ドラクエ3

□明けぬ空を背負って(本編2)
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 波は穏やかで、空には雲一つない。
 しかし船縁に肘をつき波を見下ろすアレクシアの表情には暗い影が落ちていた。
 激情に駆られて仲間を危険にさらした事。自分が鳴らした笛の音が呼び水となり奪われた幾百の生命。
 知らずにやったこととはいえ、今はその事実を知ってしまった。気に病むなというほうが無理だ。
 手の中には件の笛がある。テドンでの一件をランシールへ報告にいった後、再び一行はオーブ探索の旅に出たわけだが、どうしても再びこの笛に唇を付ける気にはならなかった。
 もし、オーブが、人の手に守られていたら?
 そう思うと不用意に笛をならすなんてとても出来ない。
 仲間達も何もいわないのは、おそらく同じ気持ちでいるからだろう。
 船は兼ねてからの予定通り、オリビアの岬へ向かっている。
 オーブの情報がない以上、他に行く当てもなかった。

「傷に障るぞ」

 海風に負けぬ大声は、声の主にしては随分気を使ったのだろう。付き合いが長いからわかる僅かな声の違いに、アレクシアは無理に笑顔を作って声の主を振り返った。
 セイは少し困ったような顔をしてアレクシアの隣に並ぶと、何を言うでもなく、わしわしとアレクシアの髪を撫でた。
 セイのこういう武骨な優しさに、リリアは引かれたのかも知れないと、今なら何となくわかる気がした。

「おまえこそ」

 言うとセイは肩を竦めて見せた。
 テドンでの戦闘で、セイは背中に酷い火傷を負い、アレクシアは右腕を骨折していた。
 ベホイミで火傷は治っているが再生したばかりの薄い皮膚に強い紫外線や潮風がよいわけもない。アレクシアに至っては折れた骨が治るのにベホイミでは役不足だ。重ねてかけ続けても、完治するのにどう見積もっても二週間はかかる。

「…それ、捨てるのか?」

 顎で示され、アレクシアは手の中の笛に目を落とす。
 使わないのなら、持っていても仕方がない。とはいえ、人に害をもらたすかもしれないものをおいそれと手放すのも怖い気がした。

「いや…。持ってるよ」
「そうか」
「うん」

 それきり、セイは海に目をやる。あまり波を見ていると酔うと、マルロイには言われているのだが、次々形を変える波を見ているのは、変化に乏しい船の上では意外に楽しかったりする。
 しばらく、二人は並んで波を見ていた。
 子供の頃は、草原に寝転び、飽きる事なく流れ行く雲を見上げたものだ。雲を様々なものに例えて、何時間でも。

「波は、そうもいかないか…」
「あ?」
「いや、なんでもない」

 そうかと頷き、セイはうーん、と伸びをした。背中が痛むのか、少し眉をしかめる。

「オレは戻るけど、おまえは?」
「わたしは、もう少しこうしてる」
「そうか」
「うん」

 来た時と同じように、くしゃりと頭を撫でられる。じゃあな、と船縁を離れたセイは二歩目を踏み出したところでくるりとアレクシアを振り返った。

「アレク、おまえが悪いんじゃない。あまり気に病むな」

 驚いて見ているアレクシアの反応を待たずに、それだけ言ってセイはじゃあ、と手を挙げる。照れ臭かったのか、足早に今度こそ船室へ降りていった。
 友の優しさに心の中で感謝しつつ、口では「ばぁか」と呟いておく。最近になって気付いたのだが、セイはあの調子で気のない相手にも親切をするのだ。ランシールではひそかにリリアがヤキモキしていたのを知っている。

「だーかーら、そーゆーのはリリアにやってやれっての」

 苦笑して、アレクシアは再び船縁に肘を着いた。
 剣は壊してしまったし、右腕も使えない。今のアレクシアには、やることも出来ることもなかった。ぼんやり波を見つめ、思いを巡らすだけだ。
 しばらくそうしていると、今度はディクトールが声をかけて来た。
 セイ同様、アレクシアの様子を伺いに来たのだが、そればかりではない。

「少し、いいかな」
「? うん」

 ミトラの聖句を唱えなければ魔法を唱えられないディクトールは、アレクシアにベホイミをかけることを戒めている。傷の具合を問おうとして、苦笑して手を引っ込めた。かわりに、冬の間ずっと考えていたことを口にする。

「あのさ、オリビアの岬に行く前に、僕をダーマで下ろしてくれないか」

 初めて聞く内容だったので、アレクシアは目を見開いた。
 えっ、と声を上げて、まじまじと幼なじみの顔を見つめる。
 もともと、ダーマに行くと言っていた。自分も、そうするべきだと勧めていたではないか。ディクトールが船を下りることを、引き止める権利など、自分にはないのだ。

「あ。あ〜、そうか。うん。そうだよね。わかった」

 ディクトールから目を反らし、風で暴れる髪を何度も耳にかけながら、アレクシアは口許を笑みの形に保とうと意思の力を総動員した。何度か試みて、ようやく満足行く形を整えると顔を上げてディクトールを見る。

「気をつけて。ディならきっと立派な司祭様になれるよ。今までありがとう」

 にこりと微笑み、手を差し出す。本当はいまにも情けない顔になりそうで、頬の筋肉がぷるぷるしている。
 慌てたのは、ディクトールだ。

「違う、違う! そういう意味じゃないよ!」
「へ?」

 今度こそ情けないハの字眉になったアレクシアに、ディクトールはぷっと吹き出す。

「わ、笑わなくても…」

 笛を握ったままの手で、アレクシアは顔を押さえた。ぶつぶつと文句を言っていると、ディクトールはごめんごめんと笑った。

「賢者になれば、今よりずっと役に立てる。だから少しの間、修業してくる。本当は、冬の間に行ければよかったんだけどね。調べ物もあったし、正直、踏ん切りが付かなかった」
「踏ん切り…?」

 首を傾げるアレクシアに、ディクトールは「うん」と優しく微笑んだ。手を延ばし、首を竦めるアレクシアの髪を撫でる。

「髪、延びたね」
「う、うん」

 アリアハンを旅立った時、耳の下までだった髪も襟足を隠すまでになった。もう誰も、今のアレクシアを見て男だとは言わないだろう。
 目を細め、愛しげにディクトールはアレクシアを見る。アレクシアは落ち着かなくて、ディクトールを見返すことが出来ない。
 頭を撫でていた手がそのまま髪を滑り、耳の辺りで止まった。

(う、わ…っ)

 心臓がばくばくしている。逃げ出したいのに体が硬直して動かない。
 ディクトールの手がアレクシアの髪を一房取った。思わず目をつむってしまったアレクシアに、ディクトールはくすりと笑う。

「そんなに警戒しなくても、なにもしないよ」
「え、っと…」
「でも嬉しいな。僕は男扱いされてるって事だもんね?」
「女の子だなんて、今までだって一度も…」

 確かに、ディクトールは線も細いし優しげな容姿をしている。小さい頃はそれで馬鹿にされていた。
 言い淀むアレクシアに、ディクトールはそうじゃないと首を振った。

「ねぇ、アル。ひとつ約束して? この髪が肩を越えたら、僕の話、逃げないで聞いて?」

 ディクトールの指が、髪を離れる。

「…え? 話なら、今でも…」

 別に逃げたりしないし、と不満げなアレクシアに、ディクトールは重ねて「聞いて?」と言った。

「…うん。わかった」
「ありがとう」

 嬉しそうに笑って、ディクトールは離れた。そろそろ見張りの交代だから、と言って。

「アルも、そろそろ中に入りなよ。風邪をひくよ?」
「うん。もう少ししたら戻る」

 手を振り、幼なじみを見送る。見張り台に向かうディクトールと入れ違いに、見張り台を降りてくるレイモンドが見えた。
 斜陽に煌めく金色の髪が、とても綺麗で、アレクシアは青年の姿を目で追った。見詰めすぎてしまったのだろう。しまったと目を反らした時にはもう遅い。不機嫌を絵に書いたような顔で、レイモンドがこちらに歩いて来ていた。
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