ドラクエ3
□明けぬ空を背負って(本編1)
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21.海賊
エジンベア港を出て、エジンベア西沿岸から北西へ舵をとる。帆は風を孕み、順調に船は海上を走っていた。
因みに、帆の上にたなびく旗はエジンベアの豪商の家門だ。勿論ポルトガの紋章は布で隠してある。リチャード王から賜った海軍旗は、海賊との戦闘が始まったら上げる手筈となっている。
海賊が出やすい、とは聞いていたが、どのくらいの頻度での「出やすい」のかはわからない。海賊に遭遇するより、魔物と遭遇する確率のほうがずっと高いのだ。
もはや馴染みとなったマーマンや大王烏賊を蹴散らした後、大王烏賊の足の一本をメラであぶりながらレイモンドが甲板のアレクシアに問うた。
「このまま海賊が出てこなかったらどうする? 計画通りノアニール経由で監獄を目指すのか?」
この問いには答えず、アレクシアの目はレイモンドの手元に向けられていた。剣に串刺しにされた大王烏賊の脚からは香ばしいような臭いような、何とも言えぬ匂いが漂ってくる。
「それ、食べるつもり?」
「ああ。食えるらしい」
ポルトガやエジンベアでは魚介を使った料理がよく食卓に並ぶ。烏賊も、立派な食材だ。ガーリックとバジルなどのハーブを刻んだオリブ油と岩塩で味付けしたものなら、滞在中にアレクシアも食べている。
しかしあれは普通サイズの烏賊であって大王烏賊ではない。
気持ち悪いものを見るように眉をひそめるアレクシアの前で、レイモンドは烏賊にかぶりついた。ぶちりと音を立てて烏賊の繊維が噛みちぎられる。咀嚼する音も、なんとも豪快だ。
「まぁ、食えなくはない、な」
形のよい眉をひそめて、レイモンドは一口かじっただけのそれを海に投げ込んだ。
「で、どうする」
「無理だね。そこまで水と食糧に余裕がない。大王烏賊を食べても、ノアニールまでは持たない。よしんば持ったとしてそれからどうする? あの辺りには補給港なんてないんだぞ」
「そうか」
烏賊の繊維が歯に挟まったらしい。口の中をもごもごさせながら、レイモンドはしばらく海面を見つめていた。アレクシアも、なんとなく並んで同じ方向を見やる。
「なぁ」
「ねぇ」
同時に発せられた言葉に、思わず視線だけで相手を見た。その仕種さえかぶって、二人は微かに眉根を寄せる。
促されて、アレクシアはひとつ咳ばらいをした。
「洞窟の位置や、エジンベアの場所を調べるとき、呪文を唱えるよね。あれはどこで習った?」
「習ってない」
「え?」
ぶっきらぼうな返答に、アレクシアは目を見開く。
「独学だ」
レイモンドはメラやホイミ、アレクシアが使えないような高度な魔法も使いこなす。その時の呪文詠唱すら、アレクシアが習ったものとは微妙に異なることは気付いていた。
「まさか、他の魔法も、全部?」
「ああ。こないだダーマで多少習ったが、だいたい見様見真似だ」
驚くアレクシアに、レイモンドはばつが悪そうにちらりと視線を走らせ、それからまた海を見た。
「バハラダの洞窟やエジンベアを見付けた時のはピオリムやなんかの派生系だと思えばいい。俺は<鷹の眼>とよんでいるが、要は視覚の強化だ。」
洞窟内部の構造を探るのには第六感ともいうべき感覚を研ぎ澄ますのだそうだ。闇を払う発光の呪文などもあるらしい。
「術の構成がわかっていれば、誰にだって出来ることだろ」
基礎は小さな頃に父サイモンが残した書物から得た知識だというが、あとは自信が構築した呪文だという。
とても信じられない話だ。
魔法は、確かに簡単なものなら魔力のあるものが呪文を唱えるだけで発動する。勿論魔力の質や強さにより発動の威力は異なるし、術の難易度が上がれば、呪文の詠唱に伴い術のイメージをしなければならない。イメージすることが、呪文の構成を理解することに繋がり、これが出来ないものは魔法使い(魔法を使う者という意味の)にはなれない。
永きに渡る研究の結果、魔法が精霊力に起因するものであることが判明し、ダーマ神殿によって魔法は2種類に大別された。
風、水の魔力に秀でたものは僧侶。火、氷といった攻撃の魔法に秀でたものは魔法使いと、それぞれ呼ばれるようになったのである。
金と土の魔力を持つものは稀で、ダーマ大神殿ではその魔力をもつ者を《勇者》と称ぶ。
瞬きもせずに食い入るように自分を見詰めるアレクシアを、とうとう我慢できずにレイモンドは体ごと振り返った。
「お前、いつまで男の振りを続けるつもりなんだ?」
強引に話題を変えようという姿勢が表れて、口調は荒い。
首を傾げるアレクシアに、レイモンドはいらだたしげに舌打ちした。
「いくら息子で通ってるったって、無理があるだろ」
「そうかな?」
しげしげと自分の体を眺めて、アレクシアはまたしても首を傾げる。そもそもその仕種からして、男ならまずしない。
「いまんとこ、レイモンドにしかばれてないんだけど」
アレクシアは女にしては背が高いし、鍛えているだけあって体つきもがっしりしている。しかしそれはあくまで同世代の町娘と比べて、の話であって旅慣れた男と比べれば明らかに小柄で違和感がある。
髪を短くしてズボンを穿いていればそれだけで世間は男扱いするが、旅人が男装するのはよくあることだ。アレクシアのような顔立ちの調った少女が男装しているのは、逆に妙な色香を発して人目を引いた。
「国は出たんだ。気にしないほうがいいんじゃねぇか」
オルテガの子が男だろうが女だろうが、誰も気にしない。
誰が魔王を倒しても、誰も気になんかしない。
みんな、自分の小さな世界の平穏だけを願って生きている。
「そうか…。そうかも知れないな」
いきなり女に戻れといわれてもどうしていいかわからない。物心ついてからずっと、アレクシアはアレクシスという男の子として生きていたのだから。
ぽつりと呟いて、広がる大海原に目を向ける。船縁に身をもたれ、何もない青い海をぼんやりと、どこに視線を定めるでもなく霞む水平線を見ていた。
――と、
「レイ!」
「!?」
鋭い声を発したアレクシアにレイモンドも船縁に駆け寄る。
アレクシアの指差す方向に、小さく船影が見えた。
船影は、だんだん大きくなっていく。間違いなく、こちらに向かっているのだ。
「船籍は?」
「わからない。帆にはなにも描いてない」
望遠鏡を覗いていたディクトールがどうする? とばかりにアレクシアを振り返る。
「描いてないってことは」
「ああ。海賊だろうな」
アレクシアに応じたセイの表情はどことなく楽しそうだ。
甲板には、五人全員が揃っていた。
リリアは海賊船から銛や大砲が飛んでくるのではないかと心配したが、それについてはレイモンドが否定した。
「大事な獲物を襲う前から沈めはしないさ。ただ…」
「ただ?」
「横っ腹に大穴あけるくらいはしてくるかもな」
「沈むじゃない!!」
しれっと告げた内容に、今度こそリリアは悲鳴を上げた。
そうこうしてる間に、逃げるのは無理な程船は近づいている。風は弱く、こちらの船はほとんど波に揺られているだけだ。対して相手の船は風を無視してぐんぐん近づいてくる。ガレー船だ。
近付くガレー船の低い甲板に並ぶ男達の顔が肉眼で確認できるほどになった時、ガレー船に海賊旗が翻った。衝撃がアレクシア達の乗る帆船を襲い、次々に白木の船縁に鈎の付いた縄ばしごがかけられた。
「なぁアレク。いま思い付いたんだが」
衝撃によろめきながらどうにか抜刀したアレクシアがセイを見る。揺れる甲板にしっかり足を踏ん張って、肩に戦斧を担いだセイは片手で顎の無精髭をぞりぞりしていたが、おもむろに右手の戦斧から手を離した。ごっと重たい音を立てて、戦斧は甲板に突き刺さる。
「海賊を仲間にしちゃどうだ?」
「は?」
わらわらと船に乗り込んで来た海賊達は、あまりの抵抗のなさに逆に怪しんだ。いくら相手が少人数とは言え、梯子のひとつも叩き切らないのはいくらなんでもおかしい。
どうもいつもと勝手が違う。乗り込んだものの、武器を構えて乗組員を取り囲んだまま、どうしていいのかわからなくなっていた。
「頭目と話したい!」
声変わりもしていない。甲高い少年の声。
よく見れば乗組員達は皆、少年少女と呼べそうなガキばかりだ。明らかに普通の商船ではない。そう、女がいる。男達の背に庇われて見えなかったが、若い娘がいた。
海賊に限らず海の上は女日照りだ。海賊達の間に下品た笑いが拡がった。見れば男達も若くて別嬪さんばかりだ。この際こいつらでも構わない。
「積み荷をもらうぜぇ。いい子にしてれば手荒な真似はしねぇ」
舌なめずりしながら、海賊の一人がアレクシアに近付いた。
アレクシアは鋼の剣を抜いてはいるが、構えてはいない。隣のセイは甲板に戦斧を下ろし、杖のようにして立っている。レイモンドは抜いてこそいないが、これはいつものことで、鞘払いの速さは目にも止まらない。どちらにしても、すぐさま攻撃に入れる姿勢だ。
「物騒なもん離せよ。かわいい顔にキズがついたら台なしだ」
にやけ面が手を延ばす。垢じみた指が、アレクシアの腕に触れようとした瞬間、閃光が走った。
「……っ?」
ぼとり、ぼた、ぼたぼたぼたっ
何が起きたのかわからなかった。わかったのは自分の右手の中指と人差し指の先が、足元の血溜まりに落ちているということ。
「俺の経験から言うと、ある程度痛い目に合わさないと言うこときいてくれないもんだぜ」
「あー、やっぱそんなもんか」
手の中のアサシンダガーを弄び、レイモンドが嘯く。頭を掻きながら、セイも戦斧を持ち上げた。
目の前で起きた出来事に眉をひとつ分だけ動かして、アレクシアは肩で溜息をついた。
「殺すな。壊すな」
「了解」
「善処しよう」
合図と同時に、アレクシアの左右で風が動いた。