ドラクエ3

□明けぬ空を背負って(本編2)
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28−5

「なんだよ」

 開口一番、これだ。
 アレクシアもむっとして、ぷいとレイモンドから顔を反らした。

「別に」

 いつものレイモンドなら、悪態をつきつつ居なくなるのに、この時はそうではなかった。
 レイモンドはちらりと背後を振り返り、白い神官服が見張り台を昇っていくのを確認する。

「あいつ、なんだって?」

 はっきりいって、変だ。仲間の事など気にかけるような男ではない。
 思い切り眉をしかめたアレクシアに、レイモンドも不機嫌そうな顔をする。

「なんだよ。俺が聞いたらまずいのかよ」
「まずかないけど、らしくはないだろ?」
「は、違いない」

 可笑しそうに笑う。これもまた意外だ。
 セイといい、ディクトールといい、レイモンドといい、今日はやたらと声をかけられる。

「もしかして」

 アレクシアは手の中の笛を見詰めた。

「気を使われてる?」

 そのくらいしか、思い当たらなかった。
 直ぐさま返事があるかと思いきや、レイモンドからは反応がない。恐る恐る目を上げると、呆れた、というよりは小ばかにしたような、レイモンドの顔に行き当たった。

「なんっ!」

 だよ、と言うより早く

「ばっかじゃねぇの?」

 心底そう思っていますと言わんばかりに深々とため息をつかれた。

「おめでたいやつ。幸せなやつ。自意識過剰ってんだぜ? 知ってるか?」

 レイモンドは鼻で笑う。

「みんながみんな、おまえを気にしてるなんて、どうしたらそんなおめでたい考えが出来るんだろうね。おまえの頭ん中覗いてみたいぜ」

 返す言葉もない。指摘されて恥ずかしくなる。それにしたってそんな風に言わなくても良いではないか。

「さすが勇者サマは頭の出来が違うね。いいコに育ててもらったんだなぁあ?」

 腹が立つ。が、しかし口を挟めない。返す言葉が出てこない。アレクシアの口よりも、レイモンドの口のほうがよほどよくまわるのだから。
 真っ赤になって口をぱくぱくさせているアレクシアに、レイモンドはふん、と鼻を鳴らした。ついと手を延ばして、アレクシアの手から山彦の笛を取り上げる。

「あっ!」

 まったく盗賊というやつは手が早い。

「返せよっ」

 奪い返そうとのばした手は、ひょいと避けられてしまう。

「ちょっと!」

 しまいには、アレクシアでは届かない場所にあげられてしまった。これでは子供がからかわれているのと変わらない。

「レイ!」

 苛立ったアレクシアは、レイモンドの腕に捕まり、そこを支点に伸び上がった。腕を痛めていなければ、あるいはそれで届いたかもしれない。

「痛っ」

 右腕を走る痛みに力が抜ける。地に半分足が着いていない状態で支えを失えばどうなるか。

「あ、ばか!」

 アレクシアの体はぐらりと傾いで、そのままレイモンドに抱き着く形になった。
 レイモンドの方もまさかアレクシアが飛び付いてくるとは思っていなかったので、船縁に背をついてどうにかアレクシアを受け止めた。笛も海に落とすわけにいかなかったので、なんとも危うい姿勢だ。下手をすれば二人して海に落ちていた。
 重なる互いの鼓動が早い。

 鼓動?
 誰の?

「わぁっ」
「うわっ」

 場所も状況も忘れてアレクシアはレイモンドを突き飛ばした。突き飛ばされたレイモンドはまさかそんなことになるとは思っていないので押されるままバランスを崩す。

「おまっ、ばか!」
「きゃああ」

 背筋を突っ張って堪えるが、レイモンドとて先日の戦闘で無傷だったわけではない。平素ならなんでもないことが困難な時もある。
 落ちる、と延ばした手を、アレクシアは引っ張った。いくらレイモンドが細身とはいえ男の体を引き戻そうと思えば体重全部で引っ張ってもまだ足りない。引きずられそうになり、更に後ろに踏ん張った結果、甲板に頭をぶつける。気付けば目と鼻の先にレイモンドの顔があった。

「き…」
「ちょっ!」

 押し潰さないように咄嗟に突っ張った手で、悲鳴を上げようとしたアレクシアの口に慌てて蓋をした。アレクシアの口には甲板の砂だのが入ったかも知れないが、そこはもう我慢してもらうしかない。

「勘弁してくれよ…」

 誰かに見られたら説明が面倒だ。誰がこんなところでこんな男女を襲うものかと思うが、ディクトール辺りは聞く耳を持ちそうにない。
 やれやれと立ち上がり、まだ甲板に転がったままのアレクシアにも手を貸してやる。

「女みたいにきゃーきゃー言いやがって…」

 疲れたため息を着きながらレイモンドが呟くと、アレクシアはむっとした顔でレイモンドを下から睨め付けた。

「…女だもん」

 尖らせた口の先で呟かれた不満は海鳥と潮の音に掻き消され、レイモンドの耳には届かなかった。
 あぁん? と不穏な眼差しを向けるレイモンドの鼻先に、アレクシアは左手を突き付ける。

「何だよ」
「か・え・せ!」

 手の中にある山彦の笛とアレクシアとを見比べて、レイモンドはああ、と意地の悪い笑みを浮かべた。

「いつからおまえのもんになったんだ?」
「はぁっ?」

 こちらも、思い切り眉をひそめて不快感をあらわにしてやるが、レイモンドの表情はぴくりともしない。

「どうせおまえには吹けないんだろ? だったら俺が使ってやるよ」
「な!?」

 レイモンドの形のよい唇が笛の吹き口に近付く。

「よせっ!」

 吹けばまた人が死ぬかもしれない。恐怖に戦き手をのばすアレクシアの眼前に、不意に笛が投げ出された。

「…えっ?」

 呆気に取られているアレクシアに、レイモンドはいつもの冷淡な、否、常よりもずっと厳しく険しい表情を見せた。深い緑色の瞳は痛みを堪えていれようにも見える。

「覚悟がないなら、なんで旅なんか出た」

 それだけ吐き捨てて、くるりと背中を向ける。それきり振り返らない。

「かく、ご…」

 仲間の命を預かる責任は感じていた。

 しかし覚悟は?
 どんな覚悟を?

 自分の死は思ったことがある。
 力及ばず斃(たお)れても、自分だけの命だと高を括っていた気来がある。
 けれど違うのだ。
 アレクシアが斃るということは、仲間も死ぬということだ。世界を、自分のせいで沢山の関係のない人々が巻き添えを食って死ぬということだ。

 笛を握る両手を見詰める。
 魔物を屠って来た手。
 世界を救うと言った自分の。

 ランシールで、アレクシアは言った。
 バラモスを倒すと。
 その旅の中で、出会うであろう死を、乗り越える覚悟はあった。
 しかしそれがどういうことなのか、深く考えてこなかった。ただ、バラモスを倒す方策だけ考えていた。“死”というものの意味を、明確に捕らえてはいなかった。
 バラモスを倒すそのために、見捨てねばならない何かがあるのだろうか。
 時として、選ばなければならないのだろうか。
 一度捨てた「女」という性別を、私人としての自分を、アレクシアは故郷を出て取り戻してしまった。そのために支払われる代価があるのだろうか。
 女を自覚して以来、弱くなったような気がする。何かが変わった気がする。
 急に寒気を覚えて、アレクシアは我が身を抱きしめた。
 怖い。
 出来るのだろうか。
 時として自分の感情すらコントロール出来ない自分に、魔王などという得体のしれないものと戦うことが。
 世界の命運を、担う事が。
 
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