える――笑顔で「うん?」と幸太を黙らせた。

「じゃあ、僕こっちだから。また明日ね」

 一陣の風に、ブレザーの前を掻き合わせた鈴世は、自宅の玄関からひょいと顔を覗かせた異形に、思わず手にした鞄を落としていた。

「鈴世?」
「どうかしたの?」

 訝しみ近付いてくるなるみと幸太に、鈴世は鞄を落とした時の驚愕の表情を引っ込めて、これ以上はないほど完璧な笑顔で振り返った。

「なんでもないよ。じゃあ、また月曜に」

 ニコリ。
 こんな笑顔を見せられては、なるみですら口を挟めない。優雅な仕種で鞄を拾い、自宅の門を潜って去っていく背中を、ただ見送るしかなかった。



「行った、かな」

 なるみと幸太の気配が遠ざかるのを待って、鈴世はほぅ、と息を吐いた。それから…

「魔界の人だよね? そんなとこにいたんじゃみつかっちゃうよ?」

 電柱の影にむかって、はっきり鈴世はそう呼びかけた。



 テーブルを挟んでお茶を啜りながら、鈴世はその人物――と称してよいものだろうか――を湯気ごしに観察した。
 魔界人の種族にはあまり詳しくないが、見たところ童話等に出て来る魔女や妖精に似ている。
 性別はあるのかないのか、判別が付かない。
 出したお茶にも手をつけず、そわそわと興味深げにあたりを見渡している魔界人に、鈴世は姉が焼いたクッキー皿を勧めてみた。
 今日は、両親も姉もいない。アロンに呼ばれたとかで、急に魔界に出掛ける事になったと書き置きがあった。ちなみに文鎮代わりに置かれていたこのクッキーは、鈴世の今日のおやつである。

「お姉ちゃんが焼いたんだ。おいしいんだよ。食べてみて」

 目の前で、自らひとつ手にして頬張ると、甘く香ばしい香がふわりと拡がった。
 小さく鼻をひくつかせる魔界人に、鈴世は再度クッキーを勧めた。
 恐る恐るクッキーを摘み、一口かじるや、目を丸くして残りを口に放り込む。それからは、遠慮のえの字も見られない。あっという間にクッキーを平らげ、鈴世が入れた紅茶も最後の一滴まで飲んだ。
 その様子を、鈴世は頬杖突きながら目を丸くして見ている。鈴世のおやつはあらかた目の前の魔界人が食べてしまったが、姉のクッキーはいつでも食べられるし、もう暫く待てば夕飯になる。それほど惜しいとは思わかなかった。

「ね、僕は鈴世。君は?」
「………」

 指に着いたクッキーのカスを未練がましく舐めながら、上目使いにチラチラと鈴世の様子を伺う。辛抱強く待つうちに、魔界人は小さく言った。

「マリンカ」

 茉莉花。
 花の精、なのだろうか。

「マリンカは、どうして人間界に?」
「明かりが―…」
「え?」
「毎年焚くと約束したのに、明かりが、見えないんだ」

 だから迎えに来た、と、花の精は言った。



 ぽつり、ぽつりと、マリンカは事情を鈴世に語った。話す内容からして、見た目よりもずっと彼女が長く生きていることがわかった。それから、誰か人を待っているのだということも。

 おそらくはロシア語圏の、どこかだろう。耳になじみのない地名、人の名前。
 今よりも昔、人々がもっと素朴で、機械に頼らない生活をしていた頃、マリンカは、ひとりの人間の子供に出会った。

「サウィンの祭の日だった」

 災厄除けに焚かれる火が、逆に年若い魔界人達の心を踊らせ、人間界までの道標になる。
 マリンカがまだ、マリンカと名乗る前、ただの南の森の楡の魔女だった頃、彼女もまた、年に一度の祭に人間界を訪れた。愚かで臆病な人間たちをからかうために。
 そこで彼女は、運命的な出会いを経験したのだ。鈴世の姉の蘭世が聞いたら、目を輝かせて聞いたに違いない。

「ゼンは他の人間とは違っていた」

 姿を消して悪戯をしていた魔女をゼン少年は見付だし、彼女の悪戯をやめさせたらしい。そのかわりに、ジャムをつけた甘い揚げパンをくれたのだという。

「これも好きだが、ゼンのくれたパパナッシュも美味かった。鈴世はパパナッシュを食べたことがあるか?」
「え? うーん、わからないや。ごめん」

 聞いたこともないが、そうはっきり言うのも気が引けた。
 魔界にはお菓子はないのだろうか? 何年か前に立ち寄った魔界のレストランでは、魂ばかり出て来て辟易したのを覚えている。

「そうか。残念だ。大層美味い菓子なのだ。いつか食べに行くといい。ゼンの孫とも一緒にパパナッシュを食べた。鈴世にも、きっとわけてくれる」
「え? ゼンって人、おじいさんなの?」

 子供だと思っていたと漏らした鈴世に、マリンカは寂しそうに笑った。

「人間はあっという間に歳をとる。子供だったゼンも、孫のダークも、あっという間にわたしの背丈を追い抜いたよ。見るたびに、ゼンに似ていくあの子を見るのがわたしは不思議だった」
「え? ちょっと待って!?」

 ただ、同じ名前の人なら沢山いる。けれど魔界人が絡んでくるとなれば別だ。
 姿を消した魔女を見付けたゼン。その魔女と遊んだ孫のダークが、同じく不思議な力を持っていたと考えるのは不自然じゃない。

「ゼンさんって、ルーマニアの人? 孫のダークはもしかしてダーク=カルロ?」
「人間の国のことはよく知らないが、名前はそんなだった」
「うわぁ〜」

 急に頭を抱えた鈴世に、マリンカは目を丸くする。

「鈴世? どうした?」
「ううん。世界って狭いんだなぁと思って」
「?」

 きょとんと鈴世を見るマリンカを見ていると、どうやら本当に気付いていないようだ。西の魔女が企てた陰謀劇の中で復活した瞑王、その戦いのさなか失われた2千年前の王子の末裔が、そのダーク=カルロだということに。

「知っているのか?」

 目を輝かせ、身を乗り出してくるマリンカに、鈴世は「やはり」と自分の考えが間違っていないことを確信する。
 魔界でも、瞑王ゾーンとの戦いの細部まで知る者はごくわずかだ。鈴世だとて、姉が渦中にいなければ、瞑王が復活したことすら知らずに人間界で暮らしていただろうし、魂の実を食べて、魂を抜かれた魔界人達の中には、自分が操られていたことすら気付いていないものだっているだろう。マリンカが、あの戦いの詳細を知らないのも無理はない。
 ダーク=カルロが、既にこの世にいないことも。

「う…ん」

 正直にすべて話すのは躊躇われた。どんなに長い時間を生きて来た魔女とはいえ、見た目は鈴世より幼い少女であるし、その内面もまた、外見の通り幼い。人の死を、それも突然の死を告げるのは酷に思われたからだ。

「そうか。ゼンとはサウィンの祭に遊ぶ約束をしていたんだが、あいつも歳だからな。代わりにダークと遊んでやるんだ。ダークは元気か?」
「あ、うーん。えっと」

 瞳をさ迷わせ、意味もなく愛想笑いを浮かべる。
 聡明な鈴世だが、いかんせん人生経験が圧倒的に足りない。こんなとき、どんな言葉を紡げばいいのか、うまい言葉が出てこない。時間稼ぎにお茶のおかわりを注いで、結局出て来たのは事実からは目を反らす言葉。

「今は、遊べないんじゃないかな」

 勢いを無くす魔女に、慌てて次の言葉を投げ掛ける。

「あのさ! 君さえよければ僕と遊ぼうよ! 友達も誘ってさ、ハロウィンパーティしよ?」
「ハロウィン?」
「そう!」

 小首を傾げる魔女に、鈴世はサウィン祭が現代で、ハロウィンと呼ばれていること、仮想してお菓子を食べる日だと説明した。
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