ドラクエ3

□明けぬ空を背負って(本編4)
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59.精霊神

 ああ、夢だ。

 すぐにそう思ったのは、それが何度も見てきたいつもの光景だったからだ。
 燃える空。荒れ狂う海。割れてうごめく大地。
 世界は絶望に飲み込まれた。
 そこから抜け出したのは、自分を含めてわずかな同胞のみ。
 如何に大地神より賜った鎧に身を包んでいようとも、自分の力が遠く及ばない絶対的な破壊の前には、ただ恐怖し逃げるよりない。背中に感じる息遣いが無ければ、疾うに正気を放棄して、あの燃える泥の中に身を投げていただろう。

 ――お往きなさい。■■■に気づかれないうちに。

 母の声が脳裏に響き、その白い指が一点を指し示す。
 レイモンドーーロトはひとつ頷いて、腰に回されていた腕をしっかりと上から押さえた。力をこめると、ぎゅっと応える。抱きついているのは向こうなのに、まるで自分が抱きしめ守られているようだ。

 荒れ狂う空の一角に、地水風火の四大精霊が結界を張り空間を開いている。しかしそれも長く持たないのだろう。見る間に穴がふさがっていくのが遠目にもわかった。
 近くを飛んでいるラーミアに合図してその穴に飛び込んだ。200人ほどの同胞を乗せたラーミアが全てその穴をくぐりぬけ、ひときわ大きなラーミアが今にも閉じてしまいそうな穴をすり抜ける。否、尾羽が閉じた空間に取り残されて、ラーミアは落ちた。落ちながら、光の粒子となって姿を変えていく。

『母上!』

 落ちていく精霊神ルビスを救おうと、ロトはラーミアを操るが間に合わない。ここまでに魔力を失いすぎたのだろうルビスの姿は、見る見る小さく希薄になっていく。
ラーミアを操り、必死に追い縋るが間に合わない。ルビスであったものは大気に溶けて、青年が伸ばした手の中には、きらりと光る5つの宝石が残った。

『〜〜〜!』

歯を食い縛り、声にならない呻きをもらす。掌に爪が食い込み血の気を失った青年の手から、少女はその宝石をそっと受け取り、鎖に繋いで首にかけてやった。

『ロト』

まだ泣いてはいけない。まだ、終わっていない。
背中からロトを抱き締める少女がそう言っている気がして、ロトは深く息を吸って、吐いて、一度は閉じた瞳を開く。

『わかっている。行こう』

ロトとエルシアを乗せたラーミアのまわりを、不安げな顔をした人々を乗せたラーミアが旋回している。いつまでもここにいられない。
ラーミアを操り、開けた土地へ人々をおろした。ラーミアたちはしばらくロトとエルシアに甘えて、別れを惜しむようにクルクルと喉をならしていたが、やがて順に天高く舞い上がっていった。
 故郷を追われ、見知らぬ土地に取り残された人々は力なく項垂れ、我が身の不幸を呪って涙した。
 ラーミアを空の彼方に見送ったロトは、そんな人々を叱咤し、励まして、夜を過ごすための薪を集めた。清水を探し、食料を求めて森に分け入り、見たこともない獣から人々を守り導いた。時には世界の境界から滲み出た、異形と戦いながら。

 絶望の果てに辿り着いた新天地。ここは精霊神ルビスが彼らのために作り上げた世界。
 この地で彼らは町を作り、子を育て、いくつか世代を数えた頃に、かつての過ちを再び繰り返してはならぬとふたつに分かれた。
 太陽の石を守る一族と、月の滴を守る一族とに。
 ロトが知っているのはここまでである。


 精霊神ルビスの作り上げた世界。
 世界の境界を越えた処で力尽きたルビス。残された5つの魔力結晶。
 崩壊した世界から持ち出され、タブー中のタブーとして隠されたふたつの神器。
 小さな集落が町になり、自身にも子が生まれ育つにつれて、ロトは我が身の変化に気付く。
 神の世界に生き、自らも神だと疑わずに生きてきた。神と同様に強力な魔力を操り、神の遣いラーミアを操ってきた。だからこそ。
 髪に白いものが混じり、日焼けした肌からは張りが失われ、まるで年輪のように、くっきりと皺が刻まれた。
 ともにこの世界にやってきたともがらと同じだ。
 ああ、これは老いだ。
 人の身であれば避けようもない。生き物の定め。
 省みれば、伴侶と決めた娘は生まれ出でた時と変わらぬ姿でそこにある。生まれた時から娘の姿で、老いることもない。何故ならば彼女は精霊だ。世界樹の実から作られた精霊の娘。
 はなから一緒になど生きられなかったのだと、鏡の中で壮年の男が悲しげに笑う。あるいはあの世界にいたのなら、同じ時を、永遠の青春を、過ごせたのかもしれない。しかしそれでは友を得ることも、新しい出会いに 胸震わせることもなく、神の作りし偽りの世界で、生きながらに腐っていくにも似た人生を、ただ緩慢に過ごしていただけだったのではないだろうか。
 ロトは人として生まれ、神に育てられ、精霊を妻に迎え、人として生き、英雄として死んだ。


 人は死ぬときに走馬灯を見ると言う。
 これがそうかとレイモンドは思う。
 自分の人生かと錯覚する程に濃厚で鮮明な記憶、記憶、記憶。
 ロトと呼ばれた一人の男の、自分と魂を等しくする男の人生だ。
 夢うつつでレイモンドは思う。
 ロト亡き後のエルシアの事を。
 ロトとエルシアの、人と人ならざるものの間に生まれた命の、そしてその末裔(すえ)を。
 そして彼女とその息子を想う、切なさを。


「…ーーっ!」

 目を開いても鮮烈な朝陽が視界を白く焼くことはない。
 薄暗い部屋の窓を開けて空を睨めば、そこには灰のような黒い霧の向こうに、辛うじて太陽らしきものが仄かに見えた。
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