◆ときめきトゥナイト

□ときめき お題外
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■変わってゆくこと 変わらないこと


 最近、周囲が慌ただしい。

 今までだって、平々凡々な生活を送って来たとは言い難い。
 中学に上がってからは特に、目まぐるしい毎日だった。
 恋をして、ライバルの動向にやきもきしたり、彼の言動一つで一日が薔薇色になったり鉛色になったりしたものだ。
 海では溺れ、母には噛まれ、妙な病気に罹り、不良に襲われ…
 アロンに求婚されてからは、益々忙しい毎日だった気がする。俊が命を狙われたり、夢で記憶をいじくられたり。
 揚句の果てに魔界王家の御家騒動の渦中に飛び込むことになり、それすらも定めであったのだと言わんばかりの冥界との戦い。
 ただのどこにでもいる普通の魔界人だと思っていたのに、四界を統べるエレメントの一つを象徴する石に選ばれ、世界の存亡に関わることにもなった。石が失われた今、その力すら超えたと言われた能力は見る影もないけれど。
 慌ただしい、という言葉で片付けてしまうには深刻過ぎる毎日が終わっても、蘭世の毎日は慌ただしかった。
 テスト、学祭、体育祭、恋、友達とのお喋り。
 世界の命運を賭けるような事態にはならなくても、それはそれで深刻で重大な出来事だ。
 普通の、女の子として。



 2年遅れで入学した高校も、一年生の後半はゾーンのお陰で休みがちだった。
 久しく学業からは離れていたため――もともと苦手分野でもあることだし――休みの分を取り返すべく後期はひたすら勉強に明け暮れた。付き合わせて長期欠席させてしまった曜子には悪いことをしたが、お陰で同じく補修組となり、勉強を見てもらっている。
 こんな事もわからないのかと罵倒されながらの勉強会も、曜子とならば楽しい。
 中学から4年。なんだかんだいいながら、お互いを気に入っている。でなければ、こんなに好き放題言い合わないだろう。歯に衣着せぬ、気を置かない付き合い。せれがどんなに貴重な存在か言葉では言い表せない。
 友達はそれなりにいる。親友と呼べる人も。
 かえでや、梢、サリは勿論親友だ。けれど曜子は、それに輪をかけて特別な存在だと思う。
 遠慮なく思うままを語り、ぶつけ、且つ言われることがいっそ清々しいのだ。梢に対しては、ここまで明け透けに言いはしないし、まして言われることはない。彼女にはどこか蘭世を守ろうとする気配を感じる。曜子には、それがない。
 日頃言われる、他人が聞いたら憤慨しそうな乱暴な言葉にも、傷付けようという意思はなく、ただ、そこに信頼だけがある。ここまでは大丈夫というような線引きが、知らずお互いの胸の内に生まれているのだろう。

「あんたねぇぇ」

 半眼で睨まれても、痛くも痒くもない。にこりと笑顔で応じた。

「にやにや絞まりのない顔してるんじゃないわよ! 気持ち悪いわねぇ。ちったぁものを考えてるの? 脳みそつるつるなんじゃないの?」
「ひどーい」

 脳みそがつるつるだと、どうだというのかは実はよくわからない。とりあえず悪口を言われたのだろう事はわかったので抗議はしておく。
 それを知ってか知らずか、曜子は「まったく…」と、笑みを含んだ溜息をついた。

「あんたね、わかってんの? 今度のテストで進級出来るか決まるんだからね。こんなふうに勉強見てやれるのも最後だからねっ」
「え…?」

 最後という言葉に反応して、蘭世が言葉を失う。不安そうに寄せられた眉根に、曜子はぷっと吹き出した。

「ぶさいく」
「あだっ!」

 デコピンされた額を押さえた指の隙間から、恨めしげに陽子を見上げれば、柔らかい微笑と出会う。決意に満ちた、笑顔に。

「大検を受けるわ。やりたいことがあるのよ」

 揺るがない自信。将来を見つめる、刹那の光。
 定命の時を生きる人間だからこそ見せる光なのだろうか。漠然と今だけ生きて来た蘭世には、その光が羨ましくもあり、怖くもある。

(そういえば、真壁くんも…)

 プロテストを受けると言っていた俊もまた、同じような目をしていた。
 なにも変わらないと思っていた。
 俊と、曜子と自分。
 同じ世界、時代に生まれ、同じ時を過ごした。魔界人だとか、人間だとか、そんなものは些細な違いだと思っていた。お互いが築いて来た友情は、そんなもの関係ないのだと。
 けれど、人間である陽子と、人間として15年間を生きて来た俊と、生まれたときから死なぬ体を持った自分とでは、根本的に「時」に対する概念が違うのだと今更ながらに気付かされた。
 「自分」が、将来何をしたいかなんて、考えたこともなかった。『俊のお嫁さん♪』くらいのヴィジョンしか持っていないのだ。
 俊有りきの自分。俊に対する想いを取ったら、自分には何が残るだろう? 何も残らない。江藤蘭世という個体は、真壁俊への恋で出来ている。それは誇りでもあるのだが、俊に依存しているだけのような自分が恥ずかしくもある。

 黙り込んでしまった蘭世に、曜子怪訝そうに顔をしかめた。怒鳴り付けようと口を開き、何も言わずに口を閉じる。
 お茶受けにと蘭世が持参した手製のクッキーを頬張り、惣に抽れさせた紅茶を飲み干して、コトリとカップをソーサーに戻してから、曜子は改めて口を開いた。

「わたしだって、考えたのよ」

 常ならば、決して口にしたり等しない胸の内。強がりな曜子の、弱い本音の部分。

「正直、あんたと一緒にばかやってるのは楽しいわ。でも、これはわたしの、神谷曜子の人生なのよ。いつまでもぬるま湯に浸かってたら、ふやけて腐っちゃうわ。そんなのわたしじゃない」

 でしょ? とウインク。
 曜子は曜子なりに、蘭世達が奪ってしまった曜子の2年間を取り戻そうとしているのだろう。
 人間の、定められた時を。
 歪められた人生を。

「なんて顔してんのよ。脳天気に笑ってるのがあんたでしょ! 『すごーい、さすが神谷さん!』て讃えなさいよっ」

 強気な台詞の影に、不安な気持ちを押し隠して。その不安を、笑い飛ばしてくれと、曜子が言外に言うのなら。

「そっかぁ、凄いねぇ。さすが神谷さん!」

 蘭世の笑みに、得意げに曜子が笑った。



 春になって、2年に進級した蘭世の周囲はがらりとかわった。
 プロデビューを果たした俊は、部活に出てこなくなり、部員のいなくなったボクシング部は自然消滅。
 俊と並んで歩いていても、後ろから割り込んでくる人物はいない。
 時折、空耳でも聞いたように身構えて、喜々として振り返っては、数瞬後に溜息をつく蘭世を俊は何も言わずに見つめている。俊の視線に気付くと、えへへ…と力無く笑う蘭世の手を、そっと力を込めて握るだけだ。
 そんな俊にしてみても、繋いだ手を手刀で切り剥がしにくる幼なじみがいないのは、どこか物足りない。
 平凡に過ぎていく毎日。
 ここ数年の慌ただしさが嘘のようだ。喧騒に慣れた体には、この平穏が寂しいような気さえする。
 物騒な体質になってしまったと思う半面、寂しいと感じる原因はわかっていた。
 神谷曜子の不在だ。
 日常茶飯事に行われていた陽子とのドツキ漫才がなくなってから、蘭世は静かな学園生活を送っていた。
 日本人離れした容姿と落ち着いた雰囲気が、高嶺の花を思わせる。
 一年の時からのクラスメイトにしてみれば、そんな蘭世の様子は明らかにおかしかった。おとなし過ぎるのだ。覇気がない、ともすれば、生気に欠ける。

「江藤さん、最近元気ないね?」

 クラスメイトにそう指摘されても、どうにも出来ない自分がいた。
 五月病という言葉があるくらいだから、季節柄だったのかもしれないと、後になれば思いもする。しかし、環境が変わっても常に側にいた人々の不在が、蘭世の精神に異常をきたしてしまったのだろう。
 葉桜の頃、蘭世は寝込んだ。

 見舞に来ると言った俊を、出席できる日は出席すべきだと追い返した。プロボクサーと高校生の両立は思うより忙しい。
 そうすると、蘭世には眠る以外にすることがない。鈴世は学校だし、両親に枕許で話し相手をしてくれと頼むには大人になりすぎていた。見舞に来てくれる友人もいない自分の境遇が、ふさぎ込んだ気持ちを余計に暗くする。布団を被っていると、余計に思考は下降線だ。

(う…、泣きそうかも…)

 と、ばぁんと乱暴にドアが開いて、蘭世の布団が暴かれた。丸まっていた蘭世は、急な冷気に晒されて余計に体を縮こまらせる。

「なぁに、やってんのよ!」

 剥いだ布団を抱え、仁王立ちで蘭世を威嚇するのは見慣れた太眉毛。

「かみやさ…」

 驚いて見上げる蘭世に、びしりと突き付けられる人差し指。

「聞いたわよ!五月病なんて繊細な病気にあんたが罹る訳無いじゃない!まぁぁったく、情けないわねっ!」

 勢いよく叱り飛ばされて、蘭世の顔がふにゃりと歪んだ。みるみる潤みだした瞳に、曜子が眉を吊り上げる。

「神谷さん、神谷さぁん」
「ちょっと!何抱き着いてんのよ気持ち悪いわね!」

 言いながらも、曜子は蘭世を引き剥がしはしなかった。寝癖でぐちゃぐちゃの髪をゆっくりと撫でる。

「だってぇぇ」

 だくだくと涙を流す蘭世に、呆れた溜息を吐く。

「さみ、さみしか、ったんだも」
「もうっ! 泣くか喋るか、どっちかにしなさいよね!」
「うわああん」

 呆れながらも曜子は蘭世が泣き止むのを待っていた。ティッシュを箱ごと寄越し、「サイアクよ。あんたの顔」と笑う。

「へへ…」
「ったく…」

 ひとしきり泣いた後、やっぱり蘭世はふにゃりと笑う。緊張感のかけらもない顔に、曜子はこめかみを押さえた。

「馬鹿」
「馬鹿だもーん」
「ほんと、大馬鹿」
「ひどーい」

 頭を小突かれて、蘭世は頬を膨らませた。

「あんた、なんか勘違いしてない?」

 蘭世の視線から逃れるように、曜子は蘭世の隣に回り込むと、とさりとベッドに並んで越しかけた。

「わたしが大学に行ったって、わたしたちの関係が変わるわけじゃないわ。あんたはあんたで、わたしはわたしよ。勿論、わたしがいない間に抜け駆け出来るなんて思ったら大間違い!」

 にや、と曜子が強気に笑う。

「俊のデビューは神谷組が全力でサポートしてるんだから! もちろん後援会長の娘であるこのわたしは俊の一番近くにいられるってわけよ!」
「え、え? 何それ、ずるい!」
「ほほほ!」

 つかみ合いの喧嘩も、久しぶりだ。痛いのに、何故か笑みが零れた。
 暮らす社会が変わっても、これまで培ってきた関係は変わらない。どこにいても、何をしていても。

(だからわたしは、大丈夫)


【あとがき】
書き切れていないと思います。テーマは友情!
曜子は高校中退しないと2部で保健医できないんですよね。同じ設定をどなたか書いてました。二番煎じで失礼。

2009.6.29
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