ドラクエ3

□明けぬ空を背負って(本編1)
25ページ/30ページ

 唇を指で押さえ、耳まで真っ赤にしたリリアが小さくわななく。

「………そ、つき…」
「は?」
「嘘つき!」
「うわぁっ」

 か細い呟きを拾おうと思い耳を近づければ、大声で怒鳴られ、耳がキーンと悲鳴を上げる。
 ぷるぷると小さな握りこぶしを震わせて、リリアはセイを睨み上げたが、いかんせん真っ赤な顔で見詰められても怖いどころかかわいらしい。

「嘘つき? 何が?」
「す、好きな娘には触れないんじゃ※○#△$」

 自分がセイに好かれていたと自惚れるような発言をしていると気付いて、台詞の後半はごにょごにょとフェードアウトする。ますます赤くなって顔をあげている事すら出来なくなったリリアを、セイは優しく微笑んで見ていた。リリアが見たら、逃げ出しそうなほど柔らかな笑みで。

「嘘じゃないさ」

 その呟きは小さくて、波と風の音に掠われてしまう。リリアが僅かに目を上げた時、セイの大きな手がリリアの頭を撫でた。

(あったかい…)

 頭を撫でられているだけなのに、暖かく大きな手はリリアの心にこの上ない安心感をもたらした。それは、幸福感とも言い換える事ができる感覚だった。

 子供の時からアレクシアと剣を振り回してばかりいたから、女の子には縁がないと思われがちなセイだが、これでいてなかなかもてるのである。
 目の前で真っ赤になっている女の子を前にどきどきはしても、それきり我を忘れたり固まったりすることはない程度に、女の子との付き合い方は知っているつもりだ。
 なんだかうっとり撫でられているリリアに、ここまで安心されるのも不本意だと感じながら、そのこと自体は悪い気分ではない。問題は、このかわいいリリアを前に、どこまで自制心が働くかであって、時間と反比例して、セイの我慢ゲージは短くなっていく。

(……いや、待て。オレ。ディクトールもすぐそこにいるんだぞ)

 不意に頭を撫でる手がどいたので、リリアは上目使いにセイを見上げた。その眼差しに、セイの理性は我慢ゲージを抑えていた手を緩めてしまう。
 目の前の可愛い女を、抱きしめてキスをして、自分のものにしてしまいたい。そんな欲望を持つことは、男として正しい。
 しかし…
 抱きしめようと延びた手を、セイはなんとか引き止めた。

「まぁ。そのうち、な。」

 ぽんぽん、とリリアの頭を撫でて、セイはくるりと背を向ける。
 今のセイにとって、最優先すべきはアレクシアの目的を達成し、全員の無事を確保すること。自分自身の色恋などは、すべてが片付いてからどうにでもなる。

(生きていれば)

 ちらりと頭を掠めた最悪な未来予想を振り払い、セイは不敵な笑みを口の端に乗せリリアを振り返る。

「さ、行くか」

 差し延べた手に躊躇うリリアの手を、逆にむんずと捕まえて、セイはずんずん歩き出す。リリアの抗議は笑って、聞かない振りをした。




 ディクトールは一人甲板に立ち、次第に強くなる風に曝されていた。
 レイモンドを追って甲板を走るアレクシアの背が、どんどん遠ざかっていく。
 幼い頃からずっと、あの背中を見て来たけれど、こんなにもあの背中を遠く感じたことが、これまであっただろうか?
 走って、追い縋って、この腕の中に閉じ込めて、誰の姿も映さぬようにあの碧玉の瞳を塞いでしまいたい。
 でもそれは出来ない。
 自分が好きなアレクシアは、篭の鳥ではない。閉じ込めてしまったら、もう彼女は無垢な信頼を寄せてはくれない。
 ディクトールが欲しいものは、強制して手に入るものではないのだ。

「アル、待っ…」

 手を延ばし呼び掛けても、風が声を掻き消してしまう。アレクシアは振り返りもせずに、ずんずんとマストを上っていく。足場の悪い、ロープを伝って。
 気がつけば、延ばしていた手を、きつくにぎりしめていた。いつの間にかセイとリリアの気配は離れているが、それすらどうでもいい。小さくしか見えない見張り台の上の二人が、どうしてこんなにもはっきりと目に映るのだろう。風に翻弄されるアレクシアの黒い髪の間から覗く頬が赤いのを、どうしてこんなにもはっきり捕らえてしまうのか。
 ちくりと、胸が痛む。
 16年間、唯の一度も見たことのない表情。
 あんな顔をするアルを僕は見たことがない。
 ディクトールの頭の中で轟々と風が鳴っている。風の音の中に、微かに意味ある言葉が聞こえたような気がした。
次へ
前へ  

[戻る]
[TOPへ]

[しおり]






カスタマイズ