ドラクエ3

□明けぬ空を背負って(本編3)
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 野営地を引き払い、世界樹のもとを発ったのは完全に日が昇りきりってからになった。というのも、結局あれからレイモンドが寝ると言い出し、空が白み始めたころに二時間ほど仮眠を取ったためだ。たったそれだけの睡眠で体が持つのかとアレクシアは首を傾げたが、睡眠不足を理由に動けませんなどと、冒険者や傭兵が言い訳でも口にできるものではない。
 宣言したとおり、目を覚ましたレイモンドが何度目になるのかわからない<鷹の目>の魔法を唱えて、二人は世界樹を後にした。

 森の中に生息する魔物の特性も理解してきて、トヘロスに加えてがっちゃがっちゃとわざと鎧のあげる耳障りな金属音を立てることで、魔物との遭遇率は格段に減った。
 それでも、よほど腹が減っているのだろう。目を血走らせ、よだれを滴らせながら襲ってくる灰色熊などがいないわけではない。そういった哀れな魔物には逆にこちらの保存食になってもらうような結果が待っていた。
 肉を食らう動物の肉は、本来臭みが強すぎて食用には向かないのだが、いざというとにはこれも立派な蛋白源になる。
 手際よく胸元の肉を手ごろな大きさに切り出すと、それを近くの木から積んだ大きな葉でくるんで油紙に包む。レイモンドのそんなやたら手馴れた作業を見守りながら、アレクシアはこの肉を口にする機会が訪れないことを切に願った。


 森に入ってから、一週間。ようやくアレクシアたちは森の端に到達していた。
 突然足元の土質が変化する。風も、海からの潮の香りを運んでいた。

「う、わぁ…!」

 切り立った崖。眼下には激しく岩打つ波が見えた。ここから足を滑らせれば、海に落ちる前に岸壁の大きな岩にぶつかって即死だろう。
 大地を切り裂いたような地形がそうさせるのだろう。海から舞い上がる風は強く、女の悲鳴のように耳を突いた。ふとマルロイから聞いた海の中から船乗りを連れ去る泣き女の話を思い出し、アレクシアはふるりと肩を震わせた。

「おい、おちるなよ」

 声に揶揄を含ませてレイモンドが呼ぶ。誰が落ちるかと悪態つきつつ横に並ぶと、顎で行き先を示された。

「家? …神殿か?」

 潮風に相当傷んでいる。今にも崩れそうな意思つくりの建物があった。民家というには大きすぎるし、砦というには貧相すぎる。
 アレクシアとレイモンドはしばし顔を見合わせ、どちらともなくその建物に足を向けた。ほかにめぼしい目印もないし、雨風を凌げるのなら人が住んでいようといまいと関係なかった。
 近づくにつれ、人が住んでいる様子が伺えるようになり、逆に二人を緊張させた。こんな場所に全うな人間が住んでいるはずがないからだ。
 腰の剣に手をかけ、建物の外壁まで駆け寄った二人は、窓からそぅっと中の様子を伺い、見えたものに脱力して素直に玄関に回った。

「いらっしゃい。こんなところまで、大変でしたね。お泊りになりますか?」

 窓から外の様子を見ていた男は、目が合ってしまったレイモンドににこやかな笑みを向け、お決まりのセールストークを口にした。


 いつからこの岬を“オリビアの岬”と呼ぶようになったのか、詳しいところは知られていない。
 ある豪商の娘オリビアは、使用人の若者エリックと恋に落ちたが、身分違いを理由に結婚を反対される。エリックはオリビアにふさわしい男になるべく必死に働いたが認められず、無実の罪を着せられ奴隷に売られ、ガレー船の漕ぎ手として買われていった。奴隷でも、商取引が認められていたから、エリックは身分を買い戻そうと、わずかな賃金で手荷物程度の物資を買い、つぎの町でそれを売ってそれをまた元手に物資を買うといった交易を行っていた。もうじき身分を買い戻し、自由の身になるとオリビアに手紙を出している。けれどその手紙がオリビアの手元に届くころ、エリックを乗せた船は嵐に遭い海の藻屑と消えたそうだ。恋人の帰りを岬でずっと待っていたオリビアは、恋人を奪った海に身を投げた。

「あなた方も聞いたでしょう? オリビアの悲しい歌声を」

 よくある悲恋ものを歌い終えた吟遊詩人は、ぽろんと竪琴を爪弾きながらいたずらっぽく笑った。
 いかにも優男然としたある程度整った顔をしている(だからこそ吟遊詩人なんぞをやっているのだろうが)男だが、レイモンドを見慣れているアレクシアにはこの男の価値がわからない。

「はあ」

 と気の抜けた返事をするだけだ。
 恋物語にちょっと怪談を織り交ぜて女を口説くのがこの男のやり方なのだろうが、アレクシア相手ではまったく効果は上がらなかった。
 つまらなそうに、というよりは悔しそうに、それからというものこの海峡を通り抜けようとする船をオリビアが押し戻すのだ、と男は話を結んだ。
 若い女が来ることなどそうそうないのだろう。しかもアレクシアは上玉だ。詩人は尚もしつこく食い下がったが、一向に乗ってこないアレクシアにしぶしぶと竪琴を抱えてカウンター席に引っ込んだ。
 自分が口説かれていたことにも気づいていないアレクシアは、ようやくいなくなってくれた男に疲れたため息をついた。その様子にレイモンドは小さく噴出し、未練がましくこちらを振り返った男にこれ見よがしな笑みを送っておく。酒場の女がきゃーきゃー騒いでほうっておかない類の笑みだ。負けを悟ったらしい詩人は自棄酒を煽り始めた。

「なにやってんだ?」
「いや? べつに」

 男相手に極上の笑みを浮かべているレイモンドを、気色の悪いものでも見るようにアレクシアが見る。こほんと咳払いして、レイモンドは椅子に座りなおした。

「どう思う?」

 気を取り直して話しかける。料理に手をつけ始めていたレイモンドは、ちらりと視線だけ寄越したあと、魚の白身と骨を取り分ける作業に入った。手と目は皿に向けたまま、「どうって?」とだけ応える。
 同様に魚を切り分けながら――こちらはレイモンドよりよほどきれいに魚の身を骨からはがしている――アレクシアが続けた。

「さっきの歌。本当だと思うか?」
「あながち嘘でもないと思うが、鵜呑みにするのもどうかな。所詮は作り物の歌だろ?」
「もう少し調べないとだめかぁ…」

 ふぅ、とため息をついたところで、アレクシアは眉尻を下げた。

「おまえ、変なところで不器用だね」
「ああ? なに笑ってんだよ!」
「だって、ちっちゃい子みたい。ああ、もう。ほら、貸してごらん」

 つい小さな子供に話しかけるような口調になってしまう。レイモンドが何を言うより早く手元から皿を引き寄せ、器用に魚の骨をはずしてやる。頬杖をついてぶすくれているレイモンドに、苦笑しながら皿を返してやった。

「小骨があるかもしれないから気をつけて」
「俺はガキか!」

 ひったくるように皿を手元に取り返すと、不機嫌な顔のまま料理を食べ始める。それを見て、アレクシアも食事を再開した。
 しばらく、食事の音だけが響く。カウンターで飲んでいた詩人も、いつの間にか二階の部屋に引っ込んだらしかった。
 食べ終わった食器をカウンターに持っていくと、奥でパイプを燻らせていた男がああと気づいて腰を上げた。

「すみませんね。お客さんに」
「ご馳走様でした」
「お客さんなんて久しぶりで、たいしたものがなくて申し訳ない」
「いえ。おいしかったです。それにしても、何でまたこんな場所で宿を?」

 主人が言うとおり、客など来ることのほうが珍しいだろう。
 にこやかなやり取りにわずかな緊張が走ったのをレイモンドは見逃さなかった。ゆっくりとアレクシアのいるカウンターに近づきつつ出口への警戒も怠らない。

「いやぁ」

 店主は鼻をこすり、それから耳の後ろを掻いて、その手を首の後ろに持っていった。照れた時や、対応に困って言い訳をするときの動作だが、それをここまで連続してやるのはすこし不自然だ。首をかしげたアレクシアの後ろで、レイモンドが目を見張った。

(まさか)

「なぁ、あんた」

 アレクシアを押しのけ、期待と不安の入り混じった感情が表に出ないよう必死に表情と声を取り繕いながら話しかける。

「エッグーラはここでのめるか?」

 表情をわずかに変えたのは、店主も同じだった。警戒と、期待と、喜びがめまぐるしく瞳を横切る。

「エッグーラって一言で言いますけどね、お客さん。どんなのがお好みなんです?」
「少し蜂蜜を入れてくれ。楓じゃなく、車軸草からとった蜜がいい」
「お客さん。それなら奥へどうぞ」

 ここまでやり取りを続けたあと、急に店主とレイモンドは手と手を組んだ。そのままの姿勢で、レイモンドは胸の中の空気すべてを吐き出したのではないかというくらい大きく息をついてカウンターに突っ伏す。アレクシアはわけがわからず頭の上に疑問符を飛ばすばかりだ。

「生き残りがいたのか」
「こっちの台詞だ。俺はレイ。こっちはアレク」

 握手を求めてきた店主の手は、ただの宿屋の店主にしてはごつごつと節くれだっていた。握った手の感触と、レイモンドの様子から、アレクシアはなんとなく状況を理解する。

「よろしく」
「ああ。よろしく。おれはベン」

 偽名だろうが、男は名乗った。サマンオサの盗賊ギルドに属しているという。否、いた、というべきか。
 同じ国のギルドにいたのなら、顔見知りではないのかとアレクシアは首をひねったが、構成員のすべての顔と名前がわかるような小さな組織ではないし、盗賊という性質上、素性を明らかにしたがらないやつのほうが多い。共通の知り合いを探すことのほうが難しいだろうと説明した。
 一応納得して「ふうん」と頷くアレクシアに、ベンは好意的な笑顔を浮かべた。それ以上にからかいをこめて、レイモンドをひじでつつく。

「かわいいじゃねぇか。お前のコレか?」

 小指を立てて聞いてくるベンにレイモンドはどう応えたものかと考えたが、先ほどの吟遊詩人の件もあり、説明も面倒なのでそうだと頷いておいた。
 ただ、郷里が一緒というだけでレイモンドが他人を信用することはない。相手が盗賊ならばなおさらのことだ。そうだと答えることで生じるリスクも考えないではなかったが、アレクシアの場合はそのケースよりも色事に対してのリスクのほうが高そうだと判断したのだ。

「そんなことより、情報交換といこう」

 促すレイモンドに、ベンももっともだと頷いた。




〜いいわけ&解説〜
DQ3ワールドマップをよく見てみると、世界樹のところからは陸路でオリビアの岬へいけないことが確認できます。
ええ。えーえ! 勘違いしていましたとも!!
でもいまさら書き直せないわ!
このままいきます!

エッグーラって言うのはDQ9のエッグラとチキータにかけて、ぽりんが勝手につけた名前ですが実際にあるウォッカをベースに卵黄、バニラを配合したエッグリキュールを基にしています。
なんかいいのないかな〜って探してたらたまたま見つけたカクテルでして、飲んだことも見たこともありません。
作中ではカクテルに蜂蜜を入れてくれって言ってますけど、最初はミルクの種類で駆け引きしようかと思ったんですよ。でもカクテルにミルクってまずそうだなーと思ってやめたんですが、後で調べてみたらエッグノックというミルクセーキみたいなカクテルもあるんですね。知らなかったー
車軸草はクローバー(詰め草)のことです。
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