◆ときめきトゥナイト

□ときめきお題
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なるみ
05. 受け止めるよ 何度でも〜鈴世〜


 見上げる空に月がひとつ。
 以前は満ち欠けする事なく、昼夜を問わず、青白い光で魔界を照らしていた月は、数年前から人間界の月同様に姿を変え、昼間は西の地平線へと姿を隠すようになった。
 順応性が高いのか、細かいことにこだわらない質なのか、魔界人達はこの月にたいした疑問も不満も持たなかったらしい。

(いつも満月だったら、お父さんは困ったかな)

 満月の晩は血が騒ぐらしい母に毎夜暴れられては、さしもの父もまいるだろうと、鈴世はくすりと端正な唇を微笑ませた。

 あれから、何度月が満ちるのを数えただろう。
 それだけが時を知る術だとでもいうように、鈴世は月を見上げ続けた。
 何度夜を数えれば、再び彼女に出会えるだろう。
 老いることのないこの身は、何年でも彼女に出会えるその日を待つことが出来る。
 彼女にまた会えるのなら、この腕に抱く事が出来るなら、絶望的な悲しみにも、心を苛む孤独にも堪えて見せる。
 彼女への想いは変わらない。否、増すばかりだ。

 意地悪な天使が、拗ねた唇を尖らせて呟いた事がある。

「人間なんて不確かな生き物、鈴世のことなんて忘れてしまうかもしれないわ」

 月を見上げていた目を静かに下ろして、床を蹴る天使に目を向ける。
 くるくると柔らかくウェーブのかかった亜麻色の髪。よく手入れされたこの髪を、なんど撫でてやったことだろう。
 妹のように慕ってくる天使が可愛くて、つい甘やかしてきたけれど、この子は妹ではないのだと、最近になって意識しだした。

「どれくらいしたら人間界に行けるのか…、うううん。もう二度とお許しなんて出ないかもしれない。あの人の若さを奪って、一生を縛る権利が鈴世にはあるの?」

 きっと強い瞳が見上げてくるのを、鈴世は逃げずに受け止めた。
 声もなく、ただ静かに見詰め返す。瞬きもせずに、じっと。

「…っ」

 罰悪そうに目をそらしたのはココの方だ。
 紫水晶の瞳が泣き出しそうに揺れている。意地悪したくて、傷付けたくて言ったのは、ただ振り向いてほしかったから。けれど傷付けてしまったことに、幼い心が傷付いている。
 鈴世は何も言わない。怒りもしない。悲しみもしない。

「忘れてしまうわよ、絶対!」

 顔をくしゃくしゃに歪めて、ココが叫ぶ。
 それでも鈴世の表情は静かなままだった。
 それが許せなくて、ココの顔はますます歪む。白い頬を真っ赤にして、ココはだっと身を翻した。紫の髪が、後を追う。
 母親に見つかったら叱られたに違いない。バタバタと足音は騒がしく部屋を真横に駆け抜けたココは、これまた乱暴にドアを開け閉めして駆け去っていく。
 ココの幼い足音が廊下の向こうに消えてしまうと、鈴世は再び窓の外に視線を戻した。
 泣いているかもしれない。多分そうだ。
 今頃はベットにつっぷしてわんわんと泣いているに違いない。
 けれど追い掛けていって、慰めようとは思わなかった。それは鈴世の役ではない。鈴世はココの兄でもなければ、従者でもない。ましてや恋人でもないのだから。
 今一人、夜のベットを涙で濡らしているかもしれない女人(ひと)を思う。
 月を見上げながら、我知らず窓枠に突いた手に力が篭っていた。

(忘れない)

 病院の庭で出会った青白い肌をした少女。ぬいぐるみと絵本だけを胸に抱いて、小さな胸に傷痕を抱えていた少女。初めて出来た友達。初めて好きになった女の子。

(何度だって好きになる)

 たとえ彼女が僕を忘れても、何度だって好きにさせてやる。

(会いたい…)

 人間界のそれほどに精製技術が進んでいないのだろう。歪んだ硝子には唇を噛んで表情を歪めた男の顔が映っていた。



 江藤家、俊一家の人間界への帰還が認められたのは、それから暫くたってからのことだ。
 メビウスの水晶玉が第三の世界の兆しを伝えたのと時を同じくして、突如輝いた月の花と人間界にある月の雫の結晶との関連を調べる為、というのが表向きの理由だが、幼い姫に甘い父王が、恋しい男の寂しそうな姿に耐えられずいる娘を案じた、というのが舞台裏の事情だ。
 鈴世が魔界を去る日、ココは父王のマントの裾をにぎりしめて半分方父の体の後ろに隠れていた。声をかけても、唇を真一文字に引き結び、ついぞ目も合わせようとしなかった。

「遊びにおいで」

 つい、そんなことを言ってしまったのは、結局鈴世もココに甘いということだ。突き放しておきながら、甘やかす本質は変わらない。
 そんな自身に苦笑して、鈴世は長い坂を昇っていった。
 現世に続く隔世の坂を。


2010.10.28
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