ドラクエ3

□明けぬ空を背負って(本編3)
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 飛び交う怒号。肌を打つ礫。あの手に捉えられたら、髪を引き抜かれ、服を、四肢を引きちぎられるに違いない。
 だから逃げた。
 熱の為か、恐怖故か、思うように呪文が紡げない。徒手空拳で渡り合うには数が多すぎる。それに一人でも傷付けたら、暴徒と化した街の人々全てが敵に回るに違いない。そうしたらアレクシアは、自衛のために人間を手にかけずにはいられなくなるだろう。それもかなりの人数。それはもう虐殺だ。
 だからただ逃げた。森に入り、教えられた通りに抜け道を抜けて――


「アル…」

 ひっ! と息を吸い込んで目を見開いたアレクシアの額に濡れタオルをおき直したのは、心配げにこちらを見ているリリアだ。
 どきどきと鳴る心臓を宥めるように、周囲に視線を走らせれば、見慣れない景色の中に見慣れた顔を見付ける。
 リリアと位置を入れ替わり、枕元にやってきたディクトールが脈を取って優しく笑う。

「気分はどう?」

 答えようとして、喉が張り付いてしまっていることに気付く。ディクトールに背中を支えながら上体をお越し、水をコップ一杯飲み干して、それでもなお掠れた声でアレクシアはようやく声を発することができた。

「大丈夫?」
「うん。だいぶいい。…凄く嫌な夢を見てたみたい。みんなとはぐれて、セイに会ったまではよかったんだけど、それからセイが…」

 目に入ったのはひどく汚れた自分の衣服。煤に泥、それにこれは――血、だろうか。
 アレクシアはすがるようにディクトールを見た。悲しく笑み首を振る幼馴染みから、リリアに視線を向ける。こちらは唇を噛んで俯く。部屋の奥、壁に持たれているレイモンドは不機嫌な顔でじっとアレクシアを見つめ返した。

「夢、じゃ、ない、のか……」
「ああ」

 枕元に置かれていた包みを開けてみるように促される。恐る恐る開いてみると、中には見たことのある真球の宝玉が納められた桐箱が入っていた。

「――っ!」

 イエローオーブ。
 呪われた宝玉。人から人へ渡り、その涙を、呪詛を、血をすすり輝くと言われる伝説の宝珠。
 スーの老人からエジンベアへ買い取られ、セイが大金を積んで買い戻したものだ。
 これを手に入れるためにセイはアレクシア達と袂を別ち、これを買い戻したために現在獄中にある。
 夢だと思っていたことはすべて現実なのだと、掌の中の輝きが残酷に語っている。
 深夜、眠っていたところを暴徒に襲われ、着の身着のまま逃げ出した。後で必ず合流するからと、セイはアレクシア一人をここへ逃がしたのだ。

「セイを助けなきゃ!」

 この場にセイが居ないのなら、助けにいかなくては! きっと怪我をしている。暴徒の手に落ちればただではすむまい。
 毛布を跳ね上げて飛び出そうとしたアレクシアを、有無を言わさぬ力強さでディクトールが寝台に押し戻した。

「ディクトール!」
「それで何度倒れたら気がすむ? 今はゆっくり体を直すのが先だろ!」

 言葉に詰まるアレクシアに、今度はいつも通りの穏やかさでディクトールは微笑み

「僕らに任せて。君は休んでいて」

 と親が子供にそうするように、アレクシアの額を撫でた。


 アレクシアが寝息をたて始めると、ディクトールはリリアとレイモンドに目配せをして小屋の外へ出た。


 仲間とはぐれたアレクシアは、偶然にもセイと出会うことができた。セイは森に捜索隊を派遣する手筈を整え、今では流行っているとは言い難い、街一番の古宿の店主に使いを出し、レイモンドらの人相を伝えて訪ねてくれば協力してくれるように口利きもした。
 神の悪戯か、悪魔の好意か、クーデターが起きたのは、その日の夜半だった。
 夜半に上がった火の手は朝日より明るく夜空を焦がし、街の建設者にして船団の責任者であるセイ・アミネゴージョは街の広場に縄を打たれて転がされた。篝火に照らされた男は街の名士ではなく公金を横領した大罪人。個々人の真意がどこにあったにせよ、街の人々は熱に浮かされたように男に罵声と石を投げつけた。
 セイの館からは美術品・調度品等がクーデターにかこつけ略奪された。街の治安は一気に悪化し、クーデターを起こした若者達の間ですらいざこざが断えなかった。志を掲げてクーデターに参加した者よりも、ただ日常の不満をぶちまける為だけに参加した者、暴力に酔った者の方が多かったからである。
 クーデターを指揮した若者達ではこの混乱を収集することができず、結局は船団でセイの腹心を務めていた男が団員達をまとめて消火と犯罪を取り締まり、暴徒どもを鎮圧。混乱はひとまず収まった。しかしセイはそのまま、街外れの牢に投獄された。
 レイモンド達が街にやってきて、何もかもを把握したのがクーデターから数えて5日後の今日である。


「最悪…!」

 まさしく吐き捨て、リリアは木の幹を蹴りつけた。

「アルにはなんて言うのよ」
「ありのままを言うしかないだろう」
「マルロイが死んで、セイは死にたがってる。船も壊れちゃったけど、イエローオーブは手に入ったんだから大丈夫よ。って?」
「随分だね」
「自棄を起こすなよ」

 ディクトールは苦笑し、レイモンドは呆れたが、リリアの苛立ちももっともだ。ありのままを伝えるとはそう言うことなのだから。

「セイの気持ちも分からなくはないんだよな」

 と呟いたのはレイモンドで、キラーエイプも逃げ出しそうな眼光で睨まれ口を閉じた。

「だから下らないって言ってるの! 男の意地とか矜持とか、何の役に立つって言うのよ」

 後半は愚痴だ。爪先で地面を蹴り、そこらに苔や小石を蹴り散らしながら、ぶちぶち文句を呟くリリアにやれやれと溜め息を吐いて、ディクトールは真顔に戻って口を開いた。

「船とセイの情状酌量は伝手を頼ってみる」
「伝手?」
「うん。宿屋の親父さんに聞いたけど、街の主だった人物はルザミからの移民だそうだから、カテリーナ・エラウソを尋ねようと思う」

 カテリーナ・エラウソという名前がすぐにぴんと来なかったらしいリリアは怪訝な顔をしたが、女海賊だとレイモンドに言われて納得したらしい。

「マルロイの事もあるから、僕はこのままカテリーナを訪ねる。その間、こっちの根回しは頼めるだろ?」
「ああ」
「リリアはアルを頼むよ。それと、セイが馬鹿なことしないように見張っててくれるかな」
「…イヤよ」

 てっきり威勢のいい啖呵と共に了承が返ってくるものだと思っていたから、ディクトールは一瞬動きを止めた。レイモンドも、行きかけていた足を止めて体ごとリリアに向き直る。

「嫌よ! あいつの面倒なんて誰が見てやるもんですか!」

 じょおっだんじゃないわ! と、リリアは激しく首を振り、ぎりぎりと親指の爪を噛む。
 リリアとセイの間でどんな会話がなされたのかは知らないが、ここで詳細を訊ねるのも、リリアを宥めるのも時間が惜しい。不本意ながら男二人は顔を見合わせ、同じ結論を互いの顔に見た。

「…その辺はまあ、うまくやる」
「よろしく」

 疲れた表情で頷きあって、ディクトールはルーラを唱え、レイモンドは市街地に向けて駆け出した。
 残されたリリアはあらぬ方を向いたまま、唇を噛み締める。

「なによ…」

 意地を張っているだけだと、わかっている。けれど張り通せない意地なら、初めから張らない。
 あのバカなんかもう知らない。あいつの思い通りになんか、絶対にさせないんだから!

「ぶっ飛ばしてでも、引きずり出してやる」
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