ドラクエ3
□明けぬ空を背負って(本編3)
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ああ、またあの夢だ。
記憶の追体験。「自分」の記憶であるのに、そこにいるのは今のアレクシアではない。
世界樹の実を寄代として受肉した精霊。どんな意図をもって造られたのかはわからない。そんなこと考えたこともない。
触れ合うことの出来る肉体は、幸福を、喜びをもたらしもしたけれど、同時に痛みや苦しみをももたらした。
ヒトと神の狭間で責務に耐え苦しむ恋人と同様の苦しみを。
眼下には焔。熔けていく大地。呑み込まれる人々。木々が大地が水が、燃え上がり混ざり流れて吹き上がる。
生き物も精霊も皆悲鳴をあげていた。その悲鳴すらも掻き消して呑み込んですべてを破壊し奪っていく。
神が。
そこに居わすのか、と天を仰ぎ睨み付けても、天は禍々しい硫黄の雲に被われて神の御座所を伺うことはできない。
どれほど慈悲を乞い祈っても、呪いの詞を声の限りに叫んでも、轟轟と唸る風に掻き消される。
神は自身の行いに恐怖しているのだ。下界のこの惨状を見たくないのだ。
呪われろ!
届かぬと知って尚、叫ばずにはいられなかった。そして、ただ呪詛を叫んで悲嘆に暮れてはいられなかった。アレクシア――否、エルシアはロトと共に霊鳥ラーミアを駆って人々を助けねばならないのだから。
白い鳥は光を纏って毒の空気を引き裂き飛んでいく。その背なに無垢な命を乗せ、神の目を盗みルビスとガイアが作り上げた新天地へと。
助けられたのは僅かだった。その僅かな命にさえも追手が迫る。追い縋る黒い影。神の遣いとは思えない禍々しさだ。
黒い影がアレクシアに覆い被さる。冷たい手が直接心臓をわしつかんだかのような悪寒に、全身が凍りついた。呼吸が止まる。指先からどんどん熱が失われていく。
ああ、これが死だと、妙に冷静に自分を観察している部分がある。その部分が、心臓のそばに青い光を見付けた。死の暗い影の中で、清浄な輝きを失わない青い石を。
瞬間、石が強い光を放った。光は即座に消えて、アレクシアに覆い被さっていた影を掻き消す。
と、震えていた心臓が、とくんと鳴った。
止まっていた血流が一気に流れ出し、痛みさえ伴って熱い血が身体中を駆け巡る。
「―ーっは!」
自分が呼吸をしていなかったことにさえ気付かなかった。
「アル!」
鎧ごと抱き締められて、ガシャリと耳障りな音が鳴った。どくどくと煩く鳴る心臓をなだめるように呼吸を繰り返しながら、辺りに視線をさ迷わせて、ここがネクロゴンドの洞窟だと思い出した。そして自分がアレクシア・ランネスという人間であることも。
「良かった! 神(ミトラ)よ、感謝します」
すぐそばで唱えられたミトラ神の祝詞に、反射的にアレクシアはディクトールを押し退けた。本能的な嫌悪感から吐き気さえ覚える。
「アル?」
傷付いたようなディクトールを気遣うどころか煩わしく感じる。心がささくれだって、いつもなら気にもならないことが、苛苛とアレクシアを刺激する。
あくまで支えようとするディクトールの手を拒んで自らの力だけで体を起こしたアレクシアは、目眩を覚えて額を抑えた。
「…頭が痛い」
肌がざらつくのも気持ちが悪い。無意識に衿首へ突っ込んだ指先が、着けていたのも忘れるほどに馴染んでいたネックレスに触れた。
「…あ」
16歳の誕生日に母がくれたネックレスだ。引っ張り出してみるとチェーンにはイシス女王から下賜された指輪がぶら下がっているだけで、母がくれたあの青い石飾りがなくなっている。不思議に思ったが、疑問を口にする前に、より重大な事実を突き付けられる。
「アルだけでも無事で良かったわ」
「だけでも、って…?」
涙混じりのリリアの台詞の意味を、問うより早く理解した。なぜ今まで気付かなかったのか。ディクトールの肩の向こうに横たわる男が見える。どきりと心臓が跳ねた。どんどん早くなる心音に急き立てられるように、ディクトールを押し退けて男のそばに駆け寄った。
「嘘…」
血の気を失った白い頬に、震える指先で触れた。その冷たさに、びくりと手を引っ込める。
「ザラキをかけられたんだと思う。君は奇跡的に助かったけど、レイは…」
ディクトールは、助けられなかったと悔しげに下唇を噛んだ。
「残念だけど仕方ない。僕らだけでも前に進まなくては…」
「アル?」
ディクトールの言葉はリリアの声に遮られた。アレクシアに至っては、はじめからディクトールの言葉など耳に入っていなかった。枕がわりにしていた荷物袋を逆さまにひっくり返し、そこに求めるものが見付からずに腰のポーチも同様に中身をぶちまける。
「あった!」
ダーマ神殿の一室で、役に立たないとポーチの奥底にしまいこんだまましわくちゃになった油紙の中から取り出したそれは、相も変わらず瑞々しい緑色を失っていない。
「どれくらい経った?」
「10分も経ってない。ザオラルは試したんだ」
それでも駄目だったと項垂れるディクトールに一瞥もくれることなく、アレクシアは迷わず世界樹の葉をレイモンドの口に突っ込んだ。
「無茶苦茶だ! 意識もないのに」
ディクトールの言う通り、死体がものを飲み込むはずもない。それでも構わず無理矢理に押し込む。
(助けてください! 母さん! ルビスさま!)
ぎゅっと目を閉じ祈りを込める。
「帰ってこい!」
不意に、手の中の抵抗が消えた。と同時に、手首を捕まれすごい勢いで横に打ち払われた。
「げほげほっ…うぇっ! ごほっ」
口腔内の枯葉を吐き出し、いくらか胃の内容物も吐き出したレイモンドは、手足を着いた姿勢で恨みがましくアレクシアを睨み付けた。
「てめぇ、殺す気か」
「―…はは…っ!」
今の今まで勝手に死んでいた癖にと、腹立たしいような喜ばしいような。とにかく笑いが込み上げて、アレクシアは片手で顔を被って笑った。
「?」
訳がわからないと、気味の悪いものでも見るような目付きのレイモンドに、リリアが抱きつく。
「レイ! よかった!」
「はあ? なにがだよ」
いきなり遠慮なく飛び掛かられて、レイモンドは石畳に押し倒された。倒れた拍子に頭をぶつけて星が飛ぶ。
「君はザラキでさっきまで死んでたんだ」
自分の落ち度だと、ディクトールは素直に頭を下げた。痛む後頭部を摩りながら、ことの次第を聞き終えたレイモンドは 、いましがた吐き出した枯葉をまじまじと見つめた。自分の体験から、世界樹の葉が偽物だとは思わなかったが、だからといって
「…口に入れる必要あったのか?」
意識のない者がものを飲み込むわけもなく、事実自分は葉を飲み込んでいない。お陰で朝飯を無駄にしてしまった。
「知るか!」
とにかく無我夢中であったのだ。レイモンドを喪うと思ったらなにも考えられなかった。
―ーなんて言えるわけもなく、アレクシアは手近にあったぶちまけたままの荷物を掴んでレイモンドに投げつけた。