ドラクエ3

□明けぬ空を背負って(本編1)
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1.旅立ちの朝
 
 その人の事で、覚えていることは少ない。
 覚えているのは、抱き上げてくれた逞しい腕。
 頬に痛かった伸び放題の髭。
 汗と埃と、お日さまの匂い。
 微笑みながら、泣いていた、母の顔。
 逆光に見えなくなる、広い背中。
 お土産を沢山持って帰ると言って、出かけたまま、父は戻らなかった。
 やさしい父だった、と思う。
 それでも、大好きな母に哀しい顔をさせる父が嫌いだった。
 約束を守らないと、酷く叱ったくせに、戻ってこない父が嫌いだった。
 
 それでも、それでも…

 駆け寄る小さな子供を抱き上げる、その腕を、その笑顔を。覚えている。


「―――っ!」

 自分の声で目がさめた。
 最初に目に入ったのは、何かを掴もうと虚空に伸ばされた自分の腕。

(夢…)

 顔を覆った時、初めて自分が泣いていた事に気付いた。

 小さい頃の夢を見て、泣くなんて…

 自嘲の笑みが浮かぶ。
 ごしごしと顔をこすって、涙をぬぐった。
 鎧戸の隙間からは、朝の日差しが差し込んでくる。それから、小鳥のさえずり。
 さわやかな、春の朝だった。



 身支度を整えて食堂に行くと、朝食の支度をする母と、それを待つ祖父の姿に、努めて明るい調子で挨拶をする。

「おはよう!」
「おはよう。そんな格好でいいの?」

 珈琲を淹れてくれながら、母は首を傾げた。

「今日は王様の所に行く日でしょう」
「そうだけど。…なにかおかしい?」

 アレクシアは自分の格好をしげしげと眺める。
 いつも着ている洗い晒しで謁見するのは失礼だろうと、今日のために新調したばかりの服なのだ。

「だって、あんまり普通の格好だから」
「ああ」

 そういうことかと納得して、アレクシアは母の淹れてくれた珈琲を一口すする。

「一度戻ってくるよ。荷物、嫌だもん」

 そう、と頷いて母は皿に料理を取り分ける。
 いつもと変わらない横顔。
 いつもと同じ風景。

 学校にでも送り出すような雰囲気だが、今日この日、16歳の成人を迎えたアレクシアは、アリアハンを発つ。
 かつて父の成し遂げ得なかった旅の目的を、果たすために。
 生きて戻ってこられないかもしれない。
 よしんば生きて戻れたとしても、長い別れになるだろう。
 いつもと変わらぬ母を見て、ふと思い出した。
 父が旅立つ朝も、こうだった。
 そんな記憶がある。
 それは、旅が日常化していた父だったからではない。
 旅立つ者が未練なく旅立つための、家人の配慮だったのだと、今ならば分かる。

「ああ、そうだわ」

 食事の後、母は悪戯っぽく笑ってアレクシアを見た。
 こんな風に笑う時はろくな事がないと、経験上知っている。思わず身構えた我が子に、母はつい、と小箱を差し出した。

「お誕生日おめでとう。これ、母さんから」
「…あり、がとう…」

 やや拍子抜けして小箱を受け取る。しかし中身を確認した途端、アレクシアは微妙な表情になった。

「これ…」

 ひく、と顔を引きつらせる娘の手から、母は銀細工のネックレスを掠め取ると、有無を言わさず首にかけた。
 細い銀の鎖の中央には、かわいらしい装飾の施された青い宝石があしらわれている。素人目にも意匠を懲らした値打ち物であることがわかる。

「あなたは嫌がるかもしれないけれど、せっかく娘を産んだ楽しみを奪ってくれた、せめてもの償いだと思って受け取りなさい。あなたは女の子なんですからね。おしゃれの一つもしてちょうだい。旅のお守りよ。絶対に外さない事!」

 不敵な笑みの中に、母の本音と寂しさを見たような気がして、アレクシアは黙って頷いた。
 アクセサリーなどつけたことのない素肌に、金属の感触がこそばゆい。

 父の死を知らされた日、アレクシアは長く伸ばしていた髪を切った。男物の服を着て、戦い方を学んだ。周囲の目が望む、「オルテガの息子」を装ってきた。勇者は男でなくてはならないという風潮が、幼い彼女をしてそうさせざるを得なかったのだ。
 自分が男の子として生きることを決めたことを、母は反対しなかった。母も周囲の大人同様に、アレクシアにオルテガの代わりになることを望んでいるのだと思っていた。
 けれどやはり母は辛かったのだ。娘が生き方を曲げて、男の為りをして生きていくことに、母がどれほど心を痛め悩んで来たのか、アレクシアにはわからない。

「うん。ありがとう」

 噛み締めるように言い、そっとペンダントを握り締めた。
 何も言わず、背中から抱きしめてくる母の温もりを、穏やかな愛情を、自分は生涯忘れることはないだろう。

「爺からのプレゼントはこれじゃ」

 手渡されたのは一枚の紙切れ。
 それが何なのかを見て取って、アレクシアは弾かれたように祖父を見た。
 齢70を数えようかという祖父だが、剣豪と呼ばれた日々は伊達ではない。いまだに、アレクシアや近所の子供を集めて、剣術を教えている。
 剣の腕前を一人前と認められたら、鋼の剣を贈る。
 それは幼い頃からの約束であり、アレクシアの目標でもあった。

「ぎりぎりだぞ」

 にやりと笑う祖父に、アレクシアは大きな目を輝かせた。

「ありがとう、おじいちゃん! 大好き!」

 椅子ごと祖父に抱きついて、目を白黒させる祖父を解放するや、アレクシアは「いってきます!」と家を飛び出していった。

 謁見などよりも余程そちらの方が大事であるらしい。

 これが長い旅に出て行こうとする子供の態度だろうかと、母と祖父は呆れ顔を見合わせた。
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