ドラクエ3

□明けぬ空を背負って(本編3)
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49.雨

 イシスの南西、というからにはネクロゴンドや火口の比較的近くだということになる。ラーミアが世界を一周したのか、はたまた実はネクロゴンド付近から離れなかったのか、実際のところはわからない。ひとまず一行は近くの町へと身を寄せた。
 町を見つけた頃に降り始めた雨は、宿屋の主人を叩き起こして部屋をとった頃には土砂降りになっており、保温性も吸水性も低い砂漠の夜は途端に寒く不穏なものになった。

「この宿、大丈夫だろうな…」

 川ではない場所に川が出来、アレクシアたちがつい先程歩いてきた道も流れてしまっただろう。町の建物や宿屋だって流されてしまうのではないかという不安を覚えても仕方ない。それくらいの雨量だった。

「寒くない?」

 リリアの震える肩に毛布を一枚かけてやる。暖炉のないこの部屋ではそれが唯一の防寒対策だ。
 リリアに毛布をかけてやると、アレクシアのやることはなくなってしまった。壁にもたれ、ベッドの上で膝を抱えるリリアを心配そうに見詰める。いつもなら「なに見てるのよ」と睨まれそうなところだが、リリアは膝に顔を埋めたままこちらを見もしない。
 と、そこへ、トントンと扉を叩く音がした。誰かは解っていたので扉を開くと、案の定両手に盆を載せたレイモンドとディクトールが立っていた。

「いいかい?」
「いいもなにも俺達の部屋だろうが」

 仮にも女性がいるのだからとディクトールはレイモンドの背中にぶつぶつ言ったが、レイモンドはまるっと無視して、苦笑するアレクシアの横からするりと室内に入り込んだ。

「リリア、めし」

 テーブルと呼べるものは小さな書き物机しかないので、湯気をあげる丼の乗った盆を直接床に置くと、レイモンドは床にどかりと胡座をかいて丼にすんっと鼻を寄せる。。
 黄金色のスープに茹でた野菜とゆで卵、小麦を練った麺が入っている。体調の悪いものがいるならと、宿屋の主人が用意してくれたものだ。初めて見るものだったので最初はおっかなびっくり口に含んだが、すっきりしつつも味わい深いスープは思いの外美味で、空腹も手伝って夢中で食べた。

「汚いなっ」

 ずるずるぶしぶし。麺をすする度に汁を飛ばすレイモンドから、ディクトールは心底嫌そうに他の丼を避難させると、ひとつを壁際のアレクシアに、ひとつを書き物机の上に置いた。最後のひとつを抱えて、リリアのいるベッドの向かいに小さな丸椅子を寄せて腰を下ろす。

「暖かいうちにいただこう」
「…いらない」
「そうかい?」

 ディクトールも初めて見る食べ物だが、レイモンドの食べっぷりから安心してつるる、と麺をすする。アレクシアも食べはじめたので、さして広くもない部屋中に食欲をそそる香りが立ち込めた。三人とも空腹だったこともあり、見ているものが呆れるほどの勢いで丼を平らげる。呆気に取られて見ていたリリアの腹がぐぅと不満を漏らした。

「美味いぞ? 食わないなら貰…」
「食べるわよ」

 二杯目へと手を伸ばすレイモンドからリリアは慌てて丼を引き寄せた。
 仲間たち同様、小指ほどの太さをした不揃いな麺を不審そうに眺めてから恐る恐る一口かじり、スープをすすって、美味しいと呟くことすら忘れてあとは一気に食べきった。その様子をアレクシアとディクトールは安堵を込めて、レイモンドはやや残念そうに見守った。

「さて」

 全員の器が綺麗さっぱり空になる頃、名残惜しげに丼の底を弄っていたレイモンドが未練を切り捨てるように声を上げた。

「意外な形ではあったがネクロゴンドに乗り込む手段は手に入れた。バラモス打倒も目前だ! が、俺はこんな辛気臭い状態でバラモスの居城に乗り込むのはごめんだぜ」
「同感だけどお前がしきるなよ」

 レイモンドとディクトールの剣呑な視線がぶつかる前に、二人の間にアレクシアが割って入った。レイモンドとディクトールの間。ベッドの上のリリアの正面に。

「二年、いや、もうすぐ三年になるのか。ようやくここまで来たよ」

 ここからが一番の難関かもしれない。それでも、ゴールフラッグが見えてきたとなれば感慨深い。

「わたしは、わたしが思ってきたような生まれではないらしいけど、今更バラモスの首を他人に任せようとは思えないんだ。これまでみんなでやって来たから、これからもみんなでやっていきたい」

 旅立ちの日から一人欠けた。セイを迎えにいくのにはバラモスの首くらいの手土産が必要だ。この四人で、あの頑固な馬鹿野郎を檻から引きずり出してやる。

「だけどこれはわたしの考えだから、みんなに押し付けるつもりはないよ」
「いまさら」
「押し付けられてないよ」

 レイモンドは呆れたように、ディクトールは優しく、それぞれアレクシアを見て頷いた。アレクシアも頷き返して、ありがとうと呟く。

「あた、あたしは…」

 三人が、リリアを見る。リリアの紫水晶の瞳が揺れていた。アレクシアを直視することができずに、その瞳が伏せられて、涙がこぼれた。

「リリア」

 ごく自然に、アレクシアはリリアを胸に抱き寄せる。

「あたし、あたし、一緒にいけない! あたしみたいな化物!」

 嗚咽を漏らしながら、アレクシアにすがる細い指は、あのとき確かに人のそれではなくなっていた。この場の全員がそれを見た。

「ラーの鏡に写ったの」
「そうか」
「黙っていてごめんなさい」
「うん」
「あたし人間じゃない!」

 悲鳴のような告白のあとは、言葉にならなかった。
 レーベ村の魔法使いに拾われた。リリア自信、単に身寄りのない捨て子だった自分を、跡継ぎのいなかった老魔法使いが暇潰しに育てただけだと思っていた。けれど魔法使いとしての自分の素質に、リリア自身気が付いていたし、養父に拾われたことはある意味幸運だったと思っていた。魔法使いとしてあの村にいたから、つまらない村からアレクシアが連れ出してくれた、と。
 養父は知っていたのだろうか? 15年間育ててきた娘の正体が人間ではないことを。否、知って育てる筈がない。
 今まで自分の魔法使いとしての素質を人生の拠り所にしてきた。魔力が高いはずだ。魔物なのだから!
 しゃくりあげるような嗚咽が高くなる。アレクシアはなにも言わずに、リリアをしっかり抱き寄せてあやすように背中をさすってやった。

「わたしも」

 ちらりと振り返ると、レイモンドが苦笑していた。好きにしろと言っているような気がして、アレクシアも微かに笑う。

「レイモンドも。自分が何者かなんてわかんないよ。人間じゃないかも」

 ディクトールがなにか言おうと手を伸ばしかけたが、レイモンドに無言で制されたらしい。

「こんな言い方したらリリア怒るかもしれないけど、わたしはリリアが何者でも平気だよ。だってこうして泣いてるリリアはかわいいし、魔王相手にするんだから、普通の人間じゃないくらいがちょうどいいんじゃないかな」

 冗談めかして言うと、拳で胸を叩かれた。

「リリアが何者であろうと、毎日一緒に居て、戦ってきたのは確かだもの。今更他の誰かに背中を任せるなんて出来ない」
「あたしだって嫌よ」

 ずるっと鼻をすする。まだ涙声。

「リリアこそ、何者かもわかんないわたしに、ついてきてくれる?」
「前にも言ったわ」

 至近距離で目が合う。もう紫水晶の瞳は揺れていない。

「あんたはあんたよ。あたしが保証したげる」
「うん。わたしも、リリアがリリアだって保証する」

 にこりと、娘二人は笑いあった。まるで恋人同士のように、頬と頬をすりよせ抱(いだ)き合う。

「なにやってんだか」

 じゃれあう娘二人にレイモンドは呆れ返り、不毛だと思わないかと同意を求めて振り返った視線の先に、うらやましいと指でもくわえそうなディクトールの顔を見て「アホらしい」と一足先に毛布にくるまり床に寝転んだ。
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