ドラクエ3

□明けぬ空を背負って(本編3)
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 燃え上がる炎の中に、その魔物はいた。石の玉座に巨体を侍り、王の法衣を纏っている。毛のない黄土色の烏のような異様な相貌をしており、これまでに見たどんな魔物にも似ていない。
 舞い上がる火の粉にたじろいだのか、魔物自身の放つ禍々しい気配に気圧されてか、アレクシアたちは部屋の真ん中からその先へ進めずにいた。武器を握る手が震える。
 父でさえ、偉大なる勇者オルテガでさえ辿り着けなかった魔王の城。その中枢へ至り、今、自分は魔王バラモスの姿を前にしているのか?
 今、この身を震わせるのは、心を揺さぶるのは、恐怖か、感動か。
 四人がそれぞれに動けずにいるうちに、玉座の魔物が身じろぎをした。ゆっくりとした動作で玉座をおりて、炎を踏みしだいてギョロリと片目でアレクシアを見る。

「ようやく来たか」

 鰐のような尖った口から発せられた言葉は聞き取りにくく、巨体ゆえか間延びしている。それでも魔物は口から人の言葉を発した。

「永らく待った。我が花嫁よ」

 三本しか指のない手を伸ばし、魔物はアレクシアたちへ手招きをした。アレクシアとリリアは顔を見合わせ、ディクトールは嫌悪をあらわに二人の前に立ち塞がる。

「身に覚えのない話だ」
「冗談じゃないわ。気持ち悪い。案外ディクトールのことかもよ?」
「それこそ冗談じゃないよ」
「…ばかか」

 それぞれに軽口を叩く。お陰で先程までの震えは治まったようだ。

「素直にわが軍門に下ればよし、さもなくば目にものみせてやろう」

誰も答えなかった。代わりにそれぞれに武器を構えて身構える。魔物は喉の奥でくくっと笑った。

「この魔王バラモスさまに逆らおうなど、身の程をわきまえぬ者共よ。ここに来たことを悔やむが良い。そなたらの膓、食らいつくしてくれる」
「最初からそのつもりだったんだろ!」

 三指の真ん中から炎の弾が生まれた。無詠唱で立て続けに放たれた火球を、四人は四方に散って避ける。それを予見でもしていたかのように、火球を追ってバラモスが肉薄する。

「なっ!?」

 目の前に迫る鋭い爪に、ディクトールは声をあげることしかできなかった。追撃を受けたのがアレクシアやレイモンドなら、あるいは結果は違っていたのだろう。しかし彼は戦いの経験を積もうとも僧侶なのである。

「ディ!」

 額から胸まで切り裂かれ、血の尾を引いてディクトールが倒れるのと仲間たちの悲鳴のような声が重なった。
 倒れたディクトールに止めをさそうと、鴉の足が賢者の体を踏みつけ締め付ける。

「がっ!」

 魔法の鎧がひしゃげ、骨がきしむ。逃れようともがくディクトールの口からは血泡が溢れた。

「ディクトール!」

 なんとかディクトールを助けようとリリアの放ったメラミを、魔物は避けようともしなかった。
 メラミの火球は魔物に当たりはしたが、その衣を焦がすことさえ出来ない。当然ディクトールの拘束は揺るぎもしない。

「この!」

 悔しがるリリアに魔物はニヤリと笑ったように見えた。と、そこへ間髪入れずにレイモンドが斬り込んだ。レイモンドの長剣はざっくりと魔物の腹を裂き、さすがの魔物もディクトールを離して後ろへ跳び退さる。

「ディクトール! 大丈夫?」
「うん。ごめん。助かった」

 倒れたディクトールにはアレクシアがすかさずベホマをかけて、四人は体勢を立て直した。

「ふん、癒し手がまだ他にもおったか」

 裂けた腹の傷を煩わしげにひとなでして、魔物は順にアレクシアたちを睨め付けた。正面にアレクシアとレイモンド、彼らの背に庇われるようにディクトールとリリア。後衛の二人はバラモスに構わず、ひたすらに呪文を唱え続けている。

「順に食ろうて、その絶望を味わおうと思ったが、ふむ。ちと面倒だな」

 ひとりごちてバラモスは、アレクシアたちの知らぬ言葉を呟いた。指の中に小さな閃光が生まれる。

「!? イオナズンよ!」

 リリアだけが気づいた。それに感心したようにバラモスは「ほう」と表情を動かしたようだがすぐに「だが遅い」と術を放つ。アレクシア達の周りの空気が震えて熱を持ち爆発する。そんな空気を吸い込めば肺を焼かれて死以上の苦しみを味わうだろう。全員顔を庇って息を止めた。当然唱えていた術は中断される。
 息を止めていてはホイミでさえ唱えられない。それどころか、人間が命を懸けた極限の緊張下で、そう何秒も息を止めていられるはずもない。

「イオナズ…」

 二発目のイオナズンが放たれる瞬間に、アレクシアはちらりと視線を動かした。その僅かな動きに頷きすらせずに、レイモンドは床を蹴る。同時にアレクシアは雷の矢を放った。ライデインはバラモスの掌ごとイオナズンを貫いて、バラモスを爆発に巻き込んだ。

「ぬぁっ!」

 堪らず仰け反るバラモスに、レイモンドが追いすがる。爆風を引き裂いて、鋼が煌めいたかと思うと、残っていた手を切り落とした。緑色の体液をまき散らして三本指の掌が落ちる。それでもバラモスは続くレイモンドの三撃めは避けた。大きく後ろに飛んで、アレクシア達と距離をとる。そうそううまく連撃が決まるとは思っていなかったので、レイモンドはそれ以上深追いせず、口中でバイキルトの詠唱を始めた。
 四人が体制を建て直すのには、それだけの時間で十分だった。ディクトールがベホマラーでたちどころに四人の火傷を癒し、リリアが立て続けに補助魔法を唱える。

「風の駿馬、我らに宿れ。ピオリム。強き意思、肌は石の如く。スクルト」

 初歩の魔法だが接近戦の補助魔法にこれほど効果的なものはない。そして初歩の魔法故に詠唱が短い。ピオリムで詠唱時間が速まったこともあり、ベホマラーがかかった頃にはリリアはバイキルトの詠唱を始めていた。
 それからアレクシアとレイモンドは僅かにタイミングをずらしてバラモスに切りつける。両手を失ったバラモスは、それでも魔王と名乗るに相応しく、二人の剣士と互角に立ち回った。しかしそれもピオリムがかかってからは防戦一方となり、バイキルトの援護を受けてからの一撃一撃に確実に追い詰められていった。

「おのれ!」

 足元に血溜まりを作りながら、カッ! と開いた口から烈しい炎を吐き出したバラモスに、さすがにアレクシア達の攻撃の手が止まる。
 まさか火まで吐くとは思っていなかった。盾越しにも肌がチリチリと焼けていく。盾が無かったらと思うとぞっとした。戦闘の度に魔物の吐く炎だの氷だのを防いできた魔法で強化された盾も、そろそろ持ちそうにない。
 すぐさまディクトールの唱えたフバーハで、熱と炎の圧力が弱まるが、溶けかけた盾はどうにもならない。アレクシアとレイモンドは盾を捨てた。相手がどれほどの余力を残しているのか見当もつかないが、盾を失った以上、短期決戦を挑むしかない。

「いくぞ」

レイモンドが低く言ったのに頷いた時には、二人は床を蹴っていた。左右から同時にバラモスに切りつける。血を撒き散らしながら、バラモスは骨をむき出しにした腕でレイモンドの剣を受けた。背中をアレクシアの剣に切り裂かれながら、尻尾でアレクシアをなぎ倒す。

「マヒャド!」

援護のつもりで放ったリリアのマヒャドだが、これは全く気にも止めていない。バラモスはあくまで、戦士二人を執拗に狙った。先程のメラミもそうだが、魔法はほとんど効果がないようだと見て取って、リリアはせめて足手まといにだけはなるまいと主戦場から距離を置く。
リリアの様子を見て、ディクトールも補佐に徹することにした。リリアより接近戦は得手だとしても、戦士二人には遠く及ばないことは自覚している。自分が武器を持ってバラモスに攻撃を仕掛けたとしても、二人の邪魔になる以外の何物でもないだろう。
ぐ、と奥歯に力が入る。見事な連携を見せるアレクシアとレイモンドに、ディクトールは確かに嫉妬していた。

「だぁりゃ!」

気合い一閃。踏み込んだレイモンドの体がふわりと浮いた。

「!?」

そのまま、見えない何かに投げ飛ばされたかのように天井に叩きつけられる。肺の空気を全部出し切ったかのようなくぐもった悲鳴をあげて、レイモンドは力なく落ちた。天井に叩きつけられた時にとっさに受け身を取ったのだろう。腕の骨が粉々に砕けたらしく、ありえない形に曲がっていた。

「ディ!」

リリアが叫ぶまで、ディクトールは動けなかった。バラモスがこちらを見て笑っている。その目を見ていた。そこに宿る暗い光を見ていると、戦闘中だというのが信じられないくらいに心が穏やかになったのだ。

「ディクトール! レイを!」

アレクシアが叫んで、ディクトールはようやくレイモンドの元に駆け寄り、ベホマを唱えることができた。芯のない人形の様だった腕も元通りまっすぐにつながる。

「くそ! 何だったんだ?」

頭を一振りして意識をはっきりさせて、レイモンドは短く礼を言うと勢いよく起き上がった。そのままの勢いでバラモスの横っ腹に剣の切っ先を突き立てる。刃の半ばまで深々と突き刺さったそれは、もう引き抜くことはできないだろう。烏の口から苦悶のうめきが漏れる。それでもまだ、バラモスにとどめを刺すには至らない。

「アレク!」

一瞬動きの止まった魔王の首に、アレクシアの剣がずぶりと埋まった。

「っ!」

渾身の力を込めて振り下ろす。ごとりと、烏の首が床に落ちた。さらに

「ライデイン!」

首を失って尚もがく体に雷が落ちる。ぶすぶすと黒い煙をあげて、バラモスはその場にどうと倒れ、それきり動くことはなかった。
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