宝物庫

□宝物庫
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リーアさんから頂きました! アレフかっこいい! リーアさん、ありがとうございます!

新たな王

揺れる。揺れる。船が揺れる。

海は幾千幾万もの顔を持っており、昨日はプラチナ色の優美さを見せたかと思えば、打って変わって今日は怒れる龍神のごとき凄まじい形相をあらわにする。

ラダトームを出立して幾十日を経たこのガレオン船を、これほどの規模の嵐が襲うのは初めてだ。

波は船を破壊し尽くさんばかりに叩きつけ、乾燥食品や水を積み込んでいる樽が柱から外れ、がらがらと音を立てて四方に転がる。

ずぶ濡れになって縄を結び直していた上半身裸の船乗りたちも、横っ面を殴るような大波に覆い被さられ、呻き声をあげて樽と一緒に甲板を転がった。

「馬鹿野郎、なにやってる!はやく樽を捕まえて柱にしっかり結び直せ!」

こちらも全身ずぶ濡れで歯を食いしばり、肉付き豊かな腕で舵を取っている操舵手が叫んだ。

「水と食料を詰めた樽を波に持っていかれたら、俺たちゃ明日から海のど真ん中で全員飲まず食わずだぞ!」

「ううっ……、気持ちが悪い」


大波にさらわれぬよう甲板に這いつくばりながら、船乗りのひとりが真っ青になって口を手で押さえた。

「この揺れ……耐えられない。吐きそうだ」

「吐くならあとで好きなだけ吐け」

激しい揺れの中、まったく表情を変えず甲板に仁王立ちしている黒髪の若い男が、転がって来た樽をどうと胸で受け止めながら言った。

「樽が海の藻屑と消えれば、明日以降はどんなに揺れようが吐き出すものすらなくなるぞ。

塩辛い魚だけ食べ続けて壊血病にはなりたくなかろう。雲の流れを見ても、おそらく今夜一晩の嵐だ。しっかりしろ」

「ア、アレフ様。ですが……」

「泣き言は御免だ」

アレフ―――それは見間違えようもなく、竜王を斃してラダトーム王女ローラを救い出した、ロトの血を引きし「勇者」アレフだった―――はにやりと笑った。

「お前、確か出航前は何があろうとも命を賭してアレフ様にお伴つかまつります、とか言っていたはずだが」

「も、もちろん!貴方様をあらたな主君と崇める気持ちに何の変わりもありません。

ただ自分は元々ラダトーム王府軍の志願兵出身で、船はこれがまったくの初めてでして……」

「ならば早いうちに慣れることだな。新天地探しと船旅、船旅と嵐は永遠に一対だ。

その覚悟がないなら、これ以上着いて来られても足手まとい。樽より先に海に飛び込んで郷里へ帰れ」

「そんな御無体な」

船乗りは顔を引きつらせた。

「わたしはアレフ様の凜々しい英雄ぶりにとことん惚れ込みましたからこそ、祖国を捨ててまで貴方様の門出について参りましたのに!」

「それは恐悦至極」

アレフは謝意など少しもこもっていない冷たい声で答えると、濡れた樽を軽々と肩に抱えあげ、縄で柱にきつく縛りあげた。

だがふと樽を見つめ、鼻先を近づけてかすかに眉をしかめると、何を思ったかせっかく縛った縄を解き、樽を力任せに蹴り飛ばして荒れ狂う海へと放り込んでしまった。

「な……、アレフ様、なにを!」

真っ青になったラダトーム志願兵出身の船乗りは、みなまで言うことが出来なかった。

獣のような速さでアレフが背後へ回り込むと、ずぶ濡れの男の身体を樽と同じようにぐいと肩に抱えあげたからだ。

「うわぁ、アレフ様、おやめ下さ……!!」

「ずいぶん物騒なことをしてくれるものだ。樽にまるごと毒を盛るとは」

雨と波飛沫にまみれたアレフの美貌に、凄惨と言ってもいい笑みが浮かんだ。

「用心深い勇者の寝首をかく好機を得られぬのに焦れて、船員もろとも皆殺しへと策を変えたか。

水に毒を盛れば俺や水夫たちだけじゃない、ローラも死ぬぞ。それとも偉大なるラダトーム王家は、成り上がりの勇者憎さにたったひとりの直系の王女をも見捨てるつもりか」

「な……、なにをおっしゃっているのかわかりません。アレフ様!」

「お前が俺を狙う暗殺者だということなど、とうにわかっている」

アレフは男を抱えあげたまま、嵐の中をつかつかと甲板の舳先へ歩いて行った。

「新大陸に到着するまでは泳がせておくつもりでいたが、これほど手荒な手段に打って出るなら話は別だ。

ローラを捨てるのか。ラダトーム王は、国を裏切った愚かな娘に用はないというのか」

「裏切り者に用などあるわけがなかろう」

船乗りの男は、アレフの肩の上で身をよじらせながらせせら笑った。もはや芝居はこれまでと観念したか、先ほどまでのびくついた声音は綺麗に消えていた。

「あの王女は既に穢れている。ふたりの男に弄ばれた。竜王と、そして貴様だ。

卑しい馬の骨勇者の血が混じった王家の傍流など作らせてたまるものか。ラダトーム王には汚れた娘も、汚れた子孫も要らぬのだ。

ローラ姫も貴様も、ここで……死ね!」

懐に突っ込んだ手に握りしめた毒針を振りかざす。アレフはさっと首を傾けてそれをかわすと、空いているほうの腕を伸ばし、男の手首をつかんで手のひらと反対の方向へひねりあげた。

「ぐわぁっ」

骨が折れる嫌な音がし、男が激痛にわめく。アレフは舳先から身を乗り出すと、まるで必要のなくなった積荷を下ろすかのように、叫び続ける男を容赦なく海に投げ落とした。

腹をすかせた魔物の口のような大波が、ぱくりと男を飲み込む。とたんに悲鳴はふつりと途絶えた。

「怒れる海神も照覧あれ。愚かな暗殺者は贄(にえ)となった。舵を取れ。手を休めるな。嵐を乗り切るぞ」

ずぶ濡れの腕をたかだかと掲げ、アレフは怒号のように叫んだ。

「つまらぬ王家の犬に、俺の配下の誰も殺させはせん。お前たちの命は俺のものだ。神に祈るくらいなら、俺に祈れ。船を進めろ。新しい大陸へ!」

「新しい大陸へ!」

船乗りたちがおおお、と唱和した。唱和はやがて、嵐をも凌駕する詠唱と変わった。波しぶきにまみれた屈強な男たちが、アレフへ向かって一斉に手を突き上げた。

「新しい大陸へ!」

「新しい大陸へ!」

「竜の勇者が統べる、我れらの新しい大陸へ!」

「アレフ様……」

船室の扉が開き、蒼白な顔をした美しい女がよろめきながら現れた。

豪奢な巻き毛の金髪がたちまち雨にそぼ濡れる。アレフは舳先から身軽に飛び降りると、女の華奢な肩を抱き寄せた。

「どうしました。嵐が過ぎるまで出て来てはなりません。荒れた船上に女性(にょしょう)の出る幕はありませんよ」

「人の……、叫び声が聞こえたように思いましたから。アレフ様になにかあったのかと心配で」

「ご安心ください。なにひとつ危ないことは起きていません」

アレフはほほえんだ。

「どれほど大きな嵐が来ようとも、船は決して止まらない。このまま進むだけです。俺があなたに差し上げると言ったでしょう。国を」

「国を」

「そう」

アレフと女の囁きが重なった。

「新しい、国を」

甲板を叩きつけてまっぷたつに割れた荒波が、幾千も放たれた矢の群れのようにばらばらに砕けてふたりの全身を打つ。

アレフは笑いながら首を振って髪から垂れるしずくをはねのけ、転がって来た樽を毬球のように虚空へと蹴りあげた。

どおんという音が響いて樽がマストにぶつかり、赤紫色の酒があたり一面に飛び散る。金髪の女は金切り声をあげて、まもなく新たな王となる恋人の濡れた広い胸にしがみついた。



―FIN―
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