ドラクエ3

□明けぬ空を背負って(本編2)
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29−8

 宮の外壁を迂回して再びヒミコの寝屋に戻るのはたいした手間ではなかった。八又之大蛇が暴れたお陰で、あちこち壁が壊れていたからだ。
 手近な穴から中の様子を伺う。
 八又之大蛇は外に弾き出したアレクシアたちのことなど全く気に留めていないようで、隙だらけの背中が見えた。

「待て」

 瓦礫を乗り越えようとするアレクシアの肩を、レイモンドがつかんで止めた。訝しげに振り返るアレクシアにレイモンドはバイキルトを唱える。

「よし、行け!」

 言われるまでもなく、術がかかるやアレクシアは矢のように飛び出した。レイモンドもまた八又之大蛇の死角を縫うように走り出す。セイ達と合流し、彼等を窮地から救い出さねばならなかったからだ。

 衣装棚を足掛かりにアレクシアは八又之大蛇の背中を駆け上がった。大きすぎる魔獣は背中を走るアレクシアに気付かない。
 アレクシアが目指したのは、人でいえば首の後ろの大きく突起した骨、隆椎の下の窪みだ。首が何本だろうと、脊椎動物ならそこが急所であることにかわりはない。まして一本の背骨から八つの首が分岐しているのであれば、接合部分の脆さは首がひとつの構造体より遥かに高いはずだ。
 首の付け根というよりは、肩関節の真ん中と言ったほうがぴんとくるかもしれない。
 とにかくもその窪みに向けて、アレクシアは草剪の剣を突き立てた。
 炎を吐いていた首から断末魔の咆哮が上がる。最後の首が必死の形相で首の付け根に取り付いたアレクシアを振り落とそうともがくが、柄まで深く突き刺さった剣は抜けるどころかますます深く食い込むばかりだ。

「終わりだ!」

 柄から手を離し、暴れる八又之大蛇の背から飛び降りる。飛び降りざまアレクシアは、渾身の力でライデインを放った。
 八又之大蛇は、一瞬大きく痙攣し、どうと倒れた。それきり動かず、巨大な獣の骸はぐずぐずと崩れ始めた。
 飛び降りた先でさすがにへたりと座り込んでしまったアレクシアは、仲間の姿を求め首を巡らした。八又之大蛇の巨体の向こうに、求める姿を見つけ、ほっと安堵に顔を綻ばす。しかしその笑みは、すぐさま冷たい手で心臓を鷲掴まれたように凍り付き、アレクシアは悲痛な叫びを上げた。



 それから、数日。
 アレクシア達5人はヤヨイの隠れていたあの倉庫に身を寄せている。
 セイは、総手でかけたベホイミの甲斐あって一命を取り留めた。しかし流れ出た血がベホイミで戻るわけもなく、昏睡状態が続いている。
 同様に深手を負い、セイの隣に寝かされていたリリアも二日目には起き上がれるようになり、以来セイの枕元で看病を続けていた。

「リリア」

 食事も最低限、強く勧めてはじめて口にするといった有様で、リリアの消耗は激しかった。唇はかさかさに渇き、髪も肌も艶を失い、目許には大きなくまが浮いている。
 幽霊のようにふらりとアレクシアを見る瞳には、いつものような勝ち気な光は浮かんでいない。

「リリアがそんなんだと、目が覚めた時セイが心配するよ。一緒にお風呂いこ? ヤヨイちゃんが、浴衣貸してくれるって」

 腕を引くと抵抗もせず、引かれるままに立ち上がる。掴んだ腕は驚くほどに細くなっていた。

(このままじゃあ…)

 嫌な予感がアレクシアの足をすくませる。
 セイも目を覚まさない、リリアの衰弱もひどい。
 自らの命さえ、無事に済むと思わなかった旅だ。16で死ぬのかと自棄になった時期もある。それでも旅に出ることができたのは、旅立ってからもこうして進んで来れたのは、セイや仲間たちがいてくれたからだ。
 友人を、仲間を、危険にさらすことになることはわかっていたのに、心のどこかで楽観していた。
 誰も欠くことなく、いつものように冗談を言い合いながら、笑ってアリアハンに凱旋することを。
 ぎゅ、とアレクシアはシャツの裾を指が白くなるほど強くにぎりしめた。

 これが覚悟か?
 大切なものを、自分の目的のために、自分のせいで失くすこと。
 その重責と哀しみに耐えること。

 そんな覚悟はない。

「アル…?」

 唇を噛み締め、俯き足を止めたアレクシアに、リリアが声をかけた。はっと顔を上げ、アレクシアは無理に笑顔を作る。

「ごめん。行こっか」

 かすかに首を頷かせるリリアの手を引いて、アレクシアは歩き始めた。けれど頭の片隅に、どうしても拭えない不安がある。何度頭を振っても、振り払おうとすればするほど、不安はもやのように広がり、アレクシアの心を占めた。


 八又之大蛇を倒して5日目。
 焼け落ちた宮痕の片付けを手伝っていたレイモンドとディクトールが、焼け跡から紫色の宝珠を見つけた。ヒミコが持っていたというそれを、事情を説明し譲り受けることができた。ただヒミコが持っていたというだけで、ジパングの人々はそれを置いておくことを拒んだということもある。ジパングの人々は迷信深い民族性の持ち主なのだ。
 レイモンドとディクトールが持ち帰ったそれは、予想に違わずパープルオーブだった。共鳴するように輝き震える4つのオーブを、アレクシアは山彦の笛と一緒に袋にしまった。

「あ、っと…」

 手が滑り、落ちたオーブが床を転がる。自分の足の上に落ちるのは反射的に避けたアレクシアだが、転がった先でオーブが寝ているセイに当たったときは自分の足に落ちた方がマシだったと顔色を変えた。

「…う」
「あああああ! ごめんセイ! 大丈夫!?」
「コブんなったかも…」

 左手で頭をさするセイの頭に慌ててホイミをかけたとき、アレクシアは改めて我にかえった。

「セイ!」
「おー?」

 ひどくゆっくりと手が上がる。それさえも辛そうだ。この五日間、蜂蜜を溶いた水をふくまされていただけである。返事をするのだって辛いだろう。
 アレクシアはオーブを拾うのも忘れて部屋を飛び出した。

「みんな! 大変! セイが!」

 切羽詰まった大声に、最悪の事態を想像して駆け付けた面々は、アレクシアが浮かべる涙が喜びによるものだと知るや、へたりこみ、まぎらわしいことをするなとアレクシアを小突いた。
 それでも四人の顔には心からの安堵が、喜びが浮かんでいた。



 リリアが消える。
 ぞくりと背中をはい上がった悪寒に、思うより、考えるより早く、体が動いた。
 彼女が助かればいい。
 それしか頭になかった。

 牙と彼女の間に割り込んだ腕が、蛇の顎に捕まる。
 痛みよりも、熱さを感じた。炎の熱さか、傷の痛みかわからない。無我夢中で左拳を蛇の鼻目掛けて振り下ろす。何度も、何度も。
 それから先のことは覚えていない。
 リリアの声と、八又之大蛇の断末魔を聞いて、それでセイは安心して気を失ったのだ。
 次に目が覚めたとき、妙に体が重くて、怠くて、手足が思うように動かない。
 怪我をして熱が出て、それで体が思うようにならないのだと思った。

「ばか…!」

 顔をくしゃくしゃにしてリリアがセイの胸を叩いた。覆いかぶさるように抱き着き、子供のように泣きじゃくるリリアの髪を撫でようと手を延ばし…

(あ――…)

 セイは気付いた。思い出したと言うべきか。
 自分の右肩は白い布に覆われている。本来肘があるはずの部分から先は、闇に飲まれてなくなっていた。

(そうか。そうだ)

 左手を延ばし、震えるリリアの背を撫でる。

(もう、ないんだ…)

 壁に立て掛けられている鎧はひしゃげ、ぼろぼろに裂けて使い物にならないだろう。
 戦斧は研ぎ直してやればまた、もとの鋭さを取り戻すだろうか。
 しかし、自分は…―

 リリアが生きている。
 アレクシアも、ディクトールも、レイモンドも。自分だって。
 みんな生きている。
 それに比べたら、右腕の一本くらい惜しくはない。
 比べることすらバカバカしい。
 わかっている。自分が選んだ。後悔はしていない。
 それでも、

「やっぱり、痛ぇな…」

 失ったはずの右腕が痛む。
 これまでの生き方は選べない。
 失ったものは、決して小さなものではないのだ。
 閉じた両目から、涙が一筋流れて落ちた。
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