ドラクエ3

□明けぬ空を背負って(本編3)
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32.世界樹

 神々が創りたまいし、始源の森。
 ひとの侵入を阻み、一度入り込んだならば、決して逃しはしない迷いの森。
 その深みには、神が残した遺産があるとも、異世界への扉があるとも言われている。
 しかしアレクシアたちが目的としているのは、森の中にあるというそんな伝説ではなく、ただ森を抜けてオリビアの岬に行くことである。
 森の木々に遮られ、空を臨むこともままならぬ状況では、自分達の位置を見失い兼ねない。
 頼りになるのは、レイモンドが操る<鷹の目>の呪文だけだ。
 しかしそれも、木々の上から、下生えの中から、突然現れては襲い来る魔物を退けながらときては、何度もかけ直し、進路を確認しなくてはならなかった。
 自然、レイモンドの負担は重くなる。
 初めのうちこそ、「一緒に来て正解だったろ?」と軽口を叩くアレクシアにやり返していたレイモンドだが、段々口数も減り、顔色は血の気を失ってきていた。

 「大丈夫か?」などと聞けば、大丈夫と答えるに決まっている。
 様子を伺われるのすら嫌がるレイモンドだが、今はそれにすら気付いていない。
 どこかに休めるところはないか。視線を巡らせたアレクシアは、ちょうどいい具合に開いた木のうろを見つけ、ぐいとレイモンドの腕を引っぱった。

「何っ」
「いいから!」

 アレクシアの腕を振り払えない時点で、そうとう弱っている証拠だ。

「なんだよっ」

 油紙と毛皮のマントを敷いた上に座らせる。
 その横にどさどさと荷物を下ろし、アレクシアもうろの中に入り込んだ。

「ちょっと詰めて」

 言われるままに、アレクシアが入るスペースをあけてやる。先日の宿ではやけに抵抗感を示したくせに、今はなんの照れもなく、レイモンドの隣にもぞもぞと腰を落ち着ける。
 少し窮屈だが、大人二人が並んで座る程度の空間はあった。腰を下ろすと、思った以上に疲労が重くのしかかり、レイモンドは瞼が重くなるのを自覚していた。
 雪が降り始めたのか、外は白く曇り、入り込む空気は身を切るほどに冷たい。それでも、ふたりの体温で温められたウロの中は暖かく、ますます眠気を誘った。
 触れ合った肩に柔らかな感触。そこから伝わる鼓動が子守歌のように聞こえる。心地良い。

「少し寝たらいい。トヘロスをかけるから」

 そう言いアレクシアはトヘロスをかけた。効果範囲が狭い分、持続時間は長めというアレンジを加えて。

「あとで交代…」

 とん、と肩に重みが加わった瞬間、アレクシアは息を飲んだ。
 金縛りにあったように体を動かすことが出来ない。恐る恐る目だけ動かすと、肩にかかる綺麗な金髪が目に入った。規則正しい寝息を立てているのが、上下する髪の動きでわかる。もう少し視線を下げると、疲れ切った、けれども安心しきったレイモンドの寝顔が確認できた。
 結構な長い間一緒に旅をして来たが、こんな表情を見るのは初めてだ。
 知らずアレクシアの表情が和む。少しでも楽な体制で休ませてやりたくて、少し体をずらした。ずり落ちそうになるレイモンドに慌てたり試行錯誤を繰り返し、なんとか体制が決まった。
 アレクシア自身、なれない行軍で疲れてはいる。それでも繰り返し魔法を唱えたレイモンドよりはましだと、起きていることにした。

(きれい…)

 空気中の水分が凍りつき、きらきらと大気が輝いている。息も凍りそうな冷気も、うろの中までは届かない。
 触れ合った肩に伝わる体温と鼓動。どこか懐かしく、心安らぐ。
 いつの間にかアレクシアもレイモンドに体を預け、小さな寝息をたてはじめていた。



 目が覚めた時、レイモンドは左半身にかかる重みにぎょっと目を見開き、動こうにも狭いウロの中では思うように動けず、寝ているアレクシアを起こしてしまうのも悪いような気がして、結局そのまま外の景色を見ていた。
 灰色の空から降ってくる真っ白な雪。自分も、世界のなにもかもを包み隠してしまいそうな圧倒的なまでの白。
 血に汚れた世界も、レイモンド自身も。
 じっとおのが両手を見詰める。護れなかったもの、擦り抜けていったもの、見捨てて、置いて逃げて来たものの、なんと多いことか。
 どれほど厚く降り積もろうと、本質は何もかわらない。少しほじれば、赤黒い汚れがあらわになる。

(俺は、逃げた。あの時も。いつだって…)

 にぎりしめた拳を目に押しあてる。それで涙を押し返そうとでもするかのように。
 瞼の裏には今も、燃え盛る街と人と、嘲笑う天が見える。何も宿さぬ瞳で怨めしげにレイモンドを見上げる仲間達の姿が。

「違う!!」

 顔を覆い、思わず叫んでいた。肩に寄り掛かっていたアレクシアがびくりと震え、身を起こしてレイモンドの肩に手をかけた。

「違う…!」
「レイ?」

 指の間から混乱した目が覗いている。アレクシアを向いたが、見てはいない。唇はせわしなく何事かを呟いていた。

「どうした! レイモンド!」

 肩を掴み強引にこちらを向かせる。それでようやくレイモンドはアレクシアを見た。
 それでもまだ、怯えたような神経質な視線は、あたりをさ迷っている。

「エル…? 違う。アレクシア」

 アレクシアの顔に何を見たのかは、問うまでもない。これまでにも何度かあったし、アレクシア自身レイモンドの姿に別の姿を重ね見た事がある。

「夢でも見た?」

 汗を拭ってやりながら、額に張り付いた髪をどけてやる。
 アレクシアはランシール以来あの夢を見ていない。けれどレイモンドは、時折こうして悪夢を見るらしい。

「…ああ」

 溜息を吐くようにレイモンドは頷いた。悪夢を吐き出すように、深い呼吸を繰り返す。

「おまえがいると、見る」
「悪かったな」

 冗談ぶっての呟きは真実なのだろう。えいや、と繰り出したアレクシアの手は、珍しく無抵抗なレイモンドの額に命中したが、そのまま手首を捕らえられ自由を奪われる。

「レ…っ」

 レイモンドが次にとった行動は、アレクシアから抗議の声を奪うには十分過ぎた。

 思いつめたような熱を帯びた眼差しが近づく。思わずぎゅっと目を閉じたアレクシアの肩――鎖骨の辺りに、ことりとレイモンドは額を当てた。

「レ、レイ…?」
「混ざるんだ。記憶が」
「え・・・?」

 戸惑うアレクシアなどお構いなしに、レイモンドは苦々しく呟いた。

「なぁ? なんで俺たちなんだ?」
「・・・・・・」

 答えの出ない問い。
 偶然で片付けてしまうには出来すぎている。似た境遇。絡み合った記憶。
 今は知っている。夢に見たあの情景が過去に実際に起きた出来事で、そこに自分たちがいたこと。自分たちが伴侶(パートナー)であったことを。

「これは呪いか? 神の野郎のいやがらせかなんかか? 俺は仲間を救えない! あの時も! いつだって!」

 自虐的に吐き出された言葉。血を吐くような告白。
 アレクシアたちの船に乗り込んだ時に、自分がサマンオサから出て来ざるを得なかった事情については話したことがあった。しかしすべてを語ったのではない。同情を買い、船に乗り込み、協力させるための嘘が随所にちりばめられていた。今アレクシアの肩に額を押し当て、襟を涙で濡らしながら吐き出すのはレイモンドの真実だ。

「何も分からなかった。ただ怖くて…。逃げたんだ。死にたくなかった! 本当は、残って、戦わなくちゃいけなかった! きっと生き残ってるやつらがいて、俺の助けを待ってた! あの街には俺の、仲間が…家族がいるんだ…! なのに、俺は…―!」
「行こう」

 小さな子供をあやすように、アレクシアはレイモンドの髪をなでてやる。落ち着いた、自信に満ちた声で、もう一度繰り返す。

「わたしがお前を連れていく。待ってる人がいるなら、帰らなきゃだめだ。だから、行こう。必ず」

 顔を伏せたまま、レイモンドは瞠目した。口元に、笑みが浮かぶ。

「は…っ。おまえはほんとに…」

 顔をあげ、レイモンドはアレクシアを見た。

「おめでたいな」
「なんでだよ!」

 頬を赤らめて抗議するアレクシアにレイモンドは喉の奥で笑う。

「いや、悪い。悪かった」

 まだ笑いながら、レイモンドはウロの中から這い出した。ずいぶん長いこと小さくなって座っていたので、体のあちこちが痛い。
 外に出ると雪は止んでいて、僅かながらも陽の光が差していた。うーんと伸びをした後、まだウロの中でぶつくさ文句を言っているアレクシアにほら、と手を伸ばす。

「行こうぜ」

 まずは森を抜けてしまうこと。
 それから、その後は―…

「う、うん」

 光にレイモンドの金髪がキラキラと輝いている。素直にきれいだと思った。差し出された手や、向けられた笑顔に喉が詰まるような感覚を覚えて、アレクシアは意味もなくごほんと咳ばらいをした。
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