ドラクエ3

□明けぬ空を背負って(本編3)
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 世界樹の根本に夜営の準備をして、その日は眠ることにした。
 いつもならば焚火を挟むか、並んで休息を取るのに、その日アレクシアは幹の反対側を見張ると言い出した。レイモンドの返事を待たずに荷物を抱えてさっさと行ってしまう。手と足が一緒に出るまではいかなくとも、ぎこちない動きにレイモンドは吹き出したが、言葉に出しては「あまり離れるなよ」と当たり障りのないことを口にした。
 言われてアレクシアも、幹の外周を思い出したらしく、互いの姿が目に入るぎりぎりの辺りに荷を下ろす。周囲の見張りと理由をつけてみたが、世界樹のお陰が辺りに魔物の気配はない。見張りの必要もないのではないかとすら思えてくる。
 だいたい、本当に離れてしまっては一晩不寝番をする羽目になる。これでは二人で組んだ意味がない。
 離れた理由は見え透いているのだから、デメリットを背負い込む必要もないかと、アレクシアはそこで夜営の準備を始めた。いつものように焚火を挟んで座れるほど開き直るには、さすがに経験値が足りない。
 火をおこし、ささやかながら晩餐を済ませる。あとはマントに包まり膝を抱えて、眠気が来るままに焚火を見詰めた。

「寝ていいぞ」
「…ん」

 襲わないから安心しろ、なんて台詞が頭を掠めたが、蒸し返すことでもないかとレイモンドは苦笑いして焚火に枯れ枝をほうり込んだ。第一、からかうにはレイモンド自身にも痛いネタだ。
 程なく聞こえて来た寝息にレイモンドはまさかと顔を上げ、そのまさかを目の当たりにして情けなさそうに息を吐いた。
 側では眠れないのかとむくれるべきか、無警戒に眠られたことに安堵するべきか。

「…ま、どっちでもいいか」

 呟いたのと同時に火の粉が跳ねて、レイモンドはアチっと舌打ちした。



 深夜。いつもなら見張りの交代を起こす時間になっても、レイモンドは黙って炎を見つめていた。
 眠らなくていいわけがない。一日や二日、寝ずにいたことも勿論経験があるし、やってやれないこともないだろう。今日も一日歩き詰めだったのだ。疲れていないわけがない。睡眠は必要だった。けれど、眠れないのだ。正確には、眠りたくない。
 レイモンドの懸念は夢を見ること。
 場所が場所なだけに、昼間見た白昼夢をまた見る可能性が高い。
 初めは朧げだった夢が、最近は自分の記憶の一部のように鮮明になっている。夢が夢で無くなって来ているのだ。
 あの夢を見るほどに、自分が自分でなくなっていくようで恐ろしい。あの黒髪の若者が、レイモンドを侵食していく。

「…ん」

 上がった声にそちらを見ると、アレクシアの焚火が消えかかっていた。掻きおこしてやろうと近付くと、気配に気付いてアレクシアは目を開く。

「交代?」

 旅慣れた、まして剣士なら、目覚めは良い。
 さすがに声は掠れていたが、アレクシアはすぐに正気の顔で上体を起こした。

「いや、火が…」
「ああ…」

 皆まで言わずとも解る。予め集めてあった枝を焼べると、弱くなった焚火は勢いを取り戻した。

「ありがとう。代わる」

 マントを羽織り直し、居住まいを正すアレクシアに、レイモンドは「いや」と歯切れ悪く口ごもる。
 怪訝そうに見上げてくるアレクシアにどう説明したものかと思案しているうちに、アレクシアは察したらしい。
 寝ろ、とは言わずに、アレクシアは焚火に向き直る。目が覚めてしまった以上、また寝入る気にもならない。相棒が眠れずにいるなら尚更だ。
 アレクシアなりの気遣いを、レイモンドはありがたく受けておくことにした。自分の焚火の前に座り直し、小さくなった火に枝を焼べる。
 暫くは、薪の爆ぜる音だけが夜の森に小さく響いた。

「ねぇ」

 独り言のように、アレクシアは呟いた。返答がなくても構わない。言葉にすることでアレクシア自身も整理を付けたかったのかもしれない。

「あの夢。混ざるって、意味わかった。わかったけどさ、関係ないよ」

 うまく言えない。もどかしくて、アレクシアは髪の毛先を弄ぶ。伸びてからは、何とはなしに髪に触れることが多くなった。もちろん、アレクシアは無自覚だが。

「だって、夢でしょ。わたしたちが記憶を共有してるって、勘違いしてるだけかもしれない。毎日一緒にいたら、感覚だって似てくるだろうしさ」

 さらりと、すごいことを言った。レイモンドは目を見張ったが、アレクシアは気付いていない。

「前世とか、そういうんじゃなくて、ただ誰かが見せてるだけかもしれないじゃない? 今日のなんかは世界樹からのメッセージとかさ」

 仮にそうだとしたら、誰が何の為にそんなことをしているのかという話だ。
 世界樹があんなイメージを伝えてくる意味もわからない。意図があるなら尚更意味深長で始末が悪い。

「案外ロマンチストなんだな」

 聞いていたことも意外だったが、言われた事は心外で、アレクシアは顔を赤くして弾かれたようにレイモンドを見た。
 レイモンドは面白そうに目を細めてアレクシアを見たが、すぐに真顔に戻って踊る炎を見つめた。

「俺だって最初はそう思おうとしたさ」

 小さな呟きは、ぱちりと爆ぜた薪の音に掻き消されてしまう。
 両親を失った特異な境遇が不思議な夢を見せるのだと思った。サマンオサで経験した破壊が呼び水になって、あんな悪夢を見るのだと。
 気のせいだと片付けてしまうには、偶然ではない要素が多過ぎる。
 父の死や、仲間達の死の是非を問うても意味がないように、これも目を背けていてもなんの解決にもならないのだと次第に諦めの心境が強くなっている。
 といって、もう一つの人格を認めているわけではない。
 レイモンドはただレイモンドとして22年間生きて来たのだ。今更別の誰かになれはしないし、なる気もない。
 アレクシアの言うように何物かの作為が働いているのだか、前世だかなんだか知らないが、ぽっと出のよくわからない記憶となど馴れ合ってたまるものか。
 情報提供者、くらいの位置付けで頭の片隅にいることくらいなら許してもいいかと思う。
 黙ったままのレイモンドを不思議そうに伺い見るアレクシアを前触れなく振り返る。
 アレクシアの独白を聞いていて、意志がはっきりと固まったのはレイモンドの方だろう。焚火から目を上げたレイモンドの顔は、いつもの人を小ばかにしたような笑みを唇に浮かべていた。

「そういえばおまえ、ダーマには行くのか?」

 ニヒルな笑みを浮かべながらも、瞳には優しい気遣いの色が見える。
 アレクシアは「え?」と瞬きをして、それからややあって思い出したかのように声を飲んだ。

「忘れてたのかよ」
「や! だって」

 噴き出されても文句もつけられない。もごもごと口の中で言い訳らしきものを呟いていたアレクシアもつられたようにふっと力の抜けた表情を浮かべた。

「気にしてたんだな」
「そりゃあ、するでしょ」
「俺には気にするな≠ネんていったくせに」

 笑うレイモンドにアレクシアは言葉に詰まり、それとこれとは話が違くないかと眉間にしわを寄せたが、それがレイモンドなりの気遣いなのだということは理解できた。
 それから少し考えて、思い切りをつけたように話始める。

「実はムオルでさ…」

 自分が生まれるか生まれないかの頃、オルテガと名乗るアリアハン人の男が仲間と共にムオルで怪我の治療をしていたこと。そこに、ダーマで魔術師の修業を積んだルイーダという女が旅に加わったこと。その時のことを知る人物にルイーダと自分が似ていると言われたことなどを、アレクシアは語った。
 それでレイモンドは、ホビットに話を聞いたアレクシアがあれほど取り乱した事に合点がいった。
 なんでもない風を装ってはいるが、話しているうちにアレクシアの口元が震え、顔がこわばっていくのがわかる。
 無言で聞いていたレイモンドは腰を上げ、話し終えたアレクシアのほっぺたをむにっとつまんで引っ張った。

「ぃっ」
「はっ。よく伸びるな、お前の顔」
「あにふるんだ!」

 振り払おうとし上げた手は当たる寸前でかわされて、レイモンドは大げさに驚きながら大きく後ろに飛び退った。追いかけて行ってやり返す気にもならず、アレクシアは赤くなった頬をさすりながら「まったくもう」と下くちびるを突き出す。

「それこそ、どうでもいいんじゃないか?」
「は?」
「おまえはおまえだろ」
「でも母さんは!」
「おまえの素姓がどうであれ、納得して育てたはずだ。だれかに言われなければ、おまえは何の疑いも持たずに生きていたろ?」
「う・・・」

 言われてみれば、確かにそうだ。
 アレクシアはアリアハンの両親が実の両親だと疑ったことなどない。疑う必要もなかった。あの母親が、自分を子供として愛しいつくしみ育ててくれたことだけは疑いようがない。だからこそ、あの人の子供ではないかもしれないと知ったことがショックで申し訳なくてたまらないのだ。

「俺はさ」

 手頃な枝を拾いながら言うレイモンドの横顔はどこかすっきりしているように見える。

「運命なんてもんは糞喰らえって思うよ。意味なんて知らない。これまでだって俺は俺の意思で生きてきた。これからだってそうだ。あれこれ考えたって仕方無い。だろ?」

 全部受け止めるしかないではないか。起きてしまったことは訂正が利かない。なぜ? と問うても意味のないことだ。
 いつの時代のことかもわからない。現実にあった出来事なのかさえも。
 それでも伝承と、二人に共通する記憶は、それがただの夢ではないことを物語っている。その意味するところを、推測するのはたやすい。だからと言ってこれから起こるすべてのことを、今まで生きてきた人生のすべてを、「運命」の一言で片づけられるはずがない。片づけられてたまるものか。
 レイモンドは――おそらくアレクシアも、もう二度と神の存在を無条件に信じてありがたがることなんてできない。
 前世と解釈するしかないような記憶を持つからこそ、神に抗い生きることを選ぶ。
 だからこそ、「運命」なんて信じない。

 ふりかえり、にっ、と不敵に笑うレイモンドに、アレクシアもかすかに表情を緩めた。
 レイモンドの言う通り。
 生まれの真相を知ったところで、今のアレクシアが変わるわけではない。
 オルテガの息子アレクシスを名乗り国を出て、仲間を伴い旅をしてきたのはアレクシアの意志だ。状況がそうさせたと言い訳をすることもできる。けれど、アレクシアが嫌だと、女に戻って家に帰りたいと望めば、誰も反対はしなかっただろう。だれもアレクシアに男であり続けることを強いたことはない。
 セイも、ディクトールも、決して“オルテガの子”に着いて来たわけではないと主張するだろう。詫びの言葉は、逆に彼等を侮辱する言葉だ。

「――ああ。そうだな」

 母や祖父は、間違いなくアレクシアの家族だった。それで、それだけで十分だった。
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