ドラクエ3
□明けぬ空を背負って(本編1)
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19.嵐
オリビアの岬を目指し、ひたすらに北上していたはずの船は、行き先を見失っていた。
航海に不慣れなため、陸沿いに船を走らせていたのが裏目に出た。大王烏賊やガニラスといった大型海魔の狩場に度々踏み入ることになった船は、その度に進路を微妙に変えることになり、数日と経たないうちに海上で迷子という最悪の結果を迎えたのだ。
「とにかくどこでもいい。陸さえ見えれば…」
ポルトガの灯台守が言っていたように、南へ進路をとるべきだったのだろうか。
潮流も風も、ポルトガの船乗りは南周りの航路ばかり話していたのが、いまさらながらに思い出される。
水も、食料も、心許なくなっていた。
あと何日。それを考えると、一同の胸には焦燥感が募る。
「いざとなったら、ルーラで町に戻ればいいじゃない。大ー丈夫だって!」
暗い表情の皆を元気付けようと、殊更明るいくリリアが言うと、四人それぞれが異なる表情で彼女を見た。
「な、なによ…」
たじろぐリリアに、セイが大袈裟にため息をつく。
「ルーラってのは、人を運ぶんだろ? 船はどうなんだよ?」
「あ…」
海上でルーラを使った事例を、少なくともリリアは知らない。もしかしたら過去にそういった使用例もあるのかもしれないが、あまり例のあることではないだろう。
ルーラは術者と任意の対象を目的地まで移動させる魔法だから、もしかしたら船も運べるかもしれない。術者の力量次第、というところが大きい。とはいえ、リスクが高いことは確かだ。進んでやってみようという気にはならない。
「ま、まぁ、最後の手段って事で、選択肢にいれておいていいんじゃないかな」
「そうだな」
しょんぼり肩を落としたリリアをアレクシアが慰める。
「それはそれとして、海図はこれだけしか用意してないのか?」
「そうだけど」
机の上に広げられた地図と海図に、レイモンドは渋い表情をした。
「地図は、アッサラームで買った最新のだし、海図はポルトガ王が船と一緒に下賜くださったものだぞ?」
文句があるかと、アレクシアはレイモンドを見上げた。レイモンドを相手にすると、何故かアレクシアは喧嘩腰になる。
レイモンドもむっとした態度になるが、あえてアレクシアを視界から外すことで衝突を避けた。これはこれで、アレクシアのこめかみがカチンと鳴る。
「俺も山育ちだから船の事には詳しくはないんだ。しかしこの海図はおかしくないか?」
地図にしてもそうだが、おおざっぱな大陸の場所が書いてあるだけで、詳細を知ろうと思ったら町々で地図を作らねばならない。しかもそんな国家機密に関わるようなものを、売っているはずがない。製作、所有しているとしたら国家単位だ。そして使用目的は軍事に限られる。とても手に入る代物ではない。
海図にしても、ポルトガを中心にロマリアや周辺の港までの航海ルートが申し訳程度にかかれているだけだ。外洋に出るための海図ではない。しかも季節によって、風も潮流も変わる。
それらをざっと指摘されると、アレクシア達はばつが悪そうに互いに目を走らせた。
「そういうことはっ、もっと、早くに、だな…」
セイの台詞にも勢いがない。
「悪いな。気付かなかった」
しれっと、悪びれもせずレイモンドが言う。
「そこで、だ。海図を手に入れよう」
「……は?」
たっぷりの間を置いてアレクシア達が言ったのはただ一音。
随一の海運国家ポルトガをして、海図は不十分なものしか手に入らない。それはもうわかっているはずだ。
「何を言ってる?」
「ポルトガで手に入らないものをどこで手に入れようって?」
「考えがある」
自信たっぷりに、レイモンドがにやりと笑う。
「海の事は海の奴らに聞くのが一番だ」
すっ、とレイモンドの指が指したのは、小さな島々が郡を成す海域だった。
「いや、何か考えがあるのはわかったけどさ」
ため息をつきながら、セイはレイモンドの指を地図上から退かせる。むっとした表情を見せて、何か文句を言いかけた盗賊を、戦士はぐぐっと顔を近づけて黙らせた。
「今は、ここが、どこかが、わからないんだぜ?」
レイモンドがあーだかうーだか意味のない唸りを発しながら目を逸らし、アレクシアは俯いて必死に笑いを堪えている。
ディクトールもリリアも、慰めるような半笑いを浮かべていて、レイモンドの頬にさっと朱が走る。
こんな素直な感情をこの男が見せるのは珍しい。セイがそんな事を思っていると、レイモンドは荒々しく椅子を引いて立ち上がった。
未だくっくと小刻みに震えているアレクシアの頭を通りすぎ様叩き、さっさと甲板に上がる階段の手摺りに手をかける。
「何するんだ!」
「いつまでも馬鹿みたいに笑ってるからだ」
階段上からふふんと笑うのは、いつも通りのレイモンド。今度はアレクシアが顔を赤くして、レイモンドに食ってかかる。
「待てよ! どこ行く気だ!」
どこといっても狭い船内。行けるところは限られている。
「場所が解ればいいんだろ?」
「は? だからそれを今話し合って、って待てったら!」
鼻で笑って、レイモンドは階段を駆け上がる。その動作は身軽を通りすぎで優雅ですらある。駆け上がる、という表現では、うるさいような柔らかな身のこなしなのだ。
追い掛けるアレクシアも、決して鈍重ではないが、レイモンドと比べると船内を走る音はどたどたとやかましい。
騒ぎの中心がいなくなって、静かになった船室で、残された三人はやれやれと重い腰を上げるのだった。
するすると危なげなく見張り台に登ったレイモンドを追い掛けて、アレクシアも縄ばしごを登る。見張り台はあまり得意ではないのだが、甲板で途中で何度か声をかけて、無視されたのだから仕方ない。
「レイ!」
見張り台は狭い。
不安定な縄ばしごを昇って来たアレクシアを、レイモンドは迷惑そうに一瞥し、やがて仕方ないと言いたげに手を貸して見張り台に引っ張りあげてやった。この親切には、アレクシアにも意外だった。が…―
「あり、がと」
「どういたしまして。とろくさい奴。目の前で落ちられると寝覚が悪いからな」
「ぐっ」
礼なんか言うんじゃなかったと、拳を震わせる。
場所を弁え、ぐぐっと我慢。気分を改めて、努めて明るく語りかけた。
「何をするつもりなんだ?」
「見てわからないか?」
にべもない。アレクシアの頬がひくりと引き攣る。
健全なコミュニケーションとは、双方にその意志があって初めて成立するものだ。
「わ、わからないなぁ」
「そうか。アリアハン人は無知だな」
「べ、別にアリアハン人とかは関係ないと思うけど」
「じゃあ、おまえが無知なんだな」
鏡があったら、アレクシアの額に浮いた青筋を、いくつか数えられたのではないだろうか。
さすがに忍耐の緒も切れて、食ってかかろうとしたアレクシアの「さっきから何なんだよ!」という言葉は、皆まで言うことが出来なかった。急な強風に煽られ、見張り台が大きく揺れたからだ。小さく悲鳴をあげて手摺りに捕まったアレクシアの肩を、レイモンドが支えた。華奢に見えるレイモンドの腕は、意外というか、男性なのだから当たり前と言うべきか、力強くアレクシアを抱く。
(う、わ…っ)
この歳まで男の子に交じって暮らし、体が触れる機会なんていくらでもあった。同じような状況、セイ相手には何度もあったことだ。
なのに、何故か、心臓が痛いくらいにドクンと跳ねて、カァっと体温が上がる。
「ぷっ、色気のねぇ悲鳴」
「う、煩いな!」
突き飛ばすように体を離したけれど、それきり心臓は早鐘のようだ。
風で乱れる髪を抑える振りをして、熱を帯びた顔をレイモンドから隠した。深呼吸して乱れた鼓動を整えようと努める。
「それで、何を――」
当初の問いを発したアレクシアは、レイモンドの真面目な横顔に言葉を失った。アレクシアには意味のわからない言葉をつぶやきながら、精神を集中している。時折身振りを交えながらのその一連の動作は、何かの魔法であるらしい。レイモンドの周囲に魔力の高まりを感じる。
邪魔をしてはいけないとアレクシアは無意識に息さえ殺してレイモンドを見守った。
男にしておくには惜しいほどの整った顔。けれど全体から感じられる印象は女性的な柔らかさではなく、男性の凛々しさと強さだ。
術に集中するレイモンド自身もアレクシアも気付かなかったが、レイモンドを見つめるアレクシアの眼差しは、歳相応の少女の眼差しであった。
見張り台の様子を眺めながら、セイはちらりと左右を見る。
ディクトールは痛みを堪えるように、リリアは何かを期待する眼差しで、同じように見張り台を見上げていた。
「あの二人って…」
つつつ、と寄って来たリリアが目をきらきらさせながら囁いてくる。新しいネタを見つけた井戸端のおばちゃんのようだ。言えばリリアは怒るだろうが。
「お似合いだと思わない?」
ディクトールに聞こえないように声は潜められていたが、実際聞こえているかいないかはわからない。
セイは呆れた眼差しで、リリアを見た。「ナニヨ」と、勝ち気な瞳が見上げてくるので、ぐいっと肩を抱いて後ろに引っ張っていく。
「ちょっと? なによ、もう!」
掴まれた肩を回して体を離す。正確には、セイが離してくれた、のだが。
「おまえさぁ…」
デリカシーがないとか、ディクトールの事を考えろとか、言いたいことは幾つかあったが、まず口を突いたのは別のことだった。
「レイの事狙ってたんじゃないのか?」
二度瞬きをして、リリアは吹き出した。むっつりと黙り込んでいるセイをおかしくて仕方ないとばかりにばしばし叩く。
「まさか! かっこいいとは思うわよ。綺麗なものは見てて楽しいわ」
「あ、そ…」
「ねぇ、それよりどう思う? 仲が悪いように見えるのに、戦闘ではあの二人、息がピッタリなのよ」
息がピッタリなのはセイも認める。しかし、これまでアレクシアの相棒を務めて来たセイとしては、心情的になかなか素直に認めがたい。
まさか嫉妬にも似た感情を覚えているなど、リリアに告白できるはずもなく、曖昧に言葉を濁した。
「んー? なぁに?」
「あんだよ」
意地の悪い笑顔で覗き込まれて、セイは鼻の頭にシワをよせる。言わずとも、リリアはセイの考えなんて承知しているのだろう。
「アルに男が出来たら、あんた絶対機嫌が悪くなるわよね」
セイの反応を面白がっているのは明らかだ。
含み笑いで見上げてくるリリアに、どうしてくれようかと考えた結果、セイはリリアの頬に両手を添えて腰を屈めた。
「………」
リリアは咄嗟の事に反応できず、セイの手が離れても、暫く放心状態でセイを見上げていた。
「……おい」
こう無反応でも困る、というかショックだ。
「………そ、つき…」
「は?」