ドラクエ3

□明けぬ空を背負って(本編2)
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27.春を待つ種

 ランシールでの冬越しは多少の変更を強いられたものの概ね計画通り進んだ。
 船の修繕は思いの外手がかからず、春風を待つばかりだ。
 懸案であった宿泊地についても、セイの交渉で酒場の用心棒として使用人部屋を確保した。
 とはいえ、さすがに5人全員を雇ってもらうわけにはいかず、ディクトールは教会兼診療所を住み込みで手伝うことになり、レイモンドは地下組織に挨拶に行った後、なにをするでもなくぶらぶらしている。どこに寝泊まりしているのかはっきり言わないが、女のところを点々としているに違いない。
 それぞれが思い思いに生活するようになったわけだが、それでも二日に一度はセイとアレクシアが用心棒を、リリアがウェイトレスを務める酒場に集まって夕食を共にするのが習慣となっていた。

 酒場の用心棒というと、酔っ払い同士の喧嘩の仲裁くらいにしか考えていなかったアレクシアは、実際に仕事を始めたセイを見て驚嘆したものだ。
 実際には酔客同士の喧嘩などそう起きるものではない。皆が顔なじみで、その日の疲れを癒すために楽しく飲みたいと思っているからだ。
 気を付けねばならないのは、酔客相手のスリの方である。とはいえスリのほうも心得ているから店の中では仕事をしない。店からある程度離れてしまえばセイとしても警護の範疇外だ。スリはスリで同じ客は狙わないし、度を越して取るということもない。度を越せば、店や公的機関が黙っているわけに行かないことを知っているからだ。

 ようは警護なのだからと真面目にとらえ、腰に愛用の長剣を吊し、壁に背を預け腕組みして立っていたアレクシアは初日から酔っ払いに絡まれた。
 身長だけは並の男に引けを取らないが、女なのだから線が細い。一見性別がわからない美少年がこれみよがしに剣を吊している姿は、酔客にとっては格好の餌食だ。からかい、野次を飛ばすだけならまだいいが、悪ふざけの過ぎる酔っ払いは「女じゃねぇのか」と触りにくる。
 用心棒自らが騒ぎを起こすわけにもいかず、引き攣った愛想笑いで手をかわしていたが、二日目からは懲りてセイに倣った。
 セイは、どこをみるでもなく、いつも一見ぼんやりと酒場の隅に座る。酒場全体を視野に納める為なのだが、アレクシアも言われるまで気付かなかった。
 愛用の戦斧は持たず、幅広の分厚い短剣だけは持っていたが、あとは武器らしいものは持たない。それさえも、上着の下に目立たないように、しかし見るものが見ればすぐそれとわかる程度に、腰にたばさんでいた。
 客に紛れるようにジョッキを前に置き、にこにこと人の善い笑顔を常に浮かべているセイは、直ぐさま場に溶け込んだ。馴染みの客と仲良くなり、どの客が安全でどの客がそうでないのか、すぐに把握してしまった。
 酒を舐めるようにジョッキを傾けながら、セイはアレクシアに客ひとりひとりを説明して聞かせたが、赤ら顔の酔っ払い中年など、アレクシアには皆同じに見える。
 素直にそう漏らすとセイは微かに笑って言った。

「おまえに客商売は向かないな」
「そう思う」

 そうしている間にも、馴染みの客がやって来て、定位置に陣取る。セイの大きな背中を叩いたり、陽気に声をかけてくる連中がほとんどだ。セイもそれに笑顔で応じていた。
 人を威圧する大きな体も、人懐っこい陽気な笑顔の下にあれば、懐深い、マスコット的な安心感を与えるから不思議だ。
 思えばアレクシア自身、この笑顔にどれだけ助けられたか知れない。性別を気にせず、仲間に入れてくれた子供時代。否応なく二次成長を迎え、女であることを自覚した時も、セイは変わらぬ態度で接してくれた。振り返れば常にそこにあった笑顔。たじろぎ、時に俯き下がりそうになったアレクシアが、前を向いて歩いてこられたのは、すぐ後ろで背中を支えてくれたセイの存在あってのことだ。

「なんだよ」

 つい、見詰めていたらしい。ジョッキ越しに尋ねられ、アレクシアは頬を赤くする。

「べつに」

 照れ隠しにピーナッツをひとつかみ口に放る。ばりぼりとピーナッツを咀嚼するアレクシアを、セイはわざとらしくにやにや眺めた。

「なんだよっ」

 先程の恥ずかしさも合まって、アレクシアはぶっきらぼうに言う。セイはますますいやらしく笑って、アレクシアに顔を近付けた。

「オレに惚れた?」
「はんっ」

 鼻で笑ってでこぴんをかます。赤くなったおでこをさすりながら、セイは体を引っ込めた。

「も少し恥じらうとか慌てるとかないのかよ」

 苦笑しながらセイが言うと、アレクシアはとことん呆れた冷淡な目を幼なじみに向けた。

「ない」

 きっぱりはっきり切り捨てる。ことセイに対しては、一欠けらの遠慮もないアレクシアだ。
 あらら、と脱力して見せるセイに、アレクシアの口許に笑みが浮かぶ。

「リリアに言ってやれよ。そういう台詞は」

 芝居がかったセイの余裕の表情が素に戻る。テーブルに突っ伏した姿勢のまま、恨めしげにセイはアレクシアを見上げた。

「…言うようになったね。おまえも…」

 呻くセイに、今度はアレクシアがにやりと余裕の笑みを見せる。

「人間は日々成長する生き物なのだよ」
「あ、そう…」

 …の割には、何年も前から変わらない部分もあるようだが…

「どこ見てる」
「いてぇっ!」

 ドゴンっと威勢の良い音が、セイの後頭部とテーブルで上がった。アレクシアの肘が、セイの頭の上に落ち、セイはテーブルに額を強打したのだ。
 悶絶するセイを尻目に、アレクシアはふんっとひとつ息を吐いて椅子から立ち上がる。
 酒場の席はあらかた埋まっていた。そろそろ真面目に仕事を始める時間だ。

「遊んでると、店主に睨まれるぞ」

 わざとこぶのある辺りをはたいて、アレクシアはセイの側から離れた。くぐもった苦情が聞こえたが、聞こえなかった振りをする。
 カウンターの奥から姿を見せたリリアと、アレクシアは軽く手を合わせて挨拶を交わす。アレクシアの目配せだけで大体の事情を察したリリアは、アレクシアと入れ代わりでセイのいるテーブルにやってきた。

「なにやってんだか」

 教えたわけでもないのに、今しがたアレクシアがはたいた箇所を、リリアも叩く。それもアレクシア以上の力で。
 こぶを摩りながら、うらめしそうに目だけでセイはリリアを見た。ぶちぶち口の中で文句らしきことも呟いてみるが、銀色のトレイを胸に抱いたリリアが、じろりと視線を動かしたのを期にぴたりと止まる。ふん、と鼻を鳴らして、リリアはセイから視線を転じた。

「ねぇ…」
「ああ?」

 リリアが見ているのは壁に背を預けて立つアレクシア。長剣こそ帯びていないが、いつもと同じ男物の衣服を身につけている。それなのに、受ける印象が先日までとは明らかに違うのだ。
 リリアの視線を追い、セイもそこにリリアと同じものを見る。
 リリアが言わんとしていることは理解できた。

「髪型のせいじゃないか?」
「そうかしら?」

 納得いかないという顔で呟き、リリアは記憶を反芻する。
 あの日、冬の逗留先と決めた宿を一夜で追い出される羽目になった日の夜。


 リリアは、久し振りの動かないベットを堪能しようと決めていた。今度はまた、いつちゃんとした宿に泊まれるかわからないのだ。海上では水の使用が制限される為、湯舟にもつかれなかったから、女中にチップを渡して沐浴の準備もしてもらった。
 湯にエジンベアで購入した薔薇の香油を垂らし、髪も洗って肌もつやつやに磨いた。アレクシアも誘ったのだが、アレクシアは素振りをしてからにするといって出ていってしまった。
 アレクシアが毎日剣の稽古を欠かさないことも、何やら悩んでいるようなのも知っていたので気に留めなかったのだが、浴槽の湯が水に変わり、すっかり冷たくなってしまっても戻らないアレクシアに、さすがに異変を感じ、リリアは向かいの部屋のドアを叩いた。

「セイ」
「どうした?」

 夜は随分更けていたが、中からはすぐに応答があった。
 ドアを開けるや、セイは一瞬躊躇したものの、無言でリリアを部屋に招く。夜半であることを考慮してドアは閉めたものの、セイはリリアを戸口に留めたまま、数歩の距離を保った。
 セイが下がったので室内が一望できるようになると、リリアは何故最初セイが躊躇したのかを悟った。不自然に開いた距離の訳も。
 ディクトールが、いない。
 さして広くもない室内に、セイとリリアのふたりだけ。
 数週間前の記憶が脳裏に蘇り、リリアの頬に熱が昇った。

(なんでこんなときに思い出すのよ? あたしのバカ!)

 船上でのキス。意味深な態度。好意を持たれているのはわかる。少なくとも嫌われてはいない。なら、自分は?
 古代語を理解し、難解な数式を読み解く事の出来る明晰な頭脳も、こんなときばかりはなんの役にも立ってくれない。
 何をしに来たのかは明白で、いうべき事はわかっているのに、夜の室内にセイとふたりきりという状況がリリアから判断力を奪った。
 退路が絶たれた訳ではない。セイはわざと距離をあけて、リリアを戸口に立たせたのだ。

 逃げられる。
 逃げる?
 どうして?
 春まで時間はある。
 待ってどうする?
 春になったらどうなってしまうの?

 変化に対する期待と不安が、リリアの頭をぐるぐるとまわる。
 言葉を失って立ち尽くすリリアに、セイはふっと息を吐くようにかすかに笑った。

「夜ばいか?」

 精一杯冗談めかしてウインクすると、セイは「いやぁん」と自分で自分を抱きしめた。はっきりいって気色悪い。だが、茶化されたお陰でリリアは絡まった思考に糸口を見出だす事が出来た。

「ばか」

 こちらも思い切り白けた表情を作って言い放つ。
 セイは苦笑して腕を解いた。リリアもつられて微苦笑をもらす。

「アルが散歩に行ったきり帰ってこないの」

 行き先を知っている様子はなさそうだが、この時間だ。伝えておくに超したことはないだろう。

「そういや、ディクトールの奴も戻ってないな」

 今更のように呟いて、セイとリリアは顔を見合わせた。

「「………」」

 ディクトールがアレクシアを異性として意識していることはアレクシア以外の全員が知るところだし、レイモンド参加以来ディクトールの様子がおかしいのも確かだ。アレクシアもどこか変わった。
 ごくりと唾を飲み込み、セイが低い声で呟く。

「まさか…」
「馬鹿いってんじゃないわよ」
「まだ何も言ってねぇよ」

 リリアはばっさりと切り捨てたが、ひとつの可能性としては否定しきれない。
 つまり、ディクトールが、アレクシアを…

「セイ!」
「痛ったーっ!!」

 勢いよく開いたドアにしたたかに後頭部を打ち付けリリアが叫ぶ。
 しまったという顔でうずくまるリリアを見たのは、ディクトールその人だった。

「ご、ごめん! リリア。大丈夫? え? なんでこんなとこに…」

 勢いよく駆け込んで来た事も忘れて、あわあわとリリアのこぶにホイミをかける。
 呻いているリリアには悪いが、笑いを噛み殺してセイは幼なじみに言った。今はリリアのこぶより気にかかることがある。

「ディ、おまえどこ行ってたんだよ。アレクは? 一緒じゃないのかよ」

 ディクトールははっと息を飲んだ。
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