ドラクエ3

□明けぬ空を背負って(本編2)
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 鬱蒼と繁る木々に遮られ、月の光も届かない町外れ。周囲に見えるものといえば、森の木々ばかり。道か獣道かもわからないような足場の悪い道を、リリアは歩いていた。
 宿に飛び込んで来たディクトールが言うには、アレクシアと二人でいたところ、神殿のような場所に迷い込み、急にアレクシアが消えたのだそうだ。
 魔物に化かされているのではないかと思った。人間が、急に消えるわけがない。
 しかしだ。ディクトールが化かされているにせよ、今アレクシアが居ないことは確かで、仮に彼女の失踪に魔物が関係しているとすれば、尚更放っておくわけには行かなかった。
 そうして、ディクトールの案内の元、セイとリリアはアレクシアが消えたという神殿を目差して歩いている。

「ねぇ、本当に道はあってるわけ?」

 いい加減歩き疲れた。まともに休んでいないのだ。眠気もピークに達している。

「あっている、はずだけど…」

 ディクトールの返答も歯切れが悪い。自信なさ気なその返答に、リリアは「勘弁してよ」とこめかみを押さえた。
 ディクトールは星を見上げ、頚を捻る。あの時は、アレクシアばかり見ていて、確かにまわりの景色はよく見ていなかった。それにしたって、迷うような行程ではなかったはずだ。

「寝ている間に魔物に変な魔法でもかけられてたんじゃないでしょうね」

 意地悪く、リリアが言う。もちろん言った本人も本気ではない。ここもランシールの防壁の中なのだ。ディクトールが森で魔物に襲われたのだとすれば街中に魔物が侵入しているということで、今頃街は大騒ぎになっている。

「確かに、この辺りだったんだ…」

 森が切れて、月が見える。
 光源の乏しかった視界には、月の光はあまりにまぶしく、ディクトールは手でひさしを作り、目を細めた。
 何度も瞬きを繰り返し、ようやく目が月明かりに慣れてきたころ、ディクトールは我が目を疑った。

「お…」

 あまりのことに声も出ない。まさに奇跡。神の御業を目の当たりにしたとはこのことだ。
 先ほどまで何もなかった、ただの森でしかなかった空間に、石造りの神殿がその威容をあらわにしていた。

「アル!」

 ディクトールを追い抜いて、リリアが声を上げて駆けてゆく。その後を、セイも走って追いかけていった。
 神殿の正門からまっすぐに、こちらへ歩いてくる影がある。手を上げ合図を送ってよこすその人の姿が月明かりの中にはっきりと認められた途端に、ディクトールは「ああ」と両手で顔を覆ってその場にうずくまってしまった。

「もう! 心配したんだからね!」
「ははっ。ごめん」

 抱きついてきたリリアを抱きとめ、呆れ顔のセイに目礼をしたところで、地面にうずくまるディクトールの姿が見えた。

「ディ!?」

 遺跡に入るまではディクトールも一緒だったのだ。彼の身に何かあったのではと、アレクシアの体に緊張が走る。


 アレクシアの声に気づいて、リリアはすぐに彼女を解放した。ディクトールに駆け寄るアレクシアを見送り、再び前に視線を戻したリリアはかすかに眉を上げた。
 神殿から現れたもう一人の仲間。最初そうとは気づかなかった。彼があまりにらしくない格好をしていたからだ。
 見事な装飾を施された金属鎧。けれど決して華美ではなく、その美しさは実用的な武具のそれだ。セイなどが見たら大世喜びで品評を始めるのに違いない。

「レイ」

 神殿の出入り口にたたずんだまま、じっと何かをにらみつけている金髪の青年に、リリアは語りかけた。だが何かに集中しているらしい青年は、その声すら耳に入っていないようだ。纏う空気が、彼の周囲だけ重さを増しているように感じる。

「レイ?」

 近づき、腕に触れようと手を伸ばす。

「っ!」
「きゃ!?」

 触れるか触れないかのところで、リリアの手ははじかれた。驚いて見上げると、身がすくむほどの鋭い視線で射抜かれた。しかしそれも一瞬のことで、レイモンドはばつが悪そうに視線をリリアからそらした。

「ごめん」

 一言謝罪の言葉を残し、それきりリリアの顔も見ずに歩き始める。途中すれ違ったセイにも、レイモンドはちらと目を合わせたきりで一人、足早に離れていく。

 ディクトールに手を貸して立たせていたアレクシアの脇を通り過ぎる際、一瞬レイモンドは足を止めた。
 二人は互いに見詰め合う。そばでそれを見ていたディクトールには、二人の間に流れる空気の違いが、違和感のようなものが感じられた。

「……」
「……」

 何も言わず、視線をはずしたのはレイモンドだった。

「街に戻る」
「ああ」

 それだけ言って、それきり後ろを振り返りもせずに、レイモンドは森の暗がりに消えていった。

「なにがどうなってんだ」

 言いながら、セイはアレクシアの反対側からディクトールの腕を担ぐ。

「あああ歩けるよ」
「無理すんな」

 ディクトールの足にはまだ力が入っていない。にやっと、セイは幼馴染に意地の悪い笑顔を向けた。

「なんなら、おんぶしてやろうか?」

 真っ赤になったディクトールを左右から抱えて、4人が街に戻ったころには、もう東の空が白み始めていた。


 朝には出て行くように言われていた宿だったが、病人がいるからと理由をつけて、数枚の金貨を握らせ昼まで滞在を伸ばしてもらった。
 その間にセイは街中を奔走し、滞在先兼仕事の口を見つけてきた。
 ディクトールは昼まで眠っていた。レイモンドは戻ってこなかった。アレクシアとリリアもそれぞれに睡眠をとり、昼前には起き出して身なりを整え始めていた。

「あら?」

 隣のベットで着替えているアレクシアの後姿に、リリアは思わず声を上げる。

「アル、どうしたの? その髪」
「ひゃっ」

 予告なしに触れた裸の背にびくりとアレクシアが背筋を仰け反る。

「ふぅん…」
「な、なに?」

 脱いだばかりのシャツで前を隠しながら、アレクシアは一歩リリアから踵を引いた。

「アルって〜」
「いっ?」

 思いがけない動きでアレクシアの背後に回りこみ、小悪魔のような微笑を浮かべたリリアの指がアレクシアの背中をついっと下から上へ撫ぜた。

「〜〜〜〜〜っ!」

 くすぐったいような肌が粟立つような悪寒に、アレクシアは声にならない悲鳴を上げる。くすくすと喉の奥で笑うリリアの手首を、それ以上好きにさせてなるものかと半ば意地で捕まえた。

「リ リ ア 〜 !」
「あんっ。ちょっとからかっただけじゃない。痛い、痛いってばぁ」
「もうっ」

 大袈裟に痛がるリリアの手を離して、アレクシアはやれやれとため息をついた。これ以上の妨害(いたずら)を受ける前に、急いでシャツを着替えてしまう。
 石鹸のにおいのするシャツに腕を通すのはいいものだ。
 すっきりとした気分で息を吐いたアレクシアはやたらそばに気配を感じてベットの上に跳び上がった。

「今度は何!」

 仲間が相手とはいえ、剣士がこうも易々と背後を取られてよいものかと内心で悩む。

「いいから、ちょっと後ろ!」

 アレクシアの葛藤などまったく意に介さず、リリアはアレクシアの肩を掴んだ。こういうときのリリアの勢いに勝てるものは一人としていない。ぐいと引かれるままに、アレクシアは背中を向いた。

「あ〜。やっぱり。ちょっとどうしたの、これ?」

 リリアが触れた部分だけ、短くなっているのが触れた感覚でわかった。火傷はホイミで治ったが、焼けた髪までが再生するわけではない。それにしても、そこまで目立つとは思わなかった。

「洞窟で、ちょっと」
「どうくつぅ〜?」

 昨夜は寝てしまったので、そういえば詳しい説明はまだだった。
 リリアはうむむと眉を寄せたが、それについての追求は今しなくてもよいと判断したらしい。昨夜のことは、これから、遅い朝食をとりつつ皆に説明することになっているからだ。
 今は何より目の前のコレが問題だ。

「時間がないわ。ちょっとアル、ここ座って! 少し切るわよ」
「ええっ?」

 有無を言わさぬ強引さで腕を引かれる。いつの間にかリリアの手には鋏と櫛。刃物を持ったリリアに逆らうのは、魔物の群れに素手で対峙するより余程勇気のいる行為だ。
 手際よくアレクシアの髪がすかれ、リズミカルな鋏の音が続く。
 少しでも動くと鋭く叱咤されるので、もうじっと、されるがままに任せるしかない。

「んっ! こんなもんかな♪」

 全体をとかして、前後左右からバランスを確認した後、リリアは満足そうに腰に手を当て頷いた。
 そして、はい、と手鏡をアレクシアに手渡す。

「うぁ…」

 素直に鏡を受け取ったアレクシアは、そこに写った自分を見て思わずといった声を上げた。
 ぺしんと掌で赤くなった顔を被い、片手で鏡を突っ返しながら、情けない程上擦った声で懇願する。

「リリア〜、戻して」
「無茶言わないでよ」

 ぴしゃりと言い返され、アレクシアは低く呻いた。

「いや、だけど、これは…ちょっと…」

 鏡に写っているのは自分に間違いないのだが、それはどこからどう見ても「女」そのもので、これまで見て来た「自分」とは明らかに違う。
 見慣れない自分。それは、気付きなくない、自分の中にある「女」のカタチ。

「もうちょっと、こう…。どうにかなんない?」

 目許を赤く染め、恥じらい哀願するアレクシアの姿に、リリアがきゅんっと胸を高鳴らせたのはリリアだけの胸の奥底に仕舞い込むことにして、リリアはこほんとわざとらしい咳ばらいをした。

「いいじゃない。男の振りするのは、やめにしたんじゃなかったの?」
「そ、それはそうだけど…」

 腰に手を当て憮然と言い張るリリアに、何を言っても無駄と思ってか、アレクシアは鏡を覗き込み、自分で髪をいじり始めた。その姿自体が、既に女の子然としていることには気付かない。

「〜〜〜〜っ」

 ばさばさと髪を散らしてみても、一度焼き付いてしまったイメージは、そうそう離れてくれない。
 鏡の中で困惑顔をしているのは、アレクシアが覚えている自身の姿からは程遠い。

「諦めたら?」

 自分がやったことは棚に上げ、リリアはしれっと言い放つ。

「いきなり変われったって無理だよぉ」

 鏡越しに涙目で睨まれて、リリアはアレクシアの頭をよしよしと撫でた。

「スカートはけとは言わないから。ね?」
「ううう…」

 頷いているのか呻いているのか、うなだれるアレクシアの肩を、リリアは笑いながらぽんぽんと叩いた。
 リリア自身内心驚いているのだ。まさかここまで、アレクシアが変わるとは思っても見なかった。
 確かにリリアは、意図的にアレクシアの髪を女性的に揃えたつもりだ。旅立ちの頃よりも伸びた髪の、全体の印章を残すように。
 それでも、アレクシアの内面がより男性的であったなら、どんな髪型をしても、それは男の長髪としてしか写らなかっただろう。
 何が彼女をここまで変えさせたのだろう。
 これまでも、歳相応の少女の顔を覗かせることはあった。少しずつ、アレクシアの中で女としての自覚は芽生えつつあったと思う。けれど、この街を訪れるまでは、どちらかといえば凛々しい、少年のような瞳をしていたはずなのだ。
 それがここまでの変化を見せているとすれば、考えられるのは空白の一夜しか考えられない。
 レイモンドとアレクシア。二人切りの時間に、彼らに何があったのか?
 それを思うと、リリアの瞳は、下世話にして無責任な興味に輝くのだった。
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