ドラクエ3
□明けぬ空を背負って(本編3)
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むせるような硫黄の臭いと熱気に呼吸がままならない。足場はますます悪くなり、むき出しの岩肌にはどんな植物も根を下ろすことはない。まるでこの世の地獄を見るようだ。それなのにレイモンドの胸は期待と喜びに震えていた。同時に寂しさも感じている。懐かしさと不安にどきどきと胸が高鳴る。体の内側から興奮があふれでてしまいそうだ。
(なんだっていうんだ?)
なぜこんなにも胸が騒ぐのか、なにがこんなにも懐かしいのか、『レイモンド』にはわからない。
「レイ、早い」
殿を決めていたのに、気付けば先頭にいた。ついてきているのはアレクシアだけで、そのアレクシアも逸る気持ちを抑えているように見える。
「さっきの逆だ」
「だな」
顔を見合わせ苦笑して、先行しすぎた足を止める。ディクトールとリリアを待つ間、二人は互いに顔を見ぬままに言った。
「感じるか? 懐かしがってる」
「うん。ガイアだ」
嘲るように胸を掴むレイモンドに対して、アレクシアは真面目な顔で頷く。
「言ってたじゃないか。この辺り一帯がガイアの体だって」
ランシールでレイモンド自身が言ったのだ。ガイア神自身が大地だと。
「わたしたちは知っている」
ネクロゴンドの火口にガイアの剣を捧げる。漠然とした伝承に、一体どの火口の事をいっているのかと、一時は頭を抱えもしたが、レイモンドは迷わずにアレクシア達を目的の場所へと導いた。〈鷹の目〉を使って場所を確認したからではない。知っていたからだ。導かれるからだ。
アレクシアがつい足を早めてしまったのも、彼女の中にある意識がそうさせたのだ。
「認めるんじゃなかったのか? 有意義に利用させてもらおう」
苦い表情のまま、レイモンドは舌打ちした。盗み見たアレクシアが妙にすっきりとした、悟りきった表情をしているものだから、いつまでも割り切れない自分が駄々をこねている子供のようで恥ずかしくなる。
「開き直った女は怖いな」
ぼそりと呟いて、アレクシアがなにか言う前にさっさと一人先に行ってしまう。言い逃げも情けないが、それ以上にどんな顔で今の彼女と向き合えばいいのか解らなかったのだ。
(あたたかい)
ポーチから取り出したガイアの剣は仄かに熱を持ち、赤く色付いて脈打っている。
すぐ目の前には奈落へ続く火口が暗く口を開いている。十数年前にオルテガの行く手を阻み、その身を吸い込んだ大穴が。
オルテガにとって、この大穴がどんな風に見えていたのかはわからない。レイモンドにとっては畏怖と安堵が共存する大穴だ。微かだが確かに、ここには自分の中にある「もの」と同じ気配がある。
そんなに長い時間そうしていたのか、気付けばレイモンドの隣には仲間達が並んでいた。
「ここが…?」
「ああ。ガイアの心臓だ」
誰ともなくもれた呟きに頷いて、手の中の金属片を握りしめる。ひとつ念じるように目をつむったレイモンドは、一呼吸の次にはそれを火口に向けて放り投げた。
石に跳ね返る甲高い音はすぐにしなくなり、辺りに静寂が訪れた。
「……それだけ?」
呆気にとられたリリアの語尾に被せるように、その瞬間は訪れる。
大地が震え、ゴゴゴゴと火口が唸る。逃げるまもなく火口から火の手が上がり、燃える岩が吹き出した。呼吸する大気すら燃える。すべてを焼き付くし白い灰に変える。先程までも生き物の気配がない地獄のようだと感じていたが、これこそがまさに地獄だ。
「っ!」
自分のものではないのに自分が体験した記憶が甦り、呼吸を詰めて凍り付くアレクシアの手をレイモンドが握った。こちらも同様に、己が内に潜むもうひとつの記憶にうち震えているに違いない。怒り、憎しみ、恐怖、絶望。それでも立っていられたのは、互いがいたから。
「――…どういうこと…?」
リリアが呟くのも無理はない。炎はアレクシア達を避けて、ネクロゴンド山への行く手を遮っていた川へ流れ込み、周囲の森を焼くこともせずに見る間に冷えかたまって道を作った。
「まさに奇跡だ。ミトラよ。感謝します」
「けっ」
ミトラへの祈りを捧げるディクトールに剣呑な一瞥をくれる。ミトラではないが、神の奇跡には違いない。
「けほっ、こほん」
「どうした。灰でも吸い込ん…」
真横で上がった咳払いに視線を下げてみれば、赤い頬で手を振るアレクシアがいる。アレクシアの手は男の手ががっしりと握り締めており…
「っ!」
慌てて離した。
幸いリリアとディクトールは面前の奇跡に圧倒されて気付いていない。そうでなければなにを言われたか。これから大事に挑もうと言うのに、つまらないいさかいは起こさないに限る。
「よしっ」
山頂から見る限り、ネクロゴンド山までは真っ直ぐ一本道。半日ほどの距離だろうか。山の頂きには堅牢な城も見える。あれがネクロゴンドの王城。今は魔王バラモスの居城だ。すんなり辿り着けるとは思わないが、あと数日の距離まで来た。
手を握られたくらいで動転している場合ではないと、アレクシアは両手で頬を叩いた。
「行くぞ!」