ドラクエ3

□明けぬ空を背負って(本編1)
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13.もうひとつの旅立ち

 金髪の青年が森の中を走っている。
 真昼とはいえ、鬱蒼と繁る木々に光を遮られた森は薄暗く、僅かな光の中育った下生えが地面を被い、足元は見えない。
 何度となく気の根に足を取られた。
 木々の枝に引っ掛けた肌には無数の切り傷が出来ていた。
 落ち着かなければならないのに、鼓動は耳元でガンガンと打ち鳴らされる鐘のようだし、ひゅうひゅうと喘ぐ息は、狩人に自分の居場所を知らせてしまうだろう。

(なんで、こんなことに)

 走り通しの足は痺れて感覚がない。体中がだるく熱い。

(まず、回復だ)

 魔法を唱えようとして、咳込んだ。
 水も飲まず走り続けたのだ。唇は干からびて声もでない。

(なんでこんな…)

 ひゅうひゅうと呼吸を繰り返しながら、思考は堂々巡りを繰り返す。
 よろけた拍子に小枝を踏んだらしい。常ならば気にもしない僅かな音にびくりと全身が震えた。

(移動しないと)

 けれど足は動かない。何かに足首を掴まれたように。
 逃げなきゃ…
 どこへ?
 どうして、こんな事に?
 どうして、こんな思いまでして、生きていかなければならないのか。

(もう、いやだ…)

 恐怖が心臓を鷲掴む。
 足元を何かがズルリとはい上がってきた。
 それが何なのか確かめる気力すらなく、レイモンドは意識を手放した。



 どんな町にもある地下組織、通称盗賊ギルド。
 本来闇を統轄する組織が、絶望の街サマンオサでは人々の希望だった。
 王国の許可がなければ入国も出国も出来ないこの国で、流通はほぼ麻痺していた。
 僅かに入ってくる食料や日用品は、王城に納められ、市場に出回ることは稀だ。出回ったとしても、値が張りすぎて庶民には手がでない。
 それでも市場に物があったのは、民が餓えずに済んだのは、盗賊ギルドがひそかに国境を越えていたからだ。
 常よりは割高になるのは仕方ないにしても、こうして市場に並んだものは、人々の手に渡った。
 盗賊ギルドのこういった違法行為を、王国は黙認して来た。
 彼等の働きによって民が生きている現状を知っていたからだ。
 狂気に侵された国王が知っていたのかは解らない。ただ、放置してきたのは事実だ。

 これまでは…

 何の気まぐれか、10年以上放置して来た盗賊ギルドに国王軍が介入した。
 突如踏み入って来た軍隊に、盗賊達は組織立った抵抗も出来ずに虐殺される。
 義賊集団の地下組織は、名実共に解体された。
 その後、一日と置かずに出入国の管理が一層強化され、逃げ出した盗賊達に懸賞金が賭けられた。
 ねぐらでギルド壊滅の報を聞いたレイモンドは、事の真偽を確かめる為にギルド本部へ足を運んだ。
 そこには、正視に耐えない惨状が広がっていた。
 濃厚な血の匂い。放置された死体。人の形をしたものに群がる異形。
 人を殺めた事はある。死体を見たのも初めてではない。
 けれど
 これは…
 その場で胃の中のものをぶちまけた。汚物を拭う事もせずに逃げ出すようにその場を放れた。床の血糊に足を取られて何度か転んだ。
 人目を避ける余裕もなく、ただアジトの場所から離れたかった。
 気付いた時、レイモンドは街中で膝を付いていた。そして初めて、人々の視線に気付く。
 大部分は憐れみの視線だ。関わりになるまいと戸口を閉ざす人々。
 その中に獲物を見るような、突き刺さるような視線が混ざっている。

(な、んだ…?)

 その時不意に、ギルドの主立ったメンバーに懸賞金が賭けられているという話を思い出した。

(まさか?)

 自分は下っ端で、懸賞金をかけられるような覚えはない。ない、筈だ。

(まさか!?)

 確かめている余裕はなかった。遠巻きに様子を伺う人々の間に、兵士の姿が見えた瞬間、レイモンドは走り出した。



 体が怠いのは、きっと悪夢を見たせいだ。
 どうしてあんな酷い夢を見てしまったのかと、苦笑しながら目を開く。
 目覚めてまず目に入ったのは、顔を覆った手に巻かれた真っ白な包帯。

(!)

 薬草の匂い。動かそうとするとあちこち痛む体。
 夢じゃない。
 自分の身に起きた事を思い出して、レイモンドは身震いした。

 ここはどこだ? 確か自分は森の中にいたはずだ。

 傷は手当され、寝かされていた部屋は狭いながらも清潔で、窓からは柔らかな日差しが差し込んでくる。
 敵の手に落ちたとは思えなかった。少なくとも危険はなさそうだ。

「癒しの力は我が身を満たす。ホイミ」

 神官達は、癒しの力を神に請うが、レイモンドは信仰心を持っていない。それでも魔法は使えた。事実、神の御名を称えずともホイミは発動するのだ。
 ゆっくりと寝台から腰を上げ、室内を見回していると、ひとつしかない扉が開いた。
 ダガーを探す。ベッドサイド。一動作で取れる位置だ。

 軋む扉を開けて入ってきたのは初老の神父だった。食事の乗った盆を手にした神父は、レイモンドを見て僅かに目を見張り、次いで柔らかく微笑んだ。

「もう起きられるのですか。若いというのはすばらしいですね」

 神父は無警戒に室内に入って来て、レイモンドに座るように促した。

「お腹が空いているでしょう? たいしたものはありませんが、お食べなさい」

 具の少ないスープと固そうなパンが一かけら。
 それでも食べ物の匂いを嗅いだ途端に、レイモンドは急激な空腹を覚えた。
 礼も言わずに貪るように食べる。塩味がついただけのスープが、これほど美味いと思ったことはない。
 がつがつとあっという間に食事を平らげたレイモンドを、神父は楽しげに見守った。
 一息ついたレイモンドは、改めて神父を見た。
 聞きたいことは沢山あった。

「助けてくれて感謝する。ここはどこだ? あんたは?」

 尋ねられる事はわかっていたのだろう。神父は変わらぬ笑顔でレイモンドを見た。

「ここはサマンオサの北の森。私はここで旅の扉の管理をしています。忘れられた扉のね。表向きは旅人達の為の礼拝堂ということになっていますが」

 あまりにさらりと言われたので、聞き流すところだったが、今この神父は凄いことを言わなかったか?

「君は、サイモン様の縁者だね?」
「えっ」

 驚いていたところに突拍子もない事を言われて、レイモンドは素直に反応してしまった。相手の思惑も解らないのに、素姓を知られるのはまずい。
 表情を強張らせたレイモンドに、神父は笑う。

「心配しなくていい。私は君をどうこうしようなんて考えてはいません。ただ、君は若い頃のサイモン様によく似ているから。そうかな、と思っただけです」
「どこが、似ていますか? 俺はサイモンを知らない。…俺は、サイモンの、息子、です」

 カマをかけているのか、とも思った。仮にそうだとしても、この神父が自分に危害を加えるつもりなら、自分は今こうしてここにはいない。だから素直に言った。
 この告白には、神父は少なからず驚いた様子で笑みを消す。しかしすぐに親類の子を見るように、温かな目をレイモンドに向けた。

「そうか、君が…。レイモンド。大きくなった」
「俺を知って?」
「ああ。君が赤ん坊の頃です。君が覚えていないのは当然だ。君の母親は、ここでシスターをしていたんです。その縁で、赤ん坊の頃の君を、サイモン様と二人連れて来てくれた事があってね」

 レイモンドを通して、レイモンドの中にあるサイモンの面影を見ているのか、神父の目は、今はもうどこにもない優しい過去を見ている。
 その優しい時間に、自分も居たのだ。そう思うと、心に温かなものが生まれるのがわかった。
 大人が自分の中に父の像を重ねて話すのが嫌いだったのに、この神父にはその苛立ちを感じなかった。

「髪の色こそ違うがね、顔立ちはよく似ているよ。親子というものは、凄いものだね」

 そっと慈しむように触れた手も、嫌じゃない。

「しかしそれで合点がいった」

 一転して厳しい表情で神父は言った。

「レイモンド。君はここにいてはいけない」

 問い返す暇もなく、サイドテーブルに置かれていたレイモンドの荷物を押し付けられる。

「街の事は聞いた。すぐにここにも兵士が来る」

 そのまま、手にを引かれた。有無を言わせぬ勢いで歩き出す。

「あの日、サマンオサの王は狂ったんじゃない。入れ代わったんだ。私は後になって知ったんだが、もうどうしようもなくてね」

 話しながら、廊下の壁にかけられた袋に、神父は色々な物を詰めていく。

「サイモン様はこの旅の扉から、何処かの牢獄に幽閉されたらしい。私にこの格子は開けられないが、君にならできるだろう?」

 神殿の壁に巧妙に隠された扉の奥に、鉄格子で封じられた小部屋があった。そこには青く渦巻く泉があって。目眩がしそうな魔力の奔流を感じる。
「旅の扉がどこに通じているのか、私には解らない。けれどこのままここにいたら、君は殺されるだろう」
「でも、あなたは…?」

 罪人を逃がした咎を負わされるのではないのか?
 生前の両親を知っているというだけで、ここまでしてもらう謂れがない。

「私の事は気にしなくていい。森の中で行き倒れていた人を、神父が助けただけのこと。回復した後、旅人がどこへ行こうと私の知るところではないよ」

 尚も逡巡するレイモンドに、神父は深い皺の刻まれた目許をふっと緩めた。愛おしい者を見るように、泣きたくなるほど優しく笑う。

「レイモンド。会えてよかった」

 荷物ごとレイモンドを抱きしめて、神父は呟いた。

「いきなさい」

 力強い言葉に後押しされて、レイモンドは鉄格子の鍵を開けた。
 音もなく渦巻く旅の扉。
 飛び込む勇気が欲しくて、一度だけ振り返った。微笑みながら頷く老人に、頷きを返す。

「ありがとう」

 素直な礼の言葉。自然と笑顔が零れた。
 青い光に飛び込む瞬間、最後に見た神父の顔を、自分は一生忘れないだろう。

 生きなさい。

 かつてそう言った母の顔が、老人の向こうに見えた気がした。
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