ドラクエ3
□明けぬ空を背負って(本編3)
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カーテン越しに差し込む光は、今がもう昼近いことを告げている。
庭のオレンジの木には、小鳥たちが遊びに来ているらしい。寝直すには少し騒がしすぎた。
こんなにたっぷり寝たのはいつぶりだろう。といって、すぐに這い出すには、柔らかな布団が心地よすぎて、なかなか起き上がる気になれない。
夢見心地のまま、寝心地のよすぎる羽毛布団にくるまり直した。真っ白な上質の木綿からは、洗濯したばかりのいい臭いがする。そうこうしているうちに、きっと母さんが呼びに来る。扉が開く音、近付いてくる足音、額にかかる髪の毛を優しくどける、白くて柔らかな手。
『もうお起きなさい。おねぼうさん』
(違う!)
レイモンドは甘い夢もろともに柔らかな羽毛をはね除けた。
驚いたのはリリアだ。起こそうと手を伸ばしたら、触れる前に相手が飛び起きたのだから。
「何してる」
「おこしにきてあげたのよ。なかなか起きてこないから、死んでるんじゃないかと思って」
「それはご親切にどうも」
これっぽっちも感謝などしていないだろう声と態度に、リリアはやれやれと肩をすくめた。
「アルはディと王様のところよ」
「聞いてねぇよ」
リリアが居るのもお構いなしに、レイモンドは着替えを始める。リリアの方でも気にしない。まだ温もりの残るベットに腰掛けて、着替えの様子をじっと観察する。
女に見られることには慣れているが、着替えをじぃっと見られるのには慣れていない。いつも女が寝ている間に部屋を出てくるからだ。それにリリアの視線は、動植物を観察する学者のそれで、居心地が悪い。
「………」
ばつの悪い思いをしながら手早く衣服を着替えるレイモンドに、頬杖をつきながらリリアは独り言のように呟いた。
「そういう格好をしていると、それらしく見えるもんね…」
「なにが」
白い絹のシャツもズボンも、きっちりと糊が利いている。リリアが感嘆するのも道理だ。髭を剃り、きちんと髪を整えたレイモンドは、どこからどう見ても貴族の子弟に見えた。
見えた、も何も、実際レイモンドは貴族の子弟なのだが。
「あたしも着替えたの」
ほら、と襟のリボンをつまんで見せる。
聞いてねぇよ、とレイモンドは白い目を向けた。しっしと猫の子でも追い出すかのように、手を振って退室を促す。小首を傾げるリリアに、レイモンドは呆れたように息を吐いた。
「呼びに来たんじゃなかったか?」
ボストロールとの一戦から一夜明けて、アレクシアたちはすぐさま街中で待機しているサーディらと連絡を取った。化け物が王に成りすましていることは、周知の事実であったし、戦闘中のボストロールの姿を見ていた女中もいたことから、アレクシアたちは罪に問われるどころか救国の英雄として祭り上げられることとなった。
ボストロール以外にも、人間の姿をして城に潜んでいた――もともと人間であったものが異形と化したのか、魔物が変化の杖の魔力で人間に変身していたのかはわからない――魔物も城の兵士の助力を得て掃討する事ができた。掃討戦と街中にいるレジスタンスとの連携をとるのに半日かかり、ようやく眠りについたのがボストロールとの戦闘があってから丸一日たってからのことだった。
「だからといって昼まで寝るか?」
起きて来たレイモンドに、簡易式の王冠を戴いたサーディが呆れた声をかける。
これには一瞥くれただけで、リリアを伴ってやってきたレイモンドは、誰の許可も得ずにアレクシアの向かい席に陣取った。
長テーブルの上座にサーディことサーラ・ディ・アドルフ・ホテ新王が座り、右に補佐たるベンが座る。盗賊ギルドの顔役であった彼は、表舞台に立つことになった自分を「柄じゃねぇ」と評したが、他に人材がないとなれば窮屈な宮廷服にも袖を通さざるを得なかった。
他にテーブルに着いているのは、レジスタントのリーダーゼケットと、大臣、街の有力者数名、新しく近衛騎士団長となった騎士。それからアレクシア達4人である。
「揃ったな」
顔触れを確認し、鷹揚にサーディが頷く。
「サマンオサの民を苦しめていた悪魔は、ここにいる皆のお陰で退けることができた。特に外国人でありながらアレクシア、リリア、ディクトールには世話になった。礼を言う」
軽く顎を引くように頭を下げてから、さて、とサーディは指を組み替えた。
「褒美は望むものを、と言いたいところだが、知っての通りの有り様だ。皆が納得のいくような形で酬いることは出来るだろうか?」
金はない。勇者を名乗るならば無辜の民を苦しめるような要求はするなよ。という事だろう。ベン辺りの入れ知恵だろうか。
アレクシアは小さく苦笑すると、
「褒美が欲しくてやったのではありませんが」
体ごとサーディに向き直った。
「陛下にふたつ、お願いがございます」
サマンオサの暫定首脳部の面々にさっと緊張が走る。サーディはちらりとベンが頷くのを確認してから、アレクシアに話の先を促した。
「わたしたちは魔王バラモス討伐の為に旅をしています。その目的の為に、『変化の杖』をお譲り頂きたいのです」
国宝である。いくら世界を救うためだといっても、おいそれと是が返って来るわけがない。大臣や有力者達、比較的年齢の高いもの達は渋い顔をした。しかし
「いいんじゃないか」
「は?」
あまりにあっけらかんとした返答に、アレクシアの方が驚いた。
「今、なんと?」
「だからさ、いいんじゃないかって。あんなものがあったから、今回のような事件が起きたわけだし。厄の種にならぬように代々の王が保管してきたのが逆に仇となったわけだ」
「殿下!」
ガタリと半分腰を浮かしたベンにひらひらと手を振って、サーディはなおも気楽な口調で続けた。
「新生サマンオサは魔王バラモス討伐に助成したということにもなる。それに、勇者アレクシアに託すのだ。悪事に使われることもあるまい」
な? と方目をつむるサーディに、アレクシアは一瞬グリンランドの老人を思い浮かべた。自身で楽しむ為に使うらしいから、まぁ問題ないだろう。
「そこはお約束します」
一同に向けて頷くアレクシアに、ベンも渋々もとの姿勢に戻った。
「それで、二つ目の願いとは?」
これまでレイモンドは、サーディとアレクシアのやり取りを黙ってみていた。アレクシアが交渉に窮するようならば助け船をださねばと思っていたが、どうやらそれも必要ないらしい。はったりのつき方も、堂々としたものだ。
「はい」
変化の杖さえ手に入ればあとは用などないはずだが、こいつは何を望むのだろう。
そう思ってみていると、不意にアレクシアがレイモンドの方を見た。
「?」
「陛下」
じっとレイモンドを見詰めていたアレクシアが、再びサーディに向き直る。さっきよりももっと畏まった口調で。
「サマンオサが英雄サイモン殿と、一門の名誉、回復していただきとうございます」
「なっ」
驚いたのはレイモンドだ。
そんなとうの昔に失くしたものに、未練なんてありはしない。いい迷惑だとテーブルを叩こうとしたレイモンドを、アレクシアの真っ直ぐな瞳が貫いた。
「ついてはサイモン殿、奥方、縁者の埋葬をする許可も頂きたい」
あ、と言葉に詰まる。
牢獄に送られたサイモンが持つガイアの剣を手に入れるのに、葬儀の名目程うってつけなものもない。それに、どこに葬られたともしれない母や、トロルに殺された祖父も、代々の墓に入れてやるのがせめてもの孝行というものだろう。
内心でアレクシアに頭を下げて、レイモンドは居住まいを正した。
「コリドラス家の財産は、バラモス討伐に必要がない限り、正式にホテ王家に移譲する。といっても形式だけのものだが。俺は反逆者の汚名さえ晴らせればそれでいい」
「土地家屋も?」
「ああ。戻るつもりもないからな」
これにはサーディとベンが残念そうな顔をした。復興していくサマンオサに、英雄サイモンの息子の名は必要だと考えていたからだ。
「バラモスを倒した後も?」
「どうかな」
自然と、アレクシアとレイモンドの目があった。
バラモスを倒したら、この旅が終わったら、そんなことはまだ考えられない。けれどその時、隣に居るのは…
「倒せると決まった話でもないし」
「レイモンド!」
滅多な事を口にするなと、ディクトールが鋭く制した。肩をすくめるレイモンドに、その場を取り繕うようにサーディが口を開いた。
「アレクシア。そなたの願いは、ホテ王家の名誉にかけて聞き届けよう」
「ありがとうございます」
「しかしだ」
に、と笑うサーディに、アレクシアたち四人が僅かに身構える。
「このまま国宝を持ってさようならはないだろう? なんといっても人手が足らん。衣食住は保障するから、しばらく手伝ってくれ。せめて魔方陣やラーの鏡の解析だけでも!」
賢者に稀代の魔法使いまでいるのだから、それくらいいいじゃないかと詰め寄られ、四人は渋々サマンオサに滞在することになった。
その間にアレクシアは、停留している船の保護を依頼し、マルロイとの合流を果たす。いきなり軍に囲まれたマルロイは、生きた心地がしなかったとこぼした。