ドラクエ3

□明けぬ空を背負って(本編1)
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 埃と、黴の臭いだろうか。
 ランタンの明かりにぼぅっと照らされた石造りの回廊が、どこに繋がっているのか、レイモンドは知らされていない。
 知っていようといまいと、レイモンドのすることは変わらないし、知らされていたとしても、仕事内容を口外することは決してない。
 それが盗賊ギルドの掟だからだ。
 破った者は死を以って罪を償うことになる。

 盗賊達が仕事をする際、指示を出す者を「頭」、出される者もしくは助っ人を「手」「足」と呼ぶ。
 今回レイモンドは「手」で、「頭」はテッドである。
 前を歩くテッドが、錆び付いた鉄格子の前で足を止めた。
 無言でランタンを預かり、レイモンドはテッドの手元を照らした。
 見事な手並みで鉄格子の鍵が外される。

 鉄格子の先はさらに闇が深い。異臭が鼻をつく。
 獣の匂いにも似たその臭いは、暗闇の中に生き物がいるという証拠だ。
 腰のダガーの位置を確かめ、いつでも抜けるようにしながら、レイモンドは気配をうかがった。
 闇の中に、確かに何かいる。

「レイ、荷物よこしな」

 戦闘体制に入っているレイモンドに、テッドはゆったりと言った。
 その声に殺気は勿論、緊張すら感じられない。
 訝しみつつ、言われるままに背負って来た袋を下ろす。
 受け取ったテッドは、袋から油壺を取り出して、壁にかけられたランタンに油を足して行く。
 それから壁のランタンに火を点けた。

「あ…」

 橙色の光の中に、気配の正体を見つけ、レイモンドは息を飲んだ。
 痩せこけ薄汚れた老人が、部屋の隅に置かれた寝台の上にいた。
 生きてはいるのだろう。が、浅く繰り返される呼吸は弱い。

「テッド…」

 呼びかけた相棒は相変わらずの愛想笑い。表情からは何も伺えない。それがプロの盗賊というものだ。

「おら、じいさんの体を拭いてやんな」

 老人は眠っているのか、起きているのかもわからない。
 放って寄越された手ぬぐいを手に、レイモンドは呆然と立ち尽くした。
 老人が汚いから嫌というのではなく、今にも死んでしまいそうな老人に触れることが怖いのだ。
 弱いものが、死にゆくものが、レイモンドは恐ろしい。
 それは彼に、母親の末期の姿を思い出させるからなのかもしれない。

「仕方ねぇな」
「あ…」

 硬直するレイモンドの手から手ぬぐいを取り上げ、代わりに袋を手渡す。
 レイモンドが背負って来た袋には、他にもミルクや果物、薬等が入っていた。
 これらの物が全てこの老人の為の物なのだと、テッドの作業を見ながらぼんやりと理解した。
 手慣れた様子で老人の体を拭き浄め、歯磨もしてやる。
 自分では起き上がることも出来ない老人を背中に枕を挟んで座らせた。

「さ、先ずは水を」

 テッドに言われるままに水筒を差し出した。
 そのままでは飲めないのだろう。テッドが匙にひとすくいずつ老人の口に流し込んでやる。そんな感じで、ゆっくりと老人に食事を採らせる。

「毎日、…なのか?」

 テッドの背中を見詰めながら、おずおず声をかけた。
 テッドは振り向かずに短く「ああ」と返す。

「レイ、お前ホイミが使えたな。床擦れが酷いんだ。治せるか?」
「やってみる」

 荷物を持ってきた以外に自分が役に立っていないことに内心苛立ちを感じていたので、素直に認めた。
 レイモンドは魔法を使えることを周りに話していない。
 盗賊は魔法なんて使わないというのが一般常識だからだ。
 誰に習うでもなく、レイモンドは僧侶の使う魔法も、魔道士の使う魔法も初級のものなら使うことが出来た。
 話に聞く父親もそうだったらしいから、遺伝なのだろう。
 
 口中で呪文を唱え、手を翳すと、老人の表情が安らいだように見えた。
 重ねてもう一度ホイミを唱える。
 土気色をしていた頬に生気が戻り、老人はしっかりとレイモンドを見た。

「お…」
「?」
「サイモン!」
「うなっ」

 老人が喋った事よりも、喋った内容よりも、骨張った両手にがしりと掴まれた事に驚いた。

「生きておったのか、生きておったのだな! そなたは死んだと聞かされていたのだぞ。サマンオサは、世界はまだ希望を失ってはいなかった!」
「あんた、サイモンを知っているのか?」

 呆然と問うたレイモンドの声は、老人には届かなかったらしい。
 黄色く濁った目にサイモンの面影を写して、老人は尚もしゃべり続けた。

「何をしておる。早く行け! アリアハンのオルテガと共に行くのだ!」

 ネクロゴンドだの魔王だの、鏡がどうのと老人はうわ言のように繰り返す。
 そのうちに喚き疲れたのかすぅ、と眠りに落ちた。
 呆然と立ち尽くすレイモンドの肩をテッドが叩く。その顔に、いつもの笑みがない。

「この方はな、サマンオサの国王だ」
「なっ?」
「今玉座にいる国王は偽者の国王だ。それからさ、この国がおかしくなっちまったのは。そいつがお前の父親も追放した。俺達は本物の国王がここに幽閉されていることまでは突き止めたが、こうしてお世話をするだけでお救い申し上げることまでは出来ない。偽者を玉座から引き摺り下ろすこともな」

 感情を込めず、ただ淡々と語られたが故に、レイモンドはそれがすべて事実なのだと思った。

「どうして、俺に?」
「お前も、当事者だからさ。偽者のおかげで人生を狂わされた。お前も当事者だ」

 おどけた笑みで肩をすくめるテッドを、レイモンドは睨んだ。
 それを言うならサマンオサの国民すべてがそうだ。
 食堂の女将さんは息子を無実の罪で殺された。
 王様の悪口を言ったと言われて、5歳の子供が絞首台に吊るされた。
 発狂した母親は翌日城の堀に身を投げた。
 その遺体もまた不敬罪で城の尖塔に晒された。
 皆笑顔を失い、生きる意欲を失っている。
 それでも人々は、この町にしがみついて生きていくしかないのだ。

「あんたも、か…」

 くっ、とレイモンドは笑った。

「俺にオルテガの息子の真似をしろって言うのか? サイモンの息子だから、父親と同じように世直しするのが当然だって!?」
「レイモンド…」

 肩に置かれた手を乱暴に振り払う。

「俺は俺だ! サイモンなんて男は知ったこっちゃねぇ!」

 床に唾を吐いて、レイモンドは踵を返した。テッドの静止も無視した。
 頭の片隅で、冷静な自分が落ち着けと呼びかける。
 何をそんなにカッカしているんだと。
 理由はわからない。ただ、あの夢の声が聞こえたような気がした。
 夢の通りになるのが気に入らなくて、ただ、それが、いらだたしかった。
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