ドラクエ3

□明けぬ空を背負って(本編3)
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 アレクシアは走っていた。
息を切らし、灌木や地をうねる根っこに足をとられながら、行く手を遮る木々の枝に手や腹を強かに打ちながら。
直に街が見えてくるはずだ。空が明ける前に、早くこの森を抜けてしまわなければ。
そうしなければ…、どうなるのだろう…?


「っ!!」

 目が覚めてまず、夢を見ていたことにほっとした。それから周囲を見渡す。何も変わらない。眠った時と何も変わらない狭い船室。二段ベットの下の段ではリリアが寝息を立てている。
 まだ落ち着かない心臓をなだめるように深呼吸を一つして、アレクシアは汗でぐっしょり湿った服を脱ごうと手をかけてやめた。代わりに鞘ごと剣をつかんで船室を出る。気分転換に素振りでもして来よう。そうしたらどうせ汗をかくのだから、着替えはそのあとでいいや、と思ったのだ。

「うわ、さぶっ」

 汗をかいた体に海風は冷たく、濡れたままで来たことをすぐさま後悔したがもう遅い。一瞬このまま船室に引き返そうかとも思ったがやめた。甲板に、先客の姿を見つけたからだ。

「見張りじゃないだろ?」

 上段から振り下ろした長剣を流れるような動きで腰の鞘に戻して、レイモンドはそう声をかけてきた。

「そういうお前は見張り台に居なくちゃいけないんじゃないのか?」

 朝昼晩と三回に分けて、男女の別なく交代制で見張り台に立つ。それがこの航海でのルールになっている。とはいえ、リリアだけは例外で、夜の見張りに彼女が立つことはない。夜更かしは美容の敵だそうだ。
 レイモンドは肩をすくめた。波は穏やかで航海は順調。水深も浅いこの辺りにはテンタクルスやダイオウイカといった大型の海洋生物が出没することもなく、聖水を撒いておけば魔物に襲われることもない。だからアレクシアも深く追及することはせず、レイモンドの向かいで鞘を払った。
 互いの剣の切っ先を軽く触れ合わせ、打ち合いを始める。
 アレクシアが一歩踏み込めば、レイモンドは一歩下がり、レイモンドが右へ打ち込めば、アレクシアは左へとよけた。相手がどこにどのように打ち込んでくるのかが分かる。決まり事も何もない即興の稽古だというのに、まるで剣舞のようだ。真剣を使っているのに恐怖など微塵も感じない。相手の剣が自分を傷つけることはないとわかっているのだ。それをなぜかと問われれば二人は顔を見合わせて首を傾げただろうけれど。

「やめだ。面白くもなんともない」

 アレクシアがどう動くのかわかるから。手合せなのに緊張感がないとレイモンドは剣を引いたが、その表情は何とも楽しそうだ。アレクシアの顔にも笑みが浮かんでいる。

「ははっ。でもまぁ、運動にはなったよ」
「確かに」

 さっきまでは肌寒かった海風も、火照った体には心地好い。弾んだ呼吸が整うまで、二人は並んで船縁に背中を預けていたが、呼吸が落ち着いても、なぜだかアレクシアの心音は落ち着かなかった。
 稽古終わりのお約束とばかりに、レイモンドは衣服をはだけて汗をかいた体を拭い始めたのだが、どうもそれが気にかかるらしい。アレクシアも汗をぬぐうが、こちらはさすがに脱ぐわけにはいかない。

(セイなら気にならないのにな)

 細身に見えるが鍛えぬかれた無駄のない精悍な肉体。程よく健康的に日に焼けた肌。2年に及ぶ旅の中で、この程度の露出見慣れているはずなのに、隣にいるのがいたたまれない。
 アレクシアの焦りなど全く気付いていない様子で汗をぬぐい終えたレイモンドは、手拭をしまった拍子に、腰のポーチの中身にふと手を止めた。

「? どうかした?」
「ん? ああ、いや…」

 これが、と取り出して見せたのはガイアの剣だ。

「俺は多分、これのもとの姿を知っているんだ」

 ぽつりとつぶやいたレイモンドは、懐かしいものを見るように、そしてそれが決して戻らない思い出だと知っているかのように、寂しそうに小さく笑った。

「…父……」

 父親、と言いかけて首を振る。

「ガイアがロトに与えた揃いの武具。大地の鎧とガイアの剣。鎧は大地の神殿に奉られていたのに、なんで剣の方はサイモンが持っていたんだろうな。サイモンはガイアとは…」
「関係ないって、言いきれないんじゃない?」
「え?」

 思案している風のアレクシアを、レイモンドは一瞬真顔で見つめた後で、わざとバカにしたような表情と口調を作って言った。

「おいおい、サイモンがガイア神の末裔だとかいいだすんじゃないだろうな。おとぎ話でももう少しマシだろうぜ」
「うん。でも、それならサイモンがガイアの剣を持っていたことにも説明がつくし、レイがロトの記憶を受け継いでいることも納得がいく」

 レイモンドは今度こそ本気で嫌そうな顔をした。

「じゃあお前は?」
「え?」
「お前は世界樹の根っこから生まれてきたとでもいうのか?」

 人差し指を突き付けられて、アレクシアはうーんと頭を掻いた。すっかり伸びた髪が指に絡む。
 アレクシアの出生については、アレクシア自身悩むことろが多い。悩んで悩んで最終的に、出自など今の自分には関係がないと結論を出したのだ。木の根っこから生まれようが、父母が誰だろうが、アレクシアは勇者オルテガの子として育ち、父の遺志を継いで旅に出て、仲間を得、どうやら前世らしき記憶を持っているということに変わりはないのだから。
 ぱらりと、指に絡んだ髪の毛を解いて、アレクシアは顔の前で手を振った。やめやめ、と不毛な会話に終止符を打つ。ここでいくら議論したところで推測の域を出ないし、いくら推論を重ねても現状が変化するわけではないのだから。
 今はとにかく、進むしかない。すべて終わった後で、それでも晴れない疑問は、当の本人に聞くしかないのだ。アレクシアにはまだ、事の真相を問いただせる母親がいる。怒られるかもしれない。泣かれるかもしれない。それでも、自分の親が何者なのか。それくらいは聞く権利があると思う。子として、そしていつか、子の親になるかもしれない身として。

「………」

 なぜ、そこに至ってレイモンドを見たのかわからない。図ったようにこちらを向いた、翡翠の瞳の意味も。
 彼自身知らぬ間に、レイモンドの手が伸びて、黒絹の髪に触れる。出会ったころは少年のように短く切りそろえられていた髪も、風になびくまでに伸びた。
 レイモンドの心の内にある“彼女”の髪は、今のレイモンドのような金色をしていたけれど、今生触れることのできる彼女の髪は、かつての“彼”のような艶やかな黒。

(ややこしいな)

 と苦笑する。けれどもなぜ、こんなにも求めてしまうのか。髪の色も、瞳の色も、何もかもが違うのに、どうしてこんなにも懐かしいと思うのだろう。

(俺の半身)

 見つめあう瞳が近くなる。髪に触れた手がアレクシアの頬にかかろうとして

「っくし!」
「汚っ」
「ごめん」

 謝りながらも鼻をすするアレクシアに、レイモンドは文句を言いながら先ほどしまった手拭を取り出して、かかった唾を拭う。手拭ともどもガイアの剣も元通りしまうと、海風に身震いするアレクシアを、しっしと虫でも追い払うようにした。

「また唾を掛けられたんじゃたまらないからな。風邪をひく前にとっととひっこめ」
「うん。ごめん。そうする」

 言い終わるよりも早く踵を返し、ばたばたと船室に駆け戻っていくアレクシアに、レイモンドもすぐさま背を向けた。本当は頭を抱えてその場にうずくまりたいくらいだ。そうできない代わりに「なにやってんだ」とレイモンドは額を覆って舌打ちをした。
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