ドラクエ3

□明けぬ空を背負って(本編2)
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25.累卵之危
(卵を積み重ねたように崩れやすく、きわめて不安定で危険な状態にあること)なんか違う気もするが…

 騒ぎの中心となったよそ者は、黄金色に光る丁寧な詫びを入れることでその日のうちに追い出されることだけは免れた。ちなみに、騒ぎの現況である金髪の青年の姿はここにはない。反省して自ら出て行ったのではない。騒ぎに乗じて姿をくらませたのだ。十中八九、色町にでも行ったに違いない。

「レイのやつ、オレにも声をかけていけってーの。うぐっ」

 足にリリア、みぞおちにアレクシア。ほぼ同時に入った。
 体をくの字に曲げて涙を浮かべているセイを、ディクトールは哀れむというよりは呆れ顔で見ている。

「お、お前ら…冗談って言葉知ってるか?」
「知らん」
「あんたのは冗談に聞こえないのよ」

 ふん、と鼻を鳴らすリリア。彼女が不機嫌になるのはわかるとして、アレクシアが怒る理由が見当たらない。否、ディクトールには心当たりがあった。しかしそれを聞くのも怖い。神官の心臓にずきりと痛みが走った。けれど彼は、その痛みにすら気づかない振りで、当のアレクシアに話しかける。

「――で、どうしよう? 明日からどこに泊まる?」
「うん…」

 床にうずくまっているセイには見向きもせずに、アレクシアは顎に手を当て思案をめぐらせる。しかしすぐに手を解いてお手上げと肩をすくめた。
 ドックにいるマルロイにはどの道連絡しなければならないだろう。宿を探そうにも町の地理には疎い。

「とりあえず、明日の朝ドックに行ってみよう。最悪船の中で寝泊りになるけど、船が揺れないだけましだ」
「ま、そうなるわよね」

 酒場の騒ぎで路銀もかなり使ってしまった。ドックの自分たちの船にいる以上宿泊費はかからない。港内で雑用でもやれば船大工や他の船の船員に後ろ指差されることもないだろう。

「変な宿に止まるよりよっぽどましだわ」

 リリアのあきらめた溜め息に、一同は渋い表情で頷いた。




 酒場を騒乱に陥れた張本人、金髪の美青年は誰より先に混乱の中なら抜け出していた。仲間の誰一人として、彼が酒場を抜け出したことに気づいていないだろう。

(冬篭りをするのはごめんなんじゃなかったのかよ?)

 確かに船の修繕は必要だ。だからといってこんな何もない島国へやってくることはなかったではないか。海流の関係というものはわからない。だが、ダーマなら、まだよかった。陸路でオリビアの岬を目指すこともできた。ダーマ聖堂の神儀とやらを受けてみてもいい。こんな田舎では、なにもできない。

「くそっ」

 レイモンドは、自分がなぜこうも苛ついているのか判らなかった。
 オリビアの岬に行ってどうするのか? あんなものは船に乗り込み、アレクシアを信用させるための、ただの口実だったはずだ。
 なのに、今は、そこにいかなければならないような気がしてならない。あの夢の声が、頭の中で囁くのだ。
 今もわけがわからず、ただじっとしていることができなくて、よく知りもしない街中を歩きまわっている。
 苛ついているから歩いているのか?
 違う。どこかへいかなければならないような気がする。
 声がする。
 その声に抗えない。それがとにかく腹立たしい。
 歓楽街にでも行こう。女でも抱けばまだ気がまぎれる。船旅は女気がないから、だから俺はこんなに苛ついているんだ。
 無理やりにそう思い込もうとして、レイモンドはただ歩き続けた。

「なんだ? ここ…」

 気がついたとき、レイモンドは森の中にいた。街からは出ていないはずだ。街を取り囲む石壁は越えなかった。ならばこの森は、街の中にあるということか。

「気に、いらねぇな」

 そこの空気は清浄で、およそ人の生活の匂いがしない。むっとする程の緑と土の匂い。生命力に溢れた静かな場所。どちらかといえば心安らぐ場所だ。その空気が、気配のすべてが、似ていた。レイモンドの見る、あの夢に。
 やがてレイモンドは、石造りの大きな建物の前にきていた。神殿だろうか。そういえばガイアの大聖堂があるといっていた。おそらくこれがそうなのだろう。

「………」

 人を威圧する高い石壁。外のものを拒み、中のものを逃がさない、高い高い石の囲い。
 レイモンドが見つめる先に、一人の神官らしき男が立っていた。




 今後のことを相談した後、アレクシアは眠れずにいた。
 宿屋のふかふかの布団で眠れるのはおそらく当分先になるのだから、しっかり休んで体をいたわっておいたほうがいいのはわかっている。なのにどうしても眠れないのだ。胸の中がもやもやしていて、どうにも落ち着かない。
 目を閉じても睡魔がやってこない。何度も寝返りを打つうちに、隣のベットで眠るリリアを起こしてしまいそうで、アレクシアは眠るのをあきらめた。
 こっそりベットを抜け出して、夜着にマントだけ羽織って廊下へ出る。
 さすがに夜ともなれば冷えるが、我慢できないほどじゃない。星でも見ていれば、きっと気分も落ち着くはずだ。

「アル?」

 声をかけられて、びくりと振り返る。思わず肩が震えたのは、怒られるのではないかと思ったからだ。

「ディ…。ど、どうしたの? こんな時間に」

 ディクトールは手にした魔道書を見せた。ああ、と納得するアレクシアに優しく語り掛ける。仕方のない子だと、目が語っていた。

「どうしたのはこっちの台詞だよ。眠れないの?」
「ああ…、うん。ちょっと、ね」

 内心の後ろめたさから下を向き、頬を掻くアレクシアを見るディクトールの眼差しがほんの一瞬冷たく冴えた。アレクシアがディクトールを見たときはいつもの優しい表情に変わる。

「散歩でもしようかと思って」
「付き合うよ」
「え? でも…っ」

 一歩、距離を詰めて強引にアレクシアの肘の辺りをつかむ。

「アルは女の子なんだから、本当はこんな時間に外ほっつき歩くなんてだめだよ。でも、行くなって言っても聞かないんだろ? だったら付いて行くさ」
「う…」

 アレクシアには返す言葉がない。
 さらには「女の子」だなどといわれてもその手の危機感にはまったく自覚も経験もないアレクシアである。
 そもそもが自分をその辺の女の子だとは思っていない、というか女の子というものがどういうものなのかが、いまいちよくわかっていない。ルザミでの一件以来、男の振りをするのは止めたアレクシアだが、いまだ「女の子」扱いされることへの抵抗もあった。

「心配しすぎだと思うな…」

 照れが先にたつ。スカートもろくに履いたことがない、花を摘むより剣を振るっていたほうが性に合っている、そんな自分。女の子になんか、見えるわけがない。

「アルは、わかってないよ」

 寂しさ半分、苛立ち半分、ディクトールの落とした呟きをアレクシアは聞き逃した。

「え?」
「なんでもない。こんなところで話してたらほかのお客さんに怒られちゃうね。行こう」
「ディ!」

 強引に腕を引っ張る幼馴染に驚いて声をあげるが、抗議のその声もディクトールの「しっ」という指一本唇の前に立てたしぐさで封じられた。
 ディクトールに連れられる格好でアレクシアとディクトールは夜のランシールの街へと繰り出すことになった。
 といっても知らない街だ。行くあてなどない。アレクシアも最初から宿の周りをぶらつこう程度にしか考えていなかったのだから。とりあえず、話し声が迷惑にならないよう、寝静まった住宅地を避けて歩く。その間の話題は、星の位置だの、この町の歴史だの、もっぱらそういった学術的なものばかりだった。
 どちらかといえば、話しているのはディクトールの方で、アレクシアは専ら相槌を打っている。それさえも忘れがちで、気持ちがどこか別のところに向いているのは明らかだった。
 アレクシアは気付いていない。今歩いているのが、昼間レイモンドも辿った道筋だということに。当然、ディクトールには解りようもないことだ。
 ディクトールが気付いたのはひとつ。いつの間にか昼間でも人の寄り付かなさそうな淋しい場所に入り込んでいるという事実。
 半歩前を歩くのは、旅立つ時より髪が伸びて、女らしさを感じさせる愛しい少女で――

「あの、アル…。アレクシア」
「え?」

 物思いに耽っていたらしいアレクシアは、急に名前を呼ばれて我に返った。見上げた幼なじみの瞳に、常とは違う熱を感じて僅かに身を固くする。
 熱っぽい物言いたげな眼差し。戸惑い、何度か口を開きかけては口をつぐむ。そんな様子を見せられては、いかにそういった事には疎いアレクシアでも気付く。ディクトールが言おうとしているのが、アレクシアの聞きたくない類いの話であるということに。

「あ、あの…」

 出来ることなら聞きたくない。解りたくない。その感情を理解したら最後、自分が何か別の物になってしまいそうで、怖い。
 ディクトールから目をそらし、落ち着きなく周囲に視線をさ迷わせる。ディクトールのわずかな動きに過剰なまでに反応しては、びくりと肩を震わせて踵を下がらせた。

 そんなアレクシアに、ディクトールはほんの僅か、眦を下げた。
 傷付いたような寂しげな微笑。わかっていたのに、わざわざ傷付くような真似をして、アレクシアを怖がらせて、全く自分は何をしているのだろう。
 持ち上げた指で自嘲の笑みを浮かべた顔を隠す。前髪を払う仕種で、ごまかした。そして髪と一緒に、自嘲も熱も振り払う。

「昼間、ラリホーを使ったろ? 詠唱が違ったね。気付いてた?」
「…え?」

 急な話題の転換に頭が着いて行かない。ふ、と体の力が抜けたアレクシアに、ディクトールは苦笑する。

(そんなあからさまに、ほっとした顔しないでよ)

「そう、だっ、け…?」

 記憶を反芻しつつ呟くアレクシアに、ディクトールは「そうだよ」とラリホーの呪文をそらんじてみせた。

「アルは、神の御名を唱えなかった」

 何故? と言外に問う。問われたアレクシアは、指摘されるまでまったくその事に気付いていなかった。
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