ドラクエ3
□明けぬ空を背負って(本編3)
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妙な天気が続いている。薄い雲が太陽の光を遮り、生暖かい風が吹いたかと思えば身を切るような冷たく強い風が吹く。雲の合間には時折稲光が走った。
数日は陽気に過ごしていた人々も、この奇妙な天気に不安を表にするようになっていた。そんな中をアレクシア達は再度ラーミアを駆って旅立った。
こんなご時世にこんな場所に現れた旅人だ。村人も魔王討伐の任を受けた兵士や冒険者をこれまで何度も見てきたのだと言う。この数日、アレクシア達から特にオルテガやバラモスの話をしたわけではなかったが、説明するまでもなく村人はアレクシア達も魔王討伐を目的とした旅人だと気付いていた。そして彼らがこれまでの旅人とは何か違うと感じたようだ。
だからだろうか、旅立つときにはアリアハンを発った時と同じくらいの期待を寄せられた。もしかしたらそれ以上の。
アリアハンより余程ネクロゴンドに近く、それでいて大きな街や城が近くにあるわけでもない村落だから、いざというときの助けは望めない。魔物の脅威はアリアハンの比ではあるまい。人々の不安が大きいだけに、期待が大きいのも頷ける。
手を振る村人の姿が見えなくなるまで手を振り返し、ラーミアを上空高くまで羽ばたかせた。アレクシアとレイモンドの頭の中には、例のごとくラーミアの声が届いている。
「ネクロゴンド、バラモスの居城へ」
ラーミアは甲高く鳴くと、ぐんっと加速したようだ。眼下の景色が物凄い勢いで流れ始める。何の気なしにその風景を眺めていたリリアが違和感を感じて声をあげた。アレクシアの肩をつかんで下を指差す。
「こんな所に砂漠なんかあった?」
「え?」
問われても、咄嗟に今どの辺りをラーミアが飛んでいるのかがわからない。リリアと一緒にレイモンドを見る。レイモンドは呆れ顔でアレクシアを一瞥すると、眼下に流れる風景に目を凝らした。
「まさか…。いや、でも…」
遠くに見える山と海。その距離からだいたいの地理を把握したらしいレイモンドは、いつもの余裕が感じられない声でラーミアに下りるように指示した。
「なにが…」
アレクシアの問いを邪険に無視し、ラーミアの背で地図を広げて二言三言呪文を唱えた。
「信じられん」
「なにが?」
愕然とするレイモンドにアレクシアが苛々とした声を上げた。リリアもディクトールも、レイモンドが説明するのを待っている。レイモンドは彼にしては珍しく、語気弱く言った。自信がないのではない。自分の言葉が間違いであればよいという思いがそうさせるのだ。
「森が消えている」
「え?」
レイモンドが指差した地図上には確かに以前森があったらしい。マルロイやルザミの船乗りたちが作った地図だ。4年に一度ルザミで地形を研究している学者のところに行き、皆の地図を照らし合わせて新しい地図を作っている。アレクシアたちもそこに立ち寄った際のことは書き付けを残してきた。この地図をくれたのはつい先日別れた船長で、原盤が作られたのは昨年だと記されている。一年やそこらで、森が丸々ひとつ無くなってしまうなんてことがあるだろうか?
「山火事があったとか」
仮定を口にする自分の言葉がこれ程信じられないこともない。
「全焼するような? 有り得ない」
「仮にそうだとしても、焼け跡から芽吹く種(しゅ)が必ずある」
アレクシアの仮説を小馬鹿にするように否定したレイモンドの言葉を、ディクトールが補足した。
「世代交代が起きるだけで、森自体がなくなるなんてことにはならないものだよ」
「そうか…。そう、だね」
他に何か自分を納得させられる穏便な理由はないかと、アレクシアは腕を組んで考え込んだ。開拓? 近くにそんな規模の集落はない。干魃? どちらかといえば日照時間は減ったような気がする。
あれはどうだ、これは? と自分の中で挙げては否定していく。リリアやディクトールも同じことを考えているようだ。三人は時折ぱっと明るい表情で顔を上げては落胆して俯くということを繰り返した。
「少し、気になることがあるんだけど…」
おずおずと、リリアが片手を上げた。
「今は、ウェヌス女神とディアヌ女神の祭の時期よね?」
「え? …うん」
何を言い出したのかと怪訝そうにアレクシアはリリアを見た。
田畑の恵みが実り収穫を喜ぶ祝いの季節。気まぐれな天空の女神の機嫌が一番よい時だとも言われている。一年を通して最も天候が安定した、晴れの多い時期だ。だから田畑の収穫に向いていて、採れた麦や稲を天日に干し乾かすのに家族総出、どころか近所の子供たちも駆り出されて農家の手伝いをする。アレクシアだって、ディクトールだって、子供の頃はそうだった。
「この前、いつ、日の光を見た?」
震える指でリリアが空を指す。顔は笑っていたが、瞳の奥はひどく真面目だ。アレクシアは笑おうとして顔をひきつらせた。昨日も一昨日もその前も、思い浮かぶ限り最近の空は重たい雲に覆われていた。
ネクロゴンドは標高が高い。雪がちらつくような寒さだった。ガイアの剣を火口に投げ入れたから、火山灰で空がくらいのだと思った。その前も、船上でも空は曇っていたが、そんな日もあるだろうと気に留めなかった。イエローオーブの一件から、否、それよりもずっと前から、天候を気にするような心の余裕がある者などいなかった。
「…あ」
空を見る。
そこに旅立ちの朝に見た、抜けるような青い空はない。希望の象徴のごとき眩い太陽の光も。
何故だかはわからない。アレクシアは空に向けた瞳をネクロゴンド山の頂に向けた。そこにそびえるバラモスの居城。禍々しい気が漏れ出でて、空に溶けているような気がする。バラモスのしょう気が世界から希望を隠してしまったのだと。
「バラモスの?」
「わからない。でも」
リリアの呟きに誰も否定も肯定も出来なかった。ただ、その予感はほとんど確信に近い。
地に留まったままのラーミアがどうするのだとばかりに鳴いた。
「ああ、行こう」
アレクシアが首を撫でる代わりに軽く叩くとラーミアはゆっくりと飛び上がった。見る見る流れていく景色は、注意して見てみれば、色彩をなくしているように感じる。まだ違和感、という程度の違いでしかない。生まれて20年足らずのアレクシア達には魔王が現れてからとそれ以前の世界がどう変わったのか、人伝に聞いたくらいで実感はないが、今景色を目の当たりにして、こうして少しずつ世界が変貌し、滅び経近づいているのではないかという漠然とした不安を感じる。
救わなくてはならない。この世界を。
取り戻さねばならない。極彩色の美しい世界を。
石造りの堅固な城塞が見えてくる。険しい山の上に築かれたバラモスの居城。
城を取り囲む湖を越えるとき、空気の層が重さを増したような気がした。これがバラモスのしょう気なのだろうか。
城の中庭へ向けてラーミアは降下し、くくぅと鳴いて身を伏せた。背中から降りたアレクシアに甘えるように嘴を寄せる。
「ありがとう。いってくるよ」
抱えるように抱き締めてやると、ラーミアはもう一度鳴いてから翼を広げた。名残惜しげにすぐ頭上を二度、三度と旋回して、なかなかその場を去ろうとしないラーミアに四人で手を振る。五度目の旋回で、ラーミアはひときわ高く鳴くとそのまま空高くへと飛んでいった。
ラーミアがあまりにも未練がましくしていったので、アレクシア達はくすぐったいような呆れたような苦笑が堪えきれない。
「さて」
笑い顔を引き締めて、改めて見上げるのは、グレーの空にそのまま溶けてしまいそうな灰色の城の偉容だった。