ドラクエ3

□明けぬ空を背負って(本編2)
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26−2

 レイモンドは戦っている。
 ただがむしゃらにアサシンダガーを振るい、時に腰に束ねた錨付きの鉄鞭で敵を薙ぎ払いながら、ひたすらに前へと進み続けた。
 切り裂き、焼き払い。
 自らが傷付く事も厭わず戦い続けた。
 何と?
 そうだ。自分は今、何と戦っている? 何の為に?
 累々たる屍のただ中に立ちすくみ、魔物の体液にまみれた手を見詰める。
 血に汚れた手。
 己の人生そのままを表すかのような、血にまみれた両の手。
 ごし、と衣服にこすりつけてみても、べっとりと張り付いた粘性の体液は容易に落ちるものではない。

「…ふ、くくく…」

 喉の奥から笑いが込み上げてくる。自らを嘲笑う狂気の波動が。
 額を覆い、口を押さえても、一度沸き上がった感情を抑えることが出来ない。わずかに残った正気が、笑うなと、狂気に呑まれるなと警告を発している。けれどレイモンドは喉を震わせ、涙を流しながら、溢れてくる感情を堪えることが出来なかった。

 忘れるには新し過ぎる、惨劇の記憶。
 自分を除いた仲間の全てが血肉の塊となり地べたに転がる。虚ろな眼球が、生あるレイモンドを恨めしそうに見上げていた。
 安穏とした日常は、かくも簡単に地獄へと変わるのだ。

 そんな目で俺を見るな!
 俺が悪いんじゃない!

 唯一人、生き残った事への罪悪感が、レイモンドの心を苛んでいる。まるであの惨劇を引き起こしたのが自分自身であるかのように。
 罪人サイモンを夫に持ったがために、死んで行った母の姿が思い浮かぶ。
 王命に逆らい、成す術なく死んで行った仲間達の無惨な死に様が脳裏を過ぎる。

 そして、祈る神に裏切られ、生きたまま炎に焼かれた同胞の姿が。
 天から振り下ろされた雷。呼応するように噴き上がった熔岩。地上の全てを飲み込む津波。
 逃げ惑い、泣き叫び、あるいは諦め地にへたり込み、人々は見放されたことも知らず神の御名を唱えた。神の使徒たる彼の人の名を叫んだ。
 人々の祈り――呪詛にがんじがらめに絡め取られて、レイモンドは唯神を呪った。それ以外に出来ること等なかった。いかに神より授かった超上的な力があろうとも、レイモンドは人間に過ぎなかったのだから。

(俺に、何を望んだんだ。俺なんかに、あんたらは、何を…)

 助けたかった。
 自分の無力を呪った。
 絶望の中で、レイモンドもまた無力な人々と同様に、唯死に逝く己を見詰めていた。
 今も、同じ。
 迫る魔物の牙と爪を、緩やかに訪れる死を、レイモンドは当然のことのように見詰めている。受け入れようとしている。

 死は、いかなるものにも平等に訪れる、責め苦からの解放なのだから。

「レイ!!」

 柔らかな衝撃がレイモンドの体を突き飛ばした。今まで彼のいた場所に、鋼の長剣を手にした華奢な影が躍り込み、レイモンドに迫っていた魔物の牙を切り飛ばす。

「!?」

 俄かに、レイモンドの意識が現実に引き戻された。瞬時に現状を把握する。現れた剣士に肉薄する魔物を、横合いから蹴り付けた。

「なんで、お前」
「お前こそ!」

 切り結びながらの問いかけは怒鳴りあいに近い。
 ちらりと視線を交わしたきり、アレクシアとレイモンドは背中合わせに対峙した。盾と鎧を持たないアレクシアの防御の薄さを、レイモンドの手数の早さが補い、敵を牽制する。レイモンドの作った隙をついて、アレクシアの強打が一匹ずつ確実に敵を仕留めていった。
 剣劇の音だけがしばしその場を支配し、やがてその音が止んだとき、石畳の広間には動く魔物の姿はなくなっていた。
 さすがに弾んだ息を整え、どっと溢れる汗を拭いながら、アレクシアとレイモンドは互いの体重を互いの背で支える。
 乱れた息が調ってくると、どちらともなく体を離して歩き出す。申し合わせたように、同じ方向へ。
 歩きながら、レイモンドは懐から水袋を取り出し一口含んだ。見もせずに隣のアレクシアに放ると、ナッツ類を蜜で固めた菓子をふたつ取り出し、ひとつを隣に放る。
 アレクシアはそれを何も言わずに口に入れた。蜜の甘さが疲れた体に染み込んで、埃を吸い込んでいがらっぽかった喉が潤う。歩きながらではあったが、疲労感はいくらか拭えたように思う。
 水袋をレイモンドに返しながら、アレクシアは前を見続ける青年に話しかけた。

「お前一人か?」

 レイモンドはちらりとアレクシアを見、意外そうに眉を上げた。

「入口で神官に会わなかったか?」
「覚えがない。気付いたら、ここにいたんだ」
「ふ、ん…」

 鼻を鳴らすように頷き、微かに首を傾げる。そんなレイモンドの態度が気に入らず、アレクシアは眉を寄せた。

「なんだよ?」
「いや…」

 もしかしたら、神官が席を外しているうちにアレクシアが迷い込んだのかも知れない。少なくともアレクシアが嘘をついているようには見えなかった。第一、そんなことをする意味がない。
 訝しげにレイモンドの横顔を見詰めているアレクシアに、いたたまれなくなってレイモンドは一音節ずつ区切るように「なんでもない」と言った。切って捨てるような言いように、アレクシアはむっと黙り込む。
 互いに情報を交換し、事態の把握に努めるべきなのだが、レイモンドを前にするとどうも客観的かつ冷静な行動が取れなくなるアレクシアである。苦手だと内心で呟き、といって別行動を取るわけにもいかず、ただ黙ってレイモンドの隣を歩き続けた。
 レイモンドのほうでも、アレクシアに対しては必要以上に絡む傾向にある自分を自覚していた。表面上だけであれ女には優しく接する。自身の容姿も合間って、それが有効であることを経験で知っている。だからこそ実行して来た。例外なくだ。にも関わらず、アレクシアを見ると心に漣が立つようで苛々する。他の女にするように、優男の仮面を被って対することが出来ないのだ。

(ちっ)

 小さく舌打ちして、レイモンドはアレクシアを見た。
 相も変わらぬ男物の旅装束。多分それが気に入らないのだ。女が男の振りをして、勇者だなどと祭り上げられているから。

「お前、いつまでそんな格好してるつもりだよ」

 苛々した気分そのままに言葉を口にする。急にそんな事を言われたアレクシアも訳がわからないと不愉快そうにレイモンドを見た。

「は?」
「だから、男装はやめたんじゃなかったかって話!」
「別にいいじゃないか。着られなくなったわけじゃなし」

 唇を尖らせアレクシアが言う。妙に貧乏性なところがあるらしい。確かに、パーティの財政は豊かではないのだが。
 では着られなくなれば良いのかと、レイモンドはじろりとアレクシアを見た。抜刀さえされなければ、否、今歩いているアレクシアは隙だらけで、衣服を剥ぐくらい簡単に出来そうな気がする。ずたずたに裂いてやれば、こいつは服装を改めるのだろうか。
 左手をアレクシアの肩に伸ばしかけ、レイモンドはその腕を壁に叩き付けた。驚き目を上げるアレクシアに、更に舌打ちする。

「おまえ…」
「?」

 少しは警戒したらどうだと、忠告してやるのも自分がアレクシアに女を感じているようで癪にさわる。

「なんでもない」
「変なやつ」
「うるせぇな。階段だ。下りるぞ」

 松明を掲げて足音も高く石段を下りる。下りた先も変わらず石造りの細い通路が続いており、代わり映えのない景色にレイモンドは歯噛みした。通路は二人で並ぶには幅が狭く、レイモンドが前を歩く。

「…なぁ、どこに向かっているんだ?」

 暫く歩いて、何度めかの魔物を退けた時、アレクシアが問うた。首を巡らし一瞬アレクシアを見たものの、直ぐさまレイモンドは視線を反らす。

「知らね」
「は?」

 今日はこればっかりだ。問えばレイモンドは舌を打つ。

「お前こそ何しに来たんだよ!」
「わかんないよ! 気付いたらここにいたんだから!」
「それがわかんねぇってんだよ。なんで気付いたらダンジョンなんだよ!」

 状況を把握したいだけなのに、何故こうもすぐに苛々とした口論になるのか。

「知らないよ! ディと散歩してたはずなのに、気付いたらひとりだったんだから!」
「ディクトールと? ふたりで?」

 足を止め、目を剥いたレイモンドに、アレクシアも足を止める。何故か後ろめたいような気がして、わずかに目を下向けた。

「そ、そうだよ。眠れなくて…」
「ふぅん?」

 父親に外泊の言い訳をするとしたら、多分こんな感じに違いない。とアレクシアは思った。落ち着きなく視線をさ迷わせ、掌にかいた汗をぎゅっと握り込む。
 刺すような、軽蔑するような、冷たい視線が痛い。どうしてレイモンドがそんな風に自分を見るのかも、何故レイモンドにそんな目で見られるのが痛いのかも、アレクシアには解らない。ただ、痛くて、次第に腹が立ってきた。

「だいたい! おまえが!」
「あぁ?」
「おまえがあんな事言うから! そんで勝手に居なくなったりするから、気になって、眠れ、なく……なんでもない!」

 ぷいとあらぬ方に視線を反らし、面白いものでも見るように含み笑いをしているレイモンドを脇に押しやる。
 さっきまで不機嫌だったくせに今は笑っている。振り回される自分も訳がわからなければ、浮き沈みの激しい男の感情にも着いて行けない。
 後ろではくっくと喉で笑うレイモンドの気配がして、アレクシアはそれから逃げるように足を早めて歩いた。
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