ドラクエ3

□明けぬ空を背負って(本編1)
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 ダーマ大神殿参詣は、ディクトールの旅の目的であり、レイモンドの事が無ければ、次の目的地はダーマだったはずだ。
 済まなそうにこちらを伺うアレクシアに、ディクトールはいつもの笑みで首を振ってみせた。

「あんなもの、アリアハンを出るための口実だもの」

 行きたくない訳ではない。ダーマで洗礼を受ける事は、神学を学ぶものにとっては最大の栄誉だ。許されるのならば、霊峰ガナルの麓で悟りを啓く修行を受ける事も。
 ただディクトールにとって、この旅最大の目的はアレクシア本人である。彼女を守り、その力になるために旅に出たのだ。だから、ダーマ参詣はこの際どうでもいい。

「でも…っ」

 アレクシアは優しく微笑むディクトールを見上げた。
 アリアハンの王立大学への進学を奨められる程、優秀だった幼なじみの将来を、自分の為に潰してしまうのではないかという懸念がある。
 自分はいい。オルテガの子に生まれ、父の遺志を継ぐと決めたのは自分だから。けれど友人に、同じ運命を強いることは出来ないのだ。自分の我が儘で、もし、彼等になにかあったなら…。アレクシアは自分で自分を許すことが出来ないだろう。

「でも…」

 今からでもダーマヘ行けと言うことも躊躇われた。結局自分は、一人で旅を続ける勇気も、ディクトールに供に旅することを強いる勇気も、そのどちらもないのだ。
 唇を噛んで俯いたアレクシアの表情は、ディクトールからは見えない。ただ、海風に煽られた髪から除く、細い頚だけが見える。うなだれた、か細い頚が。
 旅の間に肩にかかるまで延びた黒い髪の隙間から、白く浮き上がる肌に、ディクトールは目を奪われた。無意識に延びていた手を慌てて引っ込める。
 少女から女へ変貌を遂げつつあるアレクシア。その薫い立つような色香は、もはや隠しようがないように思う。彼女がどれほどに男装し、武具に身を固めようとも。
 そしてディクトールは、神官にあるまじき感情が己が内に沸き起こるのを抑えることが出来ずに、そんな自分に戸惑っている。
 今もまた、胸の奥底から鎌首を擡げた欲望が、彼の意志に反してアレクシアを抱きしめようと腕を延ばした。
 違う。自分がアレクシアに対して抱いている感情は、決してそんな汚れた欲望等ではない。もっと純粋な、憧れのようなものだ。
 右腕を左手で押さえるように胸の上で組み、ディクトールは一言ミトラの聖句を唱えた。

「アル。気にかけてくれてありがとう。ダーマに寄るのはいつかでいい。だから――」
「大王烏賊の群れだ! 舵を切れ! ぶつかるぞ!!」
「!?」

 『いつか一緒に行ってくれるかい?』
 ディクトールの声は、レイモンドの上げた声と、凄まじい衝撃音に掻き消され、アレクシアの耳には届かなかった。



「何故もっと早く舵を切らない!」
「そっちが遅すぎるんだろ!」
「なんだと!」

 レイモンドの警告は間に合わなかった。船は、大王烏賊の狩場のただ中に突っ込んでしまい、甲板にはマリンスライムや烏賊の触手がのたうちまわり、いくら追い落としても切りがない。海中で烏賊に絡み付かれたのか舵も効かない有様だ。
 それぞれ魔物を切り払いながら、セイとレイモンドは互いに罵倒しあっていた。

「オレのせいだってのかよ!」
「そう聞こえなかったら俺の言い方が悪かったんだろうな!」

 広範囲の敵を一度にを薙ぎ払える鞭に持ち替えてレイモンドが嘲笑うように返した。憤怒を瞳に燃やしながら、セイはマーマンを縦一文字に切り裂く。今が戦闘の真っ最中でなかったら、二人の間を魔物が阻んでいなければ、セイとレイモンドの武器は互いに向けられていただろう。

「ちょっと! どういうことよ!?」

 おたまを片手にエプロン姿のリリアが甲板に上がって来るなり悲鳴を上げる。船が大王イカに捕まった衝撃で、様子を見に上がってきたのだ。
 武装していないリリアに、セイは大きく舌打ちした。杖等なくても魔法は使えるらしいが、マーマンの爪を振るわれたら一貫の終だ。リリアなど紙を裂くよりたやすく切り裂かれてしまうに違いない。
 新しい獲物の登場に気付いたマリンスライム達が口々にスクルトを唱えながらリリアに迫る。
 セイからは、壁に追い詰められたリリアが発動した青白い魔法の光が、マリンスライムの群れの隙間から垣間見えたが、蹴散らしてもまたすぐに群れに押し潰される。助けに行きたくとも、セイの前にはまだ3体のマーマンが立ち塞がっているし、マリンスライムの群れを一度で蹴散らす術を、セイは持たなかった。

「リリア!!」

 2匹目のマーマンの腕を切り飛ばし、3匹目の腹を思い切り蹴る。一匹ずつ着実に数を減らしていくしかない。もどかしく叫び声をあげ、セイはひたすらに斧をふるった。


 食事の準備中に突然の衝撃。あとはよそうだけだけだったスープは零れてしまった。暗礁にでも乗り上げたのだろうか。操舵をしていたのはセイだったはずだ。一言文句を言ってやりたくて、甲板に上がって来てみれば、甲板にはマリンスライムやら痺れくらげやらでうめくされていた。セイはマーマンを相手している。
 戦況を一瞬で判断したリリアは、自分の迂闊さに臍を噛んだ。手にしているのは鍋を掻き交ぜていたおたまで、服だって、魔法繊維を織り込んで作られたみかわしの服ではない。あれは今、洗濯して部屋に干してある。

「だから、洗い変え用にもう一枚買っておけばよかたたのよ。セイのケチ!」

 アッサラームで買い物をしたとき、値段を理由に1枚しか買わせてくれなかったのはセイだ。

「港に着いたら、絶対もう1枚買わせてやる!」

 文句を言っていた口で、リリアは素早く呪文を紡ぎ、ヒャダルコで迫るマリンスライムを氷漬けにした。しかしその後ろから、マリンスライムは次々と湧いてくる。リリアは次の呪文の詠唱に入っていたが、呪文が完成するよりマリンスライムの群れがリリアを圧し潰すほうが早そうだ。

(みかわしの服1枚じゃ割に合わないわよ)

 船倉に続く階段を封じた木板に背があたる。冷や汗が流れるのを感じながら、リリアが覚悟を決めたとき、一陣の風がマリンスライム達を吹き飛ばした。


 レイモンドの警告を聞いてすぐに、アレクシアとディクトールは駆け出した。
 船の艫先では、既に戦闘が始まっている。波と船が軋む音に紛れて、セイとレイモンドの言い争いが聞こえる。そこに、不意に混ざるリリアの甲高い声。
 見れば小高く山を作ったマリンスライムの向こうに、リリアの青銀髪が見えた。セイの切羽詰まった声。鋼の剣を抜き放ち、混戦の真っ只中に躍り込むアレクシアに続いて走りながら、ディクトールはバギマを放った。旋風はうなりをあげてマリンスライムの群れを吹き飛ばす。マリンスライムの山から現れたリリアは、一瞬驚いたように目を見張り、次いでにやりと不適に笑んだ。

「ヒャダルコ!」

 解き放たれた氷の礫が、バギマの風にのって辺りのマリンスライムを一瞬にして切り裂く。凍らされた膜の表面は、たやすく切れて内容物を撒き散らす。まるで水風船が割れたように、マリンスライムの外皮膜と中身がちらばり、ヒャダルコの冷気でたちまち凍り付いていく。
 でこぼこに凍り付いた甲板は下ろし金のようだ。
 リリアがディクトールの手を借りて、下ろし金地帯を越えてきたとき、甲板の上に乗り上げた小物はあらかた片付いていた。
 見れば戦士達は、船ごと獲物を海底に引きずり込もうとしている大王烏賊の触手を、3人掛かりで切り落としている。
 烏賊に、陸上の獣並の知性を求めてはいけないのだろう。8本の足を半分まで失っても、大王烏賊は船の上に這い上がろうと、のたくる触手を延ばしてくる。

「切りがねぇな」

 セイがぼやいた時、反対側の縁に大王烏賊が這い上がった。文字通り海中から飛び上がった大王烏賊はべしゃりと甲板に落ちて船を大きく揺らす。
 船を揺らした巨大な烏賊が、のたくる触手を伸ばしてくる。バランスを崩して尻餅を着いてしまったリリアは、呪文を唱えるのも忘れて「ひっ」と悲鳴を上げた。ぬめぬめしたものや足がいっぱいありすぎるものは、一般の少女同様得意ではない。思わずディクトールの法衣にしがみついたリリアは、呪文を紡ぐ神官に目を見張る。彼が詠唱する呪文の内容にも驚いたが、それを唱える彼の瞳に、リリアの知るディクトールとは違う人間のような冷酷さを認めたからだ。

「全ての命は闇より生まれ闇に還る。汝神に創られしもの。神の祝韻を外れし汚れた血は凍り、肉体は塵になる。魂よ神の御許へ還れ。ザ ラ キ !」

 凍り付いたように動きを止めた大王烏賊が、ゆっくりと甲板に崩れていく。衝撃でまた船が揺れたが、リリアはもうディクトールの法衣に縋ろうとはしなかった。



 左舷に打ち上がった大王烏賊をディクトールがザラキで仕留めた時、右舷にも大王烏賊が取り付いていた。

「何匹いやがるんだ」
「上から見た限り3〜4匹いるはずだ」

 アレクシアを支えながらぼやいたセイを、ちらりと一瞥してレイモンドが答える。
 先ほどの衝撃でバランスを崩していたセイとアレクシアは、互いに体を支えるのがやっとの状態で、取り付いた烏賊への対処が遅れてしまった。烏賊はゆるゆると残った足を延ばし、船に這い上がろうとしている。
 船が大きく傾いた。
 焦って船縁に行こうとしても、よたよたと多田羅を踏むばかりで、とても武器等振るえそうもない。
 何故だかはわからない。アレクシアはレイモンドを見た。レイモンドも、アレクシアを見た。
 一瞬視線が交差しただけで、アレクシアはレイモンドの意図を悟る。戦斧を烏賊に投げ付けようとしているセイの行動を制し、早口に呪文を唱え始める。アレクシアとレイモンドの呪文は、ほぼ同時に完成した。アレクシアの術の発動を待って、レイモンドが組み立てた術を解き放つ。

「アストロン」
「メラミ!」

 わけもわからず驚愕の表情を浮かべたまま、鋼鉄と化したセイの表面を、メラミの爆炎で温められた熱風が撫でていった。
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