◆ときめきトゥナイト

□ときめきお題
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44444キリリク
2.キスとキスの間に



 息を弾ませて、走る。
 足に絡まる長いドレスの裾をつまみ、ハイヒールの踵をアスファルトに鳴らしながら。
 視線を上向ければ、すぐに気付いてこちらを振り返る彼がいる。
 なるみを見るとき、いつも優しく微笑んでいる鈴世の瞳が、今日はいつも以上に優しく、愛情に満ちているように見えるのは、気のせいではないだろう。
 もう何年もそばにいて、彼の笑顔は見慣れているはずなのに、こんなにも、胸が高鳴る。

 なるみが鈴世に出会ってからの日数に比べれば、それはほんの十数日。とるに足らぬほどの短い時間。

 鈴世は、
 なるみを忘れた。

 なるみの人生においていえば、本当に短い期間の話だ。何年もしないうちに、鈴世を小突きながら、笑って話せるようになるのはわかっている。
 それでも、永かった。
 あの頃は、一日が、一秒が、あまりに長く、苦しかった。
 道端の石ころを見るのでさえ、もっと感情のこもった眼差しで見るに違いない。そう思えるくらい、あの頃の鈴世は熱のない目でなるみを見た。
 その度になるみの心臓は冷たく凍り付き、ど、ど、ど、と小さく早く震えた。幼い頃に覚えた痛みに、その鳴動は似ている。克服したはずの死の恐怖に似た悪寒が、なるみの背を走った。
 今もまだ、振り返る彼の瞳を見るのが怖いときがる。あの痛みの記憶が、条件反射のように、なるみの心臓に小さな刺を刺す。その刺は、氷で出来てでもいるように、次の瞬間鈴世のおひさまのような笑顔に触れて跡形もなく溶けて消えてしまう。あとに残るは、ただ、朧げな痛みの感覚だけ。

「なるみ?」
「え?」

 深刻な表情で押し黙っていたなるみの顔を、いつの間にか鈴世が覗き込んでいた。

「疲れた?」

 そう問い掛ける声も、瞳も、優しくて、優し過ぎるほどに甘い。
 なのに何故、いつまでも自分は、そこにあの時の彼を重ねてしまうのか。

「ううん!」

 残像も、痛みも、掻き消そうと勢いよく首を振った。宙に舞ったミルクティー色した髪が、重力に引かれて落ちるより早く、鈴世はなるみの頬を両手で挟み上向かせる。揺れる瞳をじ、っと真正面から見詰めて逃がさない。

「鈴世く…」

 なるみが口を開く。戸惑うその唇が「放して」と赦しを請う前に、彼にしては乱暴な口づけで、その言葉を封じた。
 まさぐるように髪に手を潜らせ、背中を抱き寄せる。

 放さない。
 放せない。

 黒妖精の魔術にかかっていたとはいえ、本意ではなかったとはいえ、鈴世がなるみを忘れ、傷つけたことは事実だ。
 そしてまた、その事実は、鈴世自身をも深く傷付けていた。
 二重人格事件然り、超自然科学研究所での事件然り、鈴世はなるみを、傷付けてばかりいる。口では守るといいながら、そのくせ最後にはいつも彼女に助けられているのだ。

 情けない。

 太陽の下の自分と、月明かりの下の自分。
 そうありたいと願って作り出された人格は、果たしてどちらであったのか?
 相反するようでいて、自己顕示欲の強さや、嫉妬深く独占欲の強さは同じ。
 幼い心では受け入れられず、あの時ふたつに別れてしまった<自分>は、今はひとつにまざりあい、自分の中にある幼い欲求とも向き合えるようになった。
 ならば、魔術にかかった時に生まれた人格は?
 鈴世の人生の大半を占める、占めていたはずのなるみという存在をすっぽりと切り落とした、あの時の自分はなんだったのか。
 魔術に、呪いによって、大切な想いを封じられていた、と考えられるなら楽だ。
 けれど自分は知っている。自分の中に、あの魔術に打ち勝つだけの力があったことを。事実、鈴世はこうして生きているではないか。

 心のどこかで、
 望んでいたのではないか?
 王たる自分の未来。
 姉が拒み、義兄が捨てた、至高の階段を。

 頭の片隅で、
 想像したことがないと言えるのか?
 魔界人として正しく生き、最良のパートナーを得るためには、彼女への気持ちが邪魔だと。

 否定はしない。
 おそらくは全て、あれら事件の全てが、鈴世自身が心の奥底で望んでいたこと。鈴世の心の緩みが招いた結果だ。
 だが、逆に、それら全ての前提に、鈴世がなるみに抱く想いがあるということは、鈴世の半生に記憶になるみがいるということは、少なくとも今の鈴世を造り出したのはなるみだということではないのか。
 ふたつの人格を持て余し、うちから爆ぜ割れようとしていた14歳の鈴世を救い、ふたつの人格を生み出したのは彼女だ。彼女への想いが、欲望が、二人目の鈴世を生んだと言い換えてもいい。
 二人の鈴世をひとつの体に定着させたのもまた、なるみだった。
 あれが全ての始まりだったのだ。
 彼女に恋い焦がれ、触れることを怖れながら、彼女の全てを望んだ。
 ただ一緒にいられれば満足できた、子供の頃とは違う。
 傷付けたくないと思いながら、一生消えぬ傷を、彼女に残したい。彼女の体に刻み付けたい。自分の、証を。
 そんな心が、全てのことの始まりだった。

「なるみちゃん」

 唇を放したとき、なるみはぐったりと、のぼせた頭を預けて来た。
 こんな口づけ、中学生には早過ぎる。
 へたりこみそうな なるみを抱きしめて、鈴世は彼女の耳元に囁く。無邪気で、あどけない、子供の純粋な残酷さで。

「なるみちゃん、大好き」

 肩にあたるなるみのおでこが、ぐりぐりと鈴世の肩に押し付けられた。
 照れているのだろう。なるみの様子が手にとるようで、鈴世は笑う。それから、まだまだこれからだと意地悪げな笑みを浮かべた。
 仮面を変えたように、瞬間的に鈴世の表情が変わる。肩からなるみの顔を上げさせて、見詰める瞳は大人の色香を漂わせていた。

「なるみ、愛してる」

 ぷしゅーと湯気を上げそうななるみに、鈴世はふっと目を細める。
 赤い木の実を小鳥が啄むように、真っ赤な頬にキスをする。順に位置をずらして、最終的に唇に。

「ずっとずっと、一緒にいよう」

 今日だけで二度目のプロポーズ。
 出会った日から決めていたんだ。彼女は自分のものだと。そして自分は、自分にそう思わせる彼女のものだと。

「もう離さない」

 額を、頬をすりあわせ、何度も啄むように口づけて。ふたりは甘い幸福のくすぐったさに、くすくすと喉を鳴らして笑った。
 学校からそう遠くない緑地公園。チャイムの音は無遠慮にふたりの笑い声を上書きしていく。

「点呼はどうするの? 委員長?」

 くすくすと笑いながら、いじわるしたくて問う。着替えも鞄も学校に置きっぱなしだ。だけど今更戻れない。鈴世はそう言うに決まっている。
 鈴世は少し考えるそぶりを見せて、に、と口角を上げた。それから、やたら芝居がかった仕種でありもしない腕時計を見る。

「大変だ! 早く戻らないと!」
「え? きゃっ」

 なるみの腕を引っ張りあげて一度ぎゅっと抱きしめて、すぐに放した。
 なるみの滲んだ口紅を親指で拭い、自身の唇も手の甲で拭った。

「戻るよ」
「戻る、の?」

 目を丸くしているなるみに、にこりと頷く。
 まさかそんなことを言い出すとは思っても見なかった。

「だって僕、委員長だし」

 それはそうだが、今戻ればからかわれるに決まっている。明日からは代休の二連休だし、ほとぼりが醒めてからでもいいではないかとなるみは思っていたのだが…

「主役抜きの打ち上げなんて、つまらないしさ」
「自分で言いますか…」

 手を引かれるままに歩き出す。呆れるなるみだが、鈴世は頗る上機嫌だ。
 鈴世には、鈴世なりの思惑があった。
 自分がなるみを忘れていた数週間、なるみが(主に男子に)どんな目で見られていたのか、鈴世は幸太から聞いている。
 ロミオとジュリエットは死を以ってふたりの仲を世間に認めさせたが、鈴世となるみは違う。生きて、認めさせねばならない。
 だから、帰る。
 堂々と、真正面から。
 からかわれたって構うものか。鈴世がなるみを想う気持ちに嘘はないのだから。好き合うふたりに、何を言ったところでそれはやっかみ以外の何物でもなく、鈴世の耳にはそれらすべてが称賛の言葉に聞こえる。

 則ち、愛の勝者への…―



2010.1.21


原作が手元にないままの執筆となりました。一人称あってるかな??
リクエストは2部終了直後の二人、ということでした。そのまま教会ってパターンをどなたか書いていましたが、わたしは学校へリターン。
腹黒鈴世はふたりの仲を再周知させに戻りました。厚顔な彼は、野次ややっかみなど涼しい顔で跳ね返しますから、周りの連中もからかい甲斐がありません。
体育館から逃走した二人を、新聞部や映研がビデオに録ってそうだと思う。
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