◆ときめきトゥナイト

□お題外2
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鬼の撹乱



「…んん゛っ」

咳払いをひとつして、俊は顔をしかめた。

やばい。

なんだってよりにもよって今日なのか。

枕元の時計を持ち上げて、デジタル表示を確認する。それさえ億劫だ。きっと熱がある。
昨晩寝床に入る前に、なんとなく嫌な予感はあったのだ。あったのになんの対策もとらずに寝てしまった。とは言え、アパートには常備薬なんてものはおいていないので、対策なんて出来ないのだが。

今日は久し振りの休みで、しかも世間の休みと被っていて、丁度クリスマスイルミネーションも始まるので、お気に入りの喫茶店でブランチして、映画を見て、夜景を見に行こう、なんて計画していたのだ。
その話をしたときの蘭世の嬉しそうな笑顔。あの笑顔のためなら、多少の熱や怠さなどは屁でもない。

…はずだ。

「っし!」

気合いを入れて体を起こす、いつもは窓を開けて布団を干すが、無駄な体力を使いたくなかった。
簡単な身支度にさえ、酷く労力を使う。
顎髭に剃刀を当てている時に、ふいに玄関チャイムが鳴った。驚いて手元が震え、皮膚を切った。悪態をついて傷の具合を鏡で確認する。治癒するまでもないような浅い傷だ。

ピンポーン

二度目のチャイム。
無視する。

ピンポーン
とんとんとん

「ちっ」

しつけぇな! と毒吐きながら、不機嫌さを隠さず無言でドアを開くと

「わっ、びっくりした」
「え、とう…」

驚いたのはこっちだ。今日は店で待ち合わせのはずだった。時間にはまだ余裕があるし、まさか流石の蘭世でも、昨日の夕方にした約束を忘れたわけではないだろう。

「どうしたんだ」
「うん。えへへ、お迎えに来ちゃった。あ、どうしたのここ?」
「髭を剃ってて切った」
「え、真壁くんてお髭を剃るんだね?」

大きな目を丸くして本気で驚いているらしい。

「そりゃ、男だから」
「うちのお父さんはしないよー。あ、でもおじいちゃまは立派な口髭をしてたかも」

生えないわけではないのかな。不思議。と、ぶつぶつ言いながら、蘭世は俊の脇をすり抜けて部屋に上がり込む。
男の独り暮らしの部屋に、無防備に上がり込むんじゃない。とか、迎えに来たんじゃなかったのか。とか、言いたいことはいくつかあったが、やりたいようにやらせておく。

「どうしたんだよ?」
「んー」

蘭世は敷きっぱなしの布団にちら、と一瞬目をやったが、それはそのままにして、持っていた荷物からちゃぶ台に色々並べ始めた。
なにやら大きなバスケットを下げているなと思っていたが、バスケットの中からは水筒やら鍋やらが出てくる。

出しながら

「鈴世が風邪を引いてね。昨日、真壁くん、電話の声がおかしかったから」

バスケットからものを出し終えると、今度は台所に行ってヤカンに湯を沸かす。戻ってきた手には茶碗とれんげ。

「風邪を引いてるでしょ?」

ちょいちょい、と手招きされて、俊は蘭世の横にどかりと胡座をかいた。空かさず蘭世の手が延びて、俊の頚筋に触れる。

「7度半、てところかな? 体温計はー?」
「んなもんはねぇよ」
「今度買おうね。朝御飯食べた?」
「…いや」

なんで鈴世が風邪を引くとおれが風邪を引くと思うんだ? おれば小学生の弟と同じ扱いなのか。あと、飯を食いに行くんじゃなかったのか。

「そうかなーと思って、持ってきたの。これ食べて、薬飲んで、もう一回寝よう」
「は?」

てきぱきと椀によそわれたお粥。握らされたれんげ。

「食欲はあるの? レモネードもあるよ」

丁度お湯が沸いて、コップに熱いレモネードが作られた。

「…食うよ」

お粥は適温だった。冷めないように急いで持ってきてくれたに違いない。もそもそと食べているうちに、熱々のレモネードも少し冷めるだろう。俊が黙って蘭世の言う通りにしているのを、自分用に淹れたレモネードのカップを抱えながら蘭世は優しい笑みで見守っている。

「はい、お薬。18歳だから3錠ね。俊くん玉のお薬上手に飲めるかな?」
「……」

軽く睨むと蘭世はくすくすと笑った。薬をレモネードで飲み干すと、無言で差し出された手にコップを返す。

「あ、今日着てたパジャマは? 洗っちゃうね」

家財道具がほとんどないし、間取りも一目で分かる広さだとはいえ、まるで自分の家のように淀みなく、蘭世はタンスから新しいパジャマを出して俊に手渡し、布団の横に脱ぎ散らかしていたパジャマを抱えて脱衣場に行った。

「あ」

脱衣場には昨日の洗濯物がそのままになっているはずだ。もちろん下着も。
慌ててあとを追いかけるが、既に蘭世の手には俊のパンツが握られている。内心悲鳴を上げて顔を被ったが、蘭世はそんな俊を不思議そうに見返すと「着替えてお布団に入りなさーい」と幼い子供を叱るように言った。

「はい…」

洗濯機の作動音を尻目に従うしかない。着替えて布団に潜り込んだ頃、ひととおり片付けを終えた蘭世が枕元にやってきた。
ひやりと、額に濡れタオルが乗せられる。

「江藤」
「なぁに?」
「映画、いいのか」

次の休みにはもう上映されていない。

「レンタルされたら一緒に見ようね」
「ああ」
「イルミネーションはしばらくやってるし。だから今日は看病させてね」

機先を制された。タオルの下で俊が苦笑する。かなわない、と。



20181124
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