ドラクエ3

□明けぬ空を背負って(本編3)
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 街中を歩いていると人々が声をかけてくる。彼らの表情は一様に明るく、中には英雄を見るような熱い羨望の眼差しを向けてくる者もいる。
 くすぐったさと、一抹の罪悪感を胸に、レイモンドは辛うじて人々に笑みを返していた。

「ち、ガラじゃねえ」

 たった今まで笑っていたくせに、前を向いた時には悪態を吐いている。この豹変ぶりを、隣のリリアはやたら真顔で観察している。

「そう? 合っていると思うけど」
「止してくれ」

 心底嫌だと眉をしかめるけれど、興奮した面持ちで手を振る子供には笑顔で手を振り返している。反射的な行動なのだろう。基本的に、レイモンドは女子供に優しい。但し表面上だが。
 条件反射で手を振るレイモンドに、リリアは堪えきれずに噴き出した。そんなリリアをレイモンドはじと目で睨んだけれど、口では何も言わずに彼女の歩調に合わせて歩み続けている。

 二人は今、地図を片手に街の中に設置された魔法陣の痕跡を辿っている。
 魔法関知・探索はレイモンドの得意とするところで、魔法陣の痕跡を辿るのはそう難しいことではない。
 本来、邪悪なるものを退けるために設置された魔法陣のどこかに綻びが生じているはずで、まずはそこを探す必要がある。それから、魔法陣の要所要所に施された魔除けの――十中八九、瘴気に穢れているであろう呪符を、浄化するのが二人の役目だ。
 浄化、となるとアレクシアかディクトールの方が向いているのだが、なんの作為かレイモンドの相棒はリリアになった。その辺りの事情は、本人に聞いてみるよりないだろう。

「なにか企んでるのか?」

 外回りの相棒は、アレクシアになる予定だったのだ。別に、アレクシアではなくなったことを残念に思っているわけではない。そう、自分自身に言い訳するように胸中に呟く。
 からかわれるのではないかと内心身構えていたレイモンドは、意外にも言葉に詰まった様子のリリアに軽く目を見張った。

「…なにが、あった?」

 何かがあったのは明白だと言わんばかりの反応に、そう疑問を口にしていた。リリアを頼む、と別れ際に肩を叩いた友の言葉が脳裏を掠める。
 リリアは、なにもないわよ、と強がりを言おうとして、あまりに真摯なレイモンドの視線にぶつかり唇をつぐんだ。
 この男にはすでに一度、泣き顔を見られている。今更泣き言や弱味のひとつくらい、見せたところで変わらないだろう。
 それとなく周りを伺う。街の外れまで来ていたのだろう。周囲に人の往来は無く、鬱蒼とした木立の中に、古びた魔法装置の残骸が、余程注意深く見なければわからない程度に大地に同化している。

「ああ、これだな」

 リリアから受け取った地図に印を書き入れる。これ迄書き込んだ印から類推し、次の目的地にアタリをつけて、レイモンドはレミラーマを唱えた。
 レミラーマの魔法では、何か、があることは解ってもそれがなにかまではわからない。結局のところ、歩いて現場を確認する他ないのだ。

「もう今日は終わりにするか」

 太陽の傾き加減からして、一日に廻れるのは多くて3ヶ所。これから冬にかけて、日照時間はますます少なくなるだろう。日が陰れば、途端に気温が下がる。そうすると霧が立ち込めて視界は悪くなるし、これからの時期は霜も下りる。
 それにしても急に日が影ったな、と空を見上げたレイモンドは、そこに低く灰色の雲が広がるのを見て眉をひそめた。雨が降るな、そう言おうとした矢先に、雨粒が頬に落ちる。

「寒くないか?」

 相手がアレクシアならば、レイモンドはこんなこと聞けない。相手がリリアだから、するすると気遣う台詞が出てくるのだ。素直じゃないと、リリアは苦笑した。否、ある意味わかりやすくて、大変素直だとも言える。

「大丈夫よ。寒くなったら隣の紳士に上着を借りるから」
「ああ、そう…」
「ねえ、レイ」

 ああ? と、レイモンドはおざなりに返事をした。

「あんた、ラーの鏡を見た?」

 何でもない風を装った声が上擦り震えている。これが先程の問いの答えだと、レイモンドは足を止めてリリアを見る。

「……いや」

 見る機会が単に無かった。だが、見ようと思えばいつでも見に行けたのだ。行けなかったのではなく、行かなかった。
 真実を写すと言う鏡に、己を写すのが恐ろしかったのだ。
 そこに写る自分が、20年間信じてきた、自分ではないような気がして。

「あたし、見たの」

 リリアの声が震えている。もともと白い膚が、白さを通り越して蝋細工のようだ。

「あれが、本当なら、あたし…」

 ひっ、と息を詰めたリリアの華奢な体がぐらりと揺れる。支えを求めて伸ばした手を、リリアは躊躇い引っ込めた。その手を半ば強引に掴み、引き寄せたのはレイモンドだ。
 まるで溺れたかのように、空気を求めてもがくリリアを胸に抱いて、吸っても吸っても肺に空気が入らないと喘ぐ背中を押してやる。

「気にしなくていい。お前はお前だ。俺達はよくわかってる」

 リリアがラーの鏡の中に、何を見たのかはわからない。聞き出そうとも思わない。自分やアレクシアだって、何が写るかわかったものではない。

「自分が何者であるかなんて、自分がわかっていればそれで十分だ…」

 言ったレイモンド自身が、自分の言葉に驚いた。驚いて、そして納得する。

(『今』の『自分』が何者なのか)

 それさえ己が識っているなら、それでいい。

 腕の中で、いつの間にかリリアは泣き始めており、彼女が泣き止むまで、レイモンドはじっと空を見上げていた。
 いつの間にか雨は、雪に変わりつつあった。
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