ドラクエ3
□明けぬ空を背負って(本編2)
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子供達がアレクシアをポカパマズといったのは、たんに噂に聞いていた英雄が旅の剣士だったからだと、おやつをあげた子供から聞くことが出来た。
ポカパマズがムオルにやってきたのが14〜15年前の一度きりだというのなら、子供達がポカパマズの風体を知っているはずがないのだから。
ポポタの家で、ルイーダとポカパマズについての話をしたあと、アレクシアは夕飯を食べていくようにというニーナの勧めを断って家を出た。宿へ案内されがてら、明日子供たちと遊ぶ約束をして別れ、今は一人食堂でスプンを弄んでいる。
(ルイーダはオルテガの供をしていた。オルテガはなんでポカパマズなんて名乗ったんだろう…)
かすかに覚えている父の面影。意味もなく偽名を使うような人ではないと思う。
(それにしたってポカパマズって…)
意味がわからない。
頭を抱えた。注文した料理にも手を付けず、声を出さずに呻いているアレクシアの姿は、どれほど奇妙な客に見えたことだろう。
(いや! ちょっと待てよ? 倒れていたのはオルテガだけじゃない!)
ルイーダがこの町から旅に加わったなら、ムオルに入った時オルテガには別の誰かがついていたということになる。
子供だったポポタには、旅人の区別が付いていなかったのかも知れない。その時の記憶が曖昧だというなら、供がいたことすら信憑性は薄くなるが。
(ダーマで勇者の称号を与えられたっていってたな)
アレクシアはダーマ神殿に行ったことがないので、実は勇者の称号をいただいているわけではない。アリアハンの勇者オルテガの称号を、そのまま引き継いだだけだ。
勇者だの賢者だの、アレクシアにとっては意味のない肩書に過ぎない。
そんなものがなくたって、バラモスに挑むことは出来る。力及ばなければ、果てるだけだ。
(ダーマか…)
ルイーダもダーマに行ったという。
一度訪ねてみるのもいいかもしれない。
すっかり冷めてしまったスープをひとさじすくい、それが酷くまずいものだと気付いて匙を置く。温かければ、まだ食べられたのかも知れない。
この地方特有の味付けなのだろうか。茹でた野菜もなにやら土臭いようなにがいような、とにかくアレクシアの好みには合わなかった。
(どうしよう…)
残すのも勿体ない。
我慢して食べるか。
そう思っても、なかなか匙を口へ持って行く気にならず、匙を持ち上げては元に戻す動作を二度ほど繰り返した時、入口付近で、騒ぎが起きた。
うわ、だの、あぶねぇな、だの。個々の言っていることはわからないが、おかしな客が入って来たことは確かなようだ。
興味にかられて入口を見たアレクシアは、そこに見慣れた金髪を見付けてガタリと椅子から腰を上げていた。
血まみれの男が人を押し退けて店に入ろうとしている。武器を帯びた血走った目の男を、筋骨逞しい男が腕を広げて押し止めていた。
「なにがあったんだ。あんた血まみれじゃねぇか」
「怪我をしているなら司祭様をよんでやる」
「いらねぇよ! いいから退け!」
息は荒く、足取りも重い。本調子のレイモンドなら、安々と男達の手を擦り抜けていたことだろう。
騒ぎの中、声を聞いてアレクシアは居ても立ってもいられなくなった。
人込みを掻き分け、前に出る。
「レイ!」
手負いの獣が今にも牙を剥いて飛び掛かろうとしていた場面に、アレクシアは飛び出した。獣――レイモンドを包んでいた敵意が不意に収まる。呆気に取られた表情で、レイモンドはアレクシアを見た。
「なんでおまえ…」
「怪我をしたのか? 見せて!」
アレクシアの登場に、レイモンドを押し止めていた男衆も呆然と成り行きを見ている。
アレクシアはレイモンドに取り付くや、衣服の上から出血の箇所を調べた。全身いたるところに傷をおっていたが、太腿の傷が一番酷い。血止めにと巻いた布は鮮血に染まり、いまもじくじくと血を流し続けている。
「!?」
レイモンドの話等耳に入っていない様子で、アレクシアは強引にレイモンドの脇を担ぎ上げた。
「おいっ!?」
「手伝って!」
「は、はいっ」
アレクシアに一喝されて、反対側から男がレイモンドに腕を貸す。レイモンドの抗議には一切耳を貸さずに、アレクシアは自分の部屋にレイモンドを運び込ませた。
湯を運んでくれるよう伝えると、男達はお使いをいいつけられた子供のように素直に従った。
「おまえ、なんでこんなとこ…」
「うるさいっ! じっとしてろ!」
「ぐ…っ」
包帯を外し、裂けたズボンにナイフを入れて取り払う。傷口に聖水を注ぐと、血が洗われて傷口に遺る異物が見えた。傷口は、紫色に晴れ上がり、腐食の範囲を拡げている。
「ツムリの毒にやられたな」
学者の間ではスライムの一種だといわれている。蝸牛のような魔物だ。湿原や海沿いを好んで棲息しており、集団で獲物を襲う。
触手からは腐食性の毒を出し、それで柔らかくした獲物を啜るのだ。
「すぐ処置すれば大丈夫だ」
「あの〜、お湯…」
「そこに置いて。ついでにこの人が動かないように抑えていてくれませんか」
熱消毒したナイフの具合を見ながら言うアレクシアに、男達の腰か引けるのが分かった。
「いらん」
「刔るんだぞ?」
平然とそんな会話をしているアレクシアとレイモンドに、男達は今にも卒倒しそうな顔色だ。
「いらん」
再度レイモンドは繰り返した。そして男達を見る。
「倒れられても邪魔だ。出てってくれ」
男達はこれ幸と、競って部屋を出ていった。廊下の向こうに足音が消えていくのを聞きながら、アレクシアはレイモンドに「痩せ我慢しちゃって」と肩を竦めた。
「してないだろっ。いいからさっさと頼む」
丸めたタオルをくわえた。舌を噛まないためだ。
アレクシアは表情を真面目なものに改め、口中でベホイミの詠唱を始めながら注意深く傷にナイフの切っ先を入れた。腐食した肉ごとツムリの触手についた刺を取り除く。
新たな血を吹き出す傷口に手をあてて、唱えていた呪文を解き放つ。
見る間に傷口は塞がってゆくが、毒に因る炎症までが取り除けたわけではない。
薬草を入れた袋から毒消しを取り出し、ニワトコ油と練って軟膏をつくり傷口に当てた。
「用意がいいな」
「ディが、持たせてくれたんだ」
「………」
「?」
毒の治療も、ディクトールがいれば呪文ひとつで片が付く。それでも、常に彼の呪文が使える状況にあるとは限らない。そんなときのためにと、ディクトールはアレクシアに薬草の入った袋を持たせていた。毒の処置方法と合わせて。
レイモンドはそんなもの渡されていない。思わず黙り込んだレイモンドの、沈黙の意味など思いもせずに、アレクシアは淡々と処置を続けた。
「さ、あとは大丈夫だな?」
鎧を外すのを手伝ってやりながら、肩や背中に触れて確認する。
「このあと熱が出て、汗が出たら、次の朝には治ってるよ。眠れないかもしれないけど、寝ろ」
「はぁ?」
気安く触るな、とか、無茶苦茶言うな、とか、文句はあったが死にかけていたところを救われたという弱みもある。実際疲労は堪え難いところまで来ており、レイモンドは素直に横になった。
程なく睡魔がやってきて、そのまま眠りに身を委ねた。
久し振りに、レイモンドは夢を見た。
嫌な夢だ。
暗い森を走っている。
走っても走っても足が前に進まない。手足に何かが絡み付いてくる。
恐怖に苛まれながらも見てしまう。見るなと頭の中で叫んでいるのに、レイモンドはそれを見てしまうのだ。
手足を捕らえる無数の手。全身に絡み付いている女の長い髪。
そして、足元に転がる仲間達の無念そうな死に顔。
「っ!!!」
悪夢から覚めたもの誰もがそうするように、レイモンドは素早く辺りに視線を走らせ、現実と夢が別のものだと確認する。
ひどく汗をかいていた。うなされていたのだろう。額に置かれていたらしいタオルが落ちていた。
「う…ん…」
人の気配にこれまで気付かなかったのも間抜けな話だ。はっとして見ると、寝台の端に手をついてアレクシアが眠っていた。
そういえばここはアレクシアの部屋だったはずだ。どうやら寝台はひとつしかない。サイドテーブルには替えの包帯や汗を拭ったらしき手ぬぐいが置かれていた。
ずっとついて、看病してくれたのだろうか。
「…いらんことしやがって…」
髪を撫でようと伸ばした手が触れる前にアレクシアは小さくくしゃみをした。寝ながらくしゃみをするやつを見たのは初めてだ。
「ったく…」
痛む足で、苦労しながら眠るアレクシアを抱き上げる。
わずかに身じろぎしたものの、アレクシアは幸せそうな寝息を立ててよく眠っている。
要らん手間をかけさせやがって、と毒づくレイモンドは優しい表情をしていた。