ドラクエ3

□明けぬ空を背負って(本編3)
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32−4

 セイの右腕が治るかもしれない。
 一縷の望みをかけて、アレクシアとレイモンドは世界樹を見上げている。
 死人すら生き返らせるという世界樹の葉なら、失われた体組織も再生できるかもしれない。
 一説に因ると、世界樹の樹液もまた万病に効く霊薬であるらしいのだが、世界にこれ一本しかない世界樹を傷付け樹液を採取することが憚られた。まして、アレクシアには――アレクシア自身のものではないとは言え――世界樹に対する並々ならぬ感情がある。幹を傷付け、万が一にも枯らせてしまうようなことがあってはならないと、アレクシア達は注意深く登れそうな場所を探した。
 大きな木になればなるほど、枝葉は高いところに付いているものだ。手の届く範囲に、手頃な枝葉は生えていなかった。といって、木登りをするのも安全な高さではない。取っ掛かりになるような突起もないわけではないが、楽な登攀にはならないだろう。何せ傷をつけないように、細心の注意を払わねばならない。幹に足場の楔を打つことなどとんでもない話だ。

「おまえにゃ無理だ」

 アレクシアが返事をするより早く、レイモンドが世界樹の幹に取り付いた。
 ダーマ神殿のつるりとした外壁に比べれば、こんなもの梯みたいなものだと、レイモンドは高を括っていた。しかし古くなった樹被はぼろぼろと簡単に剥がれてしまい、余程しっかり手足を食い込ませなければ体を保持していられない。
 更に厄介なのは、下から心配そうに見上げる奴の存在だ。何を心配しているのかは明らかで、樹被が剥がれ落ちるたびに「ああっ」と悲痛な声が上がる。

(ったく…。気が散るっつぅの!)

 内心で悪態を吐きつつ左手を伸ばす。

(!?)

 瘤を掴んだはずの指が何の抵抗もなく空を掴んだ。そのまま前飲めりに落ちる。
 前? そんなはずはない。腹には木の固い感触が…、そう思った瞬間、レイモンドは空中に投げ出されていた。否、浮遊している。暖かな湯の中に漂っている感覚に似ている。周囲には緑や黄色、柔らかな赤い光がぐるぐると舞っていた。

(何だ…?)

 遠くに、見たことのない風景。すぐ足元には大きな木。そしてその根本には一人の少女が佇んでいた。金色の髪をした、美しい少女だ。
 見取れていると、誰かに肩を押された。いつの間にか自分の立ち位置が変わっていて、岡の斜面の下から少女と大樹を見上げている。
 送り出されるように少女の前に進み出ると、少女はにこりと愛らしく笑った。釣られて、レイモンドも笑う。

「はじめまして」

 素直過ぎる挨拶がするりと出たことにも驚いたが、自分が発した声の甲高さにも驚いた。声変わりする前の少年の声。

「ぼくはロト。君は?」

 レイモンドが差し出した手を、少女は不思議そうに見詰める。助けを求めるように背後を振り返ると、重厚な衣装に身を包んだ背の高い男がさも楽しそうに肩を揺すった。

「父様っ」

 息子の非難に怯む事なく笑い続ける父親の代わりに、話し掛けてきたのは父の隣に立つ母親だった。

「エルシアはまだ体を得たばかり。握手がなにかわからないのですよ。ロト、色々と教えておあげなさい」

 はい、と元気に返事をすれば、わしわしと頭を撫でられる。口だけで抗議すると、別の笑い声が上がった。
 柔らかな、優しい母の声が好きだった。頭をすっぽり覆ってしまうほど大きな父の手に撫でてもらうのが好きだった。
 見上げた父親の顔がサイモンの顔と重なって、レイモンドは声をあげた。
 途端に、腹に固い木の感触が甦ってくる。

「っ!!」

 足を引っ掛けていた部分が砕けた。何かに捕まろうと無我夢中で腕をのばしたが、支えを失った体は重力に引かれるままに落ちて行く。

「レイ!!」

 アレクシアの悲鳴が聞こえた。打ち所が悪ければ死ぬな、妙に冷静にそんなことを思った。衝撃は、背中から来て、レイモンドの意識はそこで途切れる。



 髪を撫でる優しい手。いつの頃から、少年は母親よりもこの少女と居ることを選ぶようになり、少女の手を好むようになった。
 精霊として生を受け、少年の母ルビスが世界樹の実をもとに肉体を作り与えた乙女。
 他愛のない会話。とりとめなく笑いあう優しい時間。ただ一緒にいる。それだけで幸福だった。
 やがて少年は青年に、少女は娘になり、どちらからともなく求め愛し合うようになる。

「エル…」

 伸ばした手が頬に触れる。すべらかな肌が驚いたように震えた。逃げようとするのを捕まえる。髪の中に指をもぐらせ、軽く頭を引き寄せる。

「レ…っ」

 柔らかな唇の感触。
 唇が触れ合う瞬間、少女は戸惑いを口にした。
 直も逃げようとする少女を胸に抱き寄せて、地面に寝転んでいた己が体も片腕で支えて起き上がる。
 悪戯が過ぎただろうかと苦笑した時、ようやくレイモンドは目を開けた。視界に飛び込んで来たのは真っ赤な顔のアレクシア。
 瞬時に状況を理解して、目を見張るレイモンドに、アレクシアはばつがわるそうに目をそらす。レイモンドは思わずアレクシアを抱えた手を離しそうになったが、それだけは辛うじてこらえた。
 錆びた人形のようにぎこちなく上体を起こし、アレクシアを抱きしめていた手からソロソロと力を抜く。
 自力で立ち上がったアレクシアは、二歩離れたところで衣服に付いた枯れ葉を払う仕種をした。
 ばつがわるいとはまさにこの事だ。どんな顔でアレクシアを見ればいいのかわからない。謝るべきか。女なんか自分から好きになったことがないからわからない。胡座をかき、地面を見詰めるレイモンドの頭の中は極度の混乱状態にあった。

「…大丈夫そうだね」

 ややあってアレクシアがそう呟いた。安心半分、拗ねたような怒っているような口調で続ける。

「また混ざった?」
「あ? ああ…。すまん」
「多分わたしも、同じものを見てた」

 言った後で失言だと気付いたのだろう。えっ? と顔を上げたレイモンドに、なんでもないと赤い顔を激しく左右に振った。

「まあ、仕方ないよ」

 振った後で乱れた髪を押さえながらアレクシアは無理矢理な笑顔を作る。わすれよう、と笑顔が続けた。
 自分を納得させようとしているのだろう。その不自然な笑顔が、何故だか妙に腹立たしい。レイモンドはそう感じている自分に驚いた。それから、アレクシアの諦めたような笑みを悲しいとも。そう感じている自分を不思議に思い、胸に刺さった痛みには気付かない振りで蓋をした。

「世界樹の葉、取れなかったな」

 なんでもない風を装って、尻を叩きながら立ち上がる。するとアレクシアは、不思議そうな顔でレイモンドを見た。こちらもわけがわからず見返すと、見慣れない大きな葉を見せられる。

「それ…?」

 五枚の大きな緑の葉が、世界樹の葉だと気付いてレイモンドは目を見張る。

「おまえ! それ、どうやって」

 軽く混乱した。自分が登れなかった木に、アレクシアが登れたとは思えない。思いたくない。
 つい詰問口調になってしまうレイモンドに、アレクシアは怒るかと思われたが、

「やっぱり覚えてないか」

 と息を吐く。怪訝に眉を寄せたレイモンドにアレクシアはやれやれと肩を竦めて言った。

「落ちた時、手に握ってたよ。おまえが取って来たんだ」

 それからアレクシアは表情を和らげて、「ありがとう」と言った。

(うわ…っ)

 不意打ちだ。
 一瞬見取れた。本当に一瞬だけ。
 すぐに咳込む振りをして横を向いたから、アレクシアには気付かれていない。
 赤い顔を覆いながら、レイモンドは小さく「どういたしまして」と呟いた。
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