ドラクエ3
□明けぬ空を背負って(本編2)
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昼間、騒ぎの原因になったレイモンドの言葉が思い出される。
神の御名など称えなくとも、魔法は発動する。
彼は言った。術として理論が組み立てられており、それを発動させるだけの魔力があれば、神の御名を称えずとも魔法はその威力を発揮するのだと。
(――…あ)
考えてみれば、アレクシアはあれ以来神の御名を称えたことがない。拒絶反応とすらいってもいいだろう。ミトラの名を讃えることも、それに因って得られた力に縋ることも、体の中の血が、更にはそこに刻まれた魂の記憶が、とにかく拒み嫌悪している。
アッサラームであの夢を、神が焼き尽くした世界を見て以来。
(あ…)
脳裏に蘇る映像は、夢なんて曖昧で生易しいものではなかった。
自分は、識っているのだ。
あれは、実際に自分が体験した破壊。
「アル!」
ぞくりと背中を走った悪寒に我が身を抱きしめる。それでも悪寒は治まらずに、アレクシアは吐き気を覚えた。
ぐらりと傾いだアレクシアに驚き背中を摩るディクトールが、神の聖句を唱えようとするのをアレクシアは身をよじって止めた。否、拒んだと言っていい。
「大、丈夫」
「大丈夫って顔色じゃないよ。アル、いったいどうしたの?」
アッサラームでディクトールの手を跳ね退けた時と同じ嫌悪感がアレクシアを襲う。
神が嫌だなどと、神官であるディクトールには、説明することすら憚られた。
絶対だと、守り導いてくれると、信じていた神に裏切られる。
神官の彼にしてみたら、その発想自体が有り得ないだろう。
ましてそれを自分は体験したのだと、だから自分は神を嫌悪しているのだと、どうして言えるだろうか。言ってみたところでどうやって信用させる?
自分なら信じない。困惑し、悪夢を見たのだと諭すだろう。
きっと、ディクトールもそうする。そんな風に彼を困らせてしまうのも、諭されるのも、アレクシアは御免だった。
「すまない。ディ。でも、もう大丈夫だから」
肩を支えようとする幼馴染の腕を押しやって、アレクシアは無理やりに顔を上げた。まだ顔色は蒼白だが、気力を振り絞ってなんでもない風を装って微笑む。
「何の話だったっけ。ああ、そうだ。詠唱だよね」
まだめまいがする。それでも、様子がおかしいことを悟られないように、歩き出す。
「・・・うん」
無理矢理な話題転換。あからさまな拒絶。
気遣われたくないのだと全身で主張しているアレクシアの姿が、どう映るのか、彼女は自覚していないのだろう。
(僕には何もいえないってわけか)
アレクシアの半歩後ろにつき従いながら、ディクトールは自嘲の暗い笑みを唇の端に浮かべた。
呪文についての新説は、真実であったとしても今の状況から逃れるための方便にしか聞こえない。
なぜ、その矛盾を突きつけて、彼女に真実を迫ることができないのだろう。なぜ、この半歩を詰めて隣に並ぶことができないのだろう。
互いに一見高尚で有意義な意見交換を交わしながらも、その実中身のない会話を続ける。話のネタが尽きてきたころ、アレクシアたちの前に、その建物は突然現れた。
「・・・神殿?」
白い石壁、香の馨り。しんと静まり返った清涼な空気。しかしそこには、濃密な大地の精が立ち込めている。
「ガイアの?」
ランシールにあることは知っていた。けれどその場所は信徒にすら秘密で、限られた一部の人間しか立ち入ることを許されていないという。
興奮を抑えきれないという顔でアレクシアを見たディクトールは、次の瞬間言葉を呑んだ。夢の中にいるような空ろな瞳をして、アレクシアはここではないどこかを見ている。透明なその横顔は、これまでディクトールが見たことのない、女神のごとき清廉な美しさであったからだ。
「アル?」
およそ現離れしたアレクシアの様子に恐ろしくなって声をかけてみても、案の定アレクシアからは応答がない。
まるで神を降ろした巫女のようだ。それほどにアレクシアの瞳は空っぽで、いつもは星を散りばめた様に輝いている夜空色の瞳も、今は闇の深淵を覗くように静かで、何も写してはいない。
「・・・ト・・・」
「え?」
アレクシアの桜色の唇がもらした聞きなれない音節に驚くよりもなによりも、その音を発したときの彼女の表情にぎくりとする。
恋しい男を想う、甘い笑み。
それが例え何かに操られた状態であったのだとしても、彼女にそんな表情をさせる男が許せない。妬ましくて、悔しくてならない。
アレクシアが、恋する瞳で見る男がいるのだとすれば――
(レイモンド!!)
真っ先に浮かんだ金髪の青年。斜に構え、何を考えているのか掴みどころのない、あの協調性のない男!
(いやだ!)
妄想を振り払い、夢遊病者のように歩いていってしまうアレクシアに腕を伸ばす。小走りに駆け寄って、前に回ってアレクシアの歩みを止めようと肩を・・・
(え!?)
掴もうとした手はアレクシアの体を擦り抜けた。瞬きをした瞬間に、アレクシアはすでに数歩先にいる。
「アル!」
喉が裂けんばかりに叫び、腕を伸ばすディクトールを振り返りもせずに、アレクシアの姿は霧に溶けるように壁の向こうに消えた。