ドラクエ3
□明けぬ空を背負って(本編3)
92ページ/108ページ
47.レイアムランド
眩しさは痛みとして感じられた。強烈な光に痛覚以外の全てが麻痺してしまったようだ。実際にどれくらいの時間が過ぎたのかもわからない。
「う…」
目眩をこらえて目を凝らしたアレクシアが見たものは、我が目を疑うほどに大きな卵と、鏡に写したようにそっくり同じ顔をした巫女だった。
「わたしたちは」
「わたしたちは」
「卵を守っています」
「卵を守っています」
優雅な仕草で一礼し、同じ声、同じ抑揚で話始めた巫女に、アレクシアはたじろぎ一歩後ずさる。
「ようこそ。ガイアの御子」
「ようこそ。ルビスの意思を継ぐ御子よ」
「え…?」
「おい」
気付けば直ぐ隣にはレイモンドが立っていて、レイモンドはアレクシアにオーブを押し付けると、敵意にも似た険悪さで巫女を睨み付ける。
「なんなんだあんたたち」
町のごろつきなら逃げ出しているに違いないレイモンドの眼光にも、巫女は表情ひとつ変えない。
「え? なにここ?」
「卵!?」
朦朧状態から回復したものの、状況の変化に対応できず狼狽えるディクトールとリリアだったが、とりあえず足元のオーブをひとまとめにしてアレクシアとレイモンドに歩み寄る。
解からないなりに分かっているのは、ここがどこかの神殿の中で、目の前にいる巫女二人はすぐには襲ってくるつもりは無さそうだと言うこと。
「わたしたちは」
「わたしたちは」
「卵を守っています」
「卵を守っています」
レイモンドの問いに対する答えだろう。最初に聞いたフレーズの繰り返しに、レイモンドの眉がピクリと上がる。
「6つのオーブが揃いし時」
「伝説の不死鳥ラーミアは甦ります」
「ラーミアは神の僕」
「あなたにならば背を許すでしょう」
「わたしたち」
「わたしたち」
「「この日をどんなに待ちわびたことでしょう」」
「「さあ、オーブを台座に捧げるのです」」
「さあ、と言われても…」と、アレクシア達は互いに顔を見合わせた。
巨大な卵を奉じた台座の回りには、竜をあしらった金色の台座が等間隔に6つ並んでいる。ここにオーブを嵌め込んでいけと言うのだろう。
巫女達は、言いたいことは言い終わったと、ピタリと口を閉じて佇んでいる。呼吸さえしていないのではないかと疑うほどに、まるでオブジェクトのひとつであるかのように静かに。
苛立ちに形があるのなら、今のレイモンドがそうだろう。器用に片方の眉だけそびやかし、組んだ腕の上で指をトントンと叩いている。腕組みを解いたら文字通り噛み付きそうだ。
「ここは、どこですか」
今にも噛み付きそうなレイモンドを制してアレクシアが一歩前へ進み出る。
「ここは常世であって常世ではない場所」
「神々の世界とひとの世界の間の世界」
「あなたは知っているはずですよ。ロト」
「あなたは識っているはずです。エル」
(う、わ…)
名前を呼ばれた瞬間に、脳裏を様々な映像が流れて消える。あまりの情報量に目眩がし、涙が出た。吐き気すら覚えて、アレクシアは膝をついた。
常春の国。死のない神の世界。作られた幸福。破壊するために産み出された世界。繰り返される悪夢。
「レイアムランド…」
口をついて出た音の意味を、アレクシアは知らない。けれど魂が叫んでいる。懐かしく愛しい故郷。哀愁を孕んだその名前を。
「気に入らねぇな!」
こちらも同じものを見たはずだ。目尻をこすって涙を拭い、頭痛をこらえながらもレイモンドは巫女を睨み付けた。
「気に入らねぇ!」
呆気に取られているディクトールとリリアの手からオーブを奪い取り、苛立ちをぶつけるような乱暴な足取りでオーブを台座に嵌め込んでいく。
「全部最初から決まっていたとでも言うつもりか!」
金色の竜の鰓(アギト)に収まって、オーブはぽうっと不思議な光を放った。
「俺たちは自分の意思で生きてきたんだ! アレクシア!」
お前のオーブを寄越せと手が差し出される。
「ラーミアだろうがなんだろうが構わねぇ。とっととこんなクソみてぇな世界からは出ていくぞ!」
「あ…、うん」
アレクシアが巫女の間をすり抜けて行くとき、巫女達はすっと腰を曲げて面を伏せた。高貴な者を前にした召し使いのように。
(ここがレイアムランドなら)
人は死なず、病を得ることもないだろう。
レイアムランドは精霊の国。エルシアがエルシアとして肉体を得る前にいた世界。その頃のエルシアはマナ、エレメントと呼ばれるような、曖昧で純粋な存在だった。
(死にはしないけれど)
余程の依り代がない限り、自己を保つことは叶うまい。
(生きながらに腐っていくだけだ)
手にした真紅の宝珠を金色の竜に捧げる。
6つのオーブはそれぞれに輝いて、その輝きは巨大な卵に吸い込まれていった。そして―ー
「「ああ、今こそ!」」
暖かく柔らかな光が卵から漏れて、卵ががたがたと胎動を始める。その光はホイミの光に似ていて、アレクシア達は、レイモンドでさえ、その時ばかりはほうっと肩の力を抜いた。母に抱かれているかのような安らぎに身を委ねて。
「「甦れ! 大空はお前のもの!」」
霊鳥。不死鳥。神の御遣い。神の化身。神の乗機。様々な呼ばれ方をするラーミアは、確かにその二つ名の通り神秘的な存在だ。卵の時点で既に神々しく圧倒的な存在感がある。しかし卵は卵。鳥は鳥。卵殻を内側からつつき割り孵化しようとする様はそこらの鶏と変わらない。
近所の農家で鶏の孵化に立ち会った時の事を思い出しながら、アレクシアはどきどきと胸を踊らせてその瞬間を待った。
虹色の卵殻から黄色いくちばしが覗いた時はリリアと手を取り歓声を上げ、疲れたのか卵殻を割る動きが止まった時にはレイモンドさえも手に汗握った。
「もう少しだ。がんばれ!」
声援に応えてなのか再びコツコツと卵殻を割り始めたが、程なく卵の中から甘えるような声が聞こえ始めると、誰ともなくアレクシア達はラーミアの卵殻を剥がしにかかった。親鳥が雛の孵化を助けるかのような精神が働いたのだろうが、相手は巨大な卵だ。労力としては壁を剥がすのに近い。
「出た!」
見上げるほどに大きな雛。白に近い黄色い産毛はふわふわで、黄色いくちばしも愛らしい。けれどリリアが「かわいい!」と興奮している間に、見る見るラーミアは姿を変えた。
丸々としていた体がすっきりと伸び、ふわふわの産毛は艶やかな風切羽へと変化する。無垢な黒目だけはそのままに、アレクシアを見て甘えるように鳴いた。
「ラーミア…」
いとおしさに胸がつまる。伸ばした手に嘴を寄せるラーミアに抱き付くと、再びアレクシアの脳裏に記憶の本流が押し寄せた。それは魂に刻まれた、エルシアとしての記憶。神に形を与えられ、恋を知り、克な使命に歯を食い縛り、人間としての生を全うした女性の。
「また、お前の力を借りるよ」
にじむ涙を羽毛に隠して呟いた。その頭にぽんと手が乗せられる。見ようと動かした頭ごと、今度は引き寄せられた。誰にそうされているのか、相手を見るまでもない。瞬間的に熱を帯びた頬のせいで、ますます顔が上げられない。
「…ちょ」
「同じにはならない」
ラーミアとアレクシアを抱き寄せて、アレクシアにだけ聞こえるようにレイモンドが呟いた。
「逃げる為じゃない。戦って、勝つために」
レイモンドの言葉なのか、彼の中のロトの言葉なのか、彼自身にもわからなかった。使命だ、定めだといったものを否定しつつも、自分の中にあるものまでは否定できない。それも含めての自分だと理解しているから。それゆえの行動であり言葉だった。
「おいっ」
苛立たしげなディクトールの声に振り返る。
「え…?」
振り返ったアレクシアとレイモンドの姿にディクトールとリリアは声を飲み込んだ。信じられないと二人を指差すリリア自信、己が指を見て悲鳴を上げる。鋭い青い爪が生えていた。
「リリア!」
青銀髪の髪、色素の薄い肌と赤い瞳。尖った耳、青い爪。悲鳴を上げ続けるリリアを抱き締めるアレクシアの姿もまた金色の髪へと変わっている。
「何がどうなっているんだ!?」
狼狽するディクトールは姿こそそのままだが
「早く出よう。ここはそういう場所だ」
黒い髪に黒い瞳へと変わっていくレイモンドが淡々と「ここに長くいるとお前は消えてなくなるぞ」と指摘する通り、指先から透き通っていくようだ。
「出るったってどうやって!」
ヒステリックな問い掛けにはラーミアが答えた。首を伏せ、姿勢を低くして、背中に乗れとばかりにクエーと鳴く。
「行こう」
頭を抱えてうずくまってしまったリリアを抱き上げたレイモンドに促されても、ディクトールはすぐには動けなかった。理性が理解を拒むのか、揺らぐ実体に意思が働かぬのか、動けなかったというのが正しい。
「ディクトール」
肩に触れた手はディクトールの知っている手よりも尚たおやかで、幼い頃より共に育ってきた少女は記憶にある姿とは大きく違う姿をしていたけれど
(美しい…)
美しいという認識だけは変わらなかった。
「歩ける?」
薄れてきていた手を、細い少女の手が握る。それだけで感覚が戻った。立ち上がり歩こうと言う力が体に満ちる。
「ああ。ありがとう」
しっかりと握り返すと少女は微笑った。
手を引かれながら上ったラーミアの背中は思いの外広く、生き物の上だとは到底信じられない感触だった。生き物ならば当然、固い骨や躍動する筋肉の感じを肌の下に感じるはずなのに、ラーミアの背中は上等な絨毯をしいた一室のように快適だった。
「ラーミア、行ってくれ」
レイモンドが声をかけるとラーミアは応えて甲高く鳴いた。力強い羽ばたきに、当然来ると思われた振動も背中の四人にはほとんど伝わらない。
「……」
ぶわ、とラーミアの巨体は床から浮き上がり、あっという間にラーミアを守ってきた双子の巫女の姿は小さくなった。振り返ったアレクシアが見たのは祈りの形に組まれた手を解いて手を降る二人の姿だった。