ドラクエ3

□明けぬ空を背負って(本編3)
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38-7

 二階の廊下の窓から屋根に上がり、城の中心まで屋根伝いに進む。二日前に正面切って潜入した時にはあれほど邪魔をしにきた衛兵の姿がどこにもない。

「罠だろうな」

 屋根から王の寝室に繋がる廊下へ音もなく降り立つ。レイモンドに言われるまでもないと、三人は三様の表情で頷いた。

「楽でいいじゃないか」

 扉の前でどうする? とこちらを伺うレイモンドに、アレクシアは目だけで開けろと合図した。アレクシアの後ろで、緊張した面持ちのリリアがごくりと唾を飲む。
 寝室前にわんさと衛兵が待ち構えているかと警戒していたが、開いた扉の中は全くの無人。控えの間のこの奥に、大きな気配がひとつだけ感じられる。
 ドアノブに手をかけたレイモンドは、罠も鍵もかかっていないのを確認すると仲間たちを振り返った。

「いいか」
「どうぞ」
「もちろん」

 最後にアレクシアが、見つめていたラーの鏡から顔をあげて頷く。

「勝つぞ」

 三人は一瞬驚いて、それからすぐに勝ち気に笑った。

「当たり前だ」

 姫を先導する騎士のように、レイモンドが恭しく道を開く。
 王の寝室に一歩足を踏み入れた瞬間、地下で感じたのと同じ重たい空気が体を包み込んだ。ねっとりとした不可視のそれらを撥ね付け、アレクシアは真っ直ぐに部屋の中央に置かれた寝台へ向かう。中央に近付くにつれて、空気の抵抗は重たくなったが耐えられない程ではない。
 寝台に取り付く。眠っているからなのか、二日前程の恐怖が偽の王からは感じられない。

(いや、違うな)

 振り返らなくてもわかる。

(あの時は、一人だった)

 仲間たちが、アレクシアの背中を支えてくれる。
 アレクシアは一歩を詰めて、ラーの鏡を眠る王に向けた。

「ニヒル・ソブ・ソーレ・ケラレ」

 なにものも、天空の王、太陽の元に隠れることは許されない。無慈悲に容赦なく照り付ける熱線は、弱き者を焼き付くす。
 アレクシアの手の中で、灰色の鏡面がカッと光を放った。熱く燃える鏡を持っていることが出来ず思わず取り落とす。それでも鏡は光を失わず、寝台の中でのたうつ肉を焼き続けた。

「ああああああ!! ぐぬぅぅぅ…! おのれぇええっ」

 みしり、と寝台が悲鳴を上げた。白い煙を上げながら、焼けた肉の欠片をまとわりつかせた緑色の野太い腕が煙からにゅうっと姿を現す。
 指の一本がリリアの胴体ほどの太さがある。あの鋭い爪に引っ掛けられたら、人間などあっさり引き千切られてしまうだろう。
 緑色の膚を被う剛毛。大木のような脚。出鱈目に生えた岩のような歯。今まで見てきたトロルと大筋では変わらない。違うのは一回り大きな体躯と、知性をうかがわせる両の眼だ。

「贄が、生意気な真似を!」

 ボストロールの爪がつむじを巻いて、アレクシアが立っていた場所を薙いだ。
 アレクシアは大きく後ろに跳んで拳を避けた。避け様剣を抜いて、アレクシアはトロルの爪を一枚剥いでやる。

「よく言う。待ってたんじゃないのか?」

 青い体液を流す指を押さえて、怒りの叫びを上げていたトロルは、それを聞いて嬉しそうに顔を歪めた。

「ふん。そうバカではなさそうだ」
「お褒めにあずかりどうも!」

 語尾が消える前に、アレクシアは床を蹴った。
 話している間に反対側に回り込んでいたレイモンドも、タイミングを合わせて斬りかかる。
 戦士たちには同時に魔法の援護が掛かった。霞む早さで放たれた剣劇を、しかしトロルは手で受けた。刃先は皮膚にめり込んだが、それだけだ。先程アレクシアが切り剥がした爪も綺麗に再生している。

「ちっ!」

 逆に剣を掴まれ大きく振られた。壁に叩きつけられる前に柄から手を離して床を転がる。足元のレイモンドを、トロルは踏みつけようと足を持ち上げた。させまいと二撃目を振るうアレクシアには蝿を追うように腕を大きく振るう。駄々をこねる子供のようだが、出鱈目に振り回される丸太のような四肢に、逆に手出しが出来ない。

「くそっ」

 レイモンドは素手での防戦に追い込まれた。魔法で応戦しようにも、詠唱の隙がない。
 レイモンドが防戦に追い込まれ手いる間、リリアたちはただ黙って見ていたわけではない。生半可な攻撃が通用しないなら、大技を使うまでだ。

「我は命ず、世界の理を超えし理よ。地を支える汝が怒り」

 隣でリリアが唱え始めた呪文を聞いて、ディクトールはぎょっとした。こんな室内で使う魔法じゃない。とはいえ、トロルの再生能力を上回る破壊力を持つ魔法と言えば限られてくるのもまた仕方のない事実だ。
 ディクトールは唱えようとしていた呪文を切り替えて、口早に詠唱を開始した。

「強き意志、石の如き肌を授けよ! 天の加護、光の障壁。悪しき炎を退ける衣となりて!」
「今我が名と我が犠牲のもとに南の天門より来たれ。煉獄の焔よ! メラゾーマ!」

 ディクトールがスクルトとフバーハを立て続けに完成させたのと、リリアがメラゾーマを放ったのが殆ど同時だった。
 鉄をも溶かす煉獄の焔は、ボストロールの背中に命中し、流石の化物もこれには堪らず悲鳴を上げた。悲鳴を上げたために焼けた空気も吸い込むことになったのだろう。気道を焼かれてのたうち回る。
 直撃を免れたとしても、ディクトールのフバーハが守ってくれなければ、アレクシアたちもボストロールと同様に体の中を焼かれていた。

「無茶しやがる」

 危うく焔に巻き込まれかけたレイモンドが火傷にホイミを唱えて悪態をついたが、リリアは悪びれる風もない。防御魔法が掛かっているならばちょうどいいと、リリアは次のメラゾーマの詠唱に入った。

「ったく…」

 リリアの無茶は今に始まった事ではないので、レイモンドも真剣に責めるつもりはない。リリアの判断事態はレイモンドも間違っていないと思う。畳み掛けるなら今だろう。
 メラゾーマを受けた拍子にボストロールが放り投げたレイモンドの剣は、うまい具合に天井に突き刺さってしまい、取れそうにない。それに接近しても後ろから仲間の攻撃魔法が飛んでくるのだから、危なくて仕方ない。レイモンドはアレクシアと目配せして、ボストロールから距離をとった。

「我は命ず、世界の理を超えし理よ。地を支える汝が怒り。今我が名と我が犠牲のもとに南の天門より来たれ。煉獄の焔よ!」

 リリアが放った二発目のメラゾーマが口火を切った。続いてディクトールとレイモンドがメラミを、アレクシアがライデインを放つ。
 室内は肉を焼く嫌な臭いが充満している。フバーハで守られていても尚、余熱が剥き出しの肌をちりちりと焼いた。息をするのも辛い状態で、アレクシア達が踵を退げた程だ。
 空気さえ赤く染まる熱気の中で、ボストロールの体が燻り燃えている。ぴくりとも動かない。

「やった…?」

 訝しむアレクシアの独白に、応える者はいない。

「呆気なさすぎないか?」

 アレクシアは二回、レイモンドは三回、これまでトロルと戦っている。手心を加えたり、手傷を負った状態であったり、何よりディクトールとリリアがいなかった。にしても、これよりは手応えがあったのは確かだ。

「ヒャダルコ」

 ディクトールが唱えたのは、攻撃というよりは消火の為のヒャダルコだ。その証拠に、あたりの熱を奪ってボストロールに燻っていた火を消すと、ヒャダルコの氷は消えてしまった。
 四人は互いに顔を見合わす。こんなとき、以前ならばセイが危険を買って出た。お気楽を装い、体を張って、魔物の息を確かめただろう。それは体も大きく、装備も重厚なセイがやるべき役割だったかもしれない。だが、何より、彼が進んで危険な任務を引き受けたのは、何かあった時必ず仲間が助けてくれるという信頼があったからだ。
 ひとつ息を吐き出して、アレクシアは前に出ようとした。セイと一緒に前衛を務めていたのはアレクシアだ。だからセイのやっていたことをアレクシアが引き継ぐのは自然な流れだろうと判断して。
 アレクシアの動きを察して、レイモンドがさり気無くフォローしやすい位置に動く。が、

「駄目だよ!」
「!?」

 アレクシアの腕を引き、鋭く制したのはディクトールだった。

「ディ…」

 困惑して腕を放せと促すアレクシアに、ディクトールは頑なに首を振った。

「アルは女の子じゃないか。君はそんなことしちゃいけない」

 ち、
 レイモンドは舌打ちした。女だとか男だとか、言っている場合ではない。そんなにそのお姫様が大事なら、そもそも旅になんか出さなければ良かったのだ。戦わせるのはわかっていた。危険な目に遇うのも解りきっている。それが嫌ならアリアハンを出てすぐに無理矢理にでも勇者ごっこをやめさせるべきだった。

(押し倒してヤっちまえば、てめえが女だって、直ぐに正気に戻っただろうによ)

 胃がぎすぎすと痛む。口の中に苦いものが上がってきて、レイモンドは床に唾を吐いた。
 視線を感じて振り返るでもなくそちらを見ると、もの言いたげなアレクシアとディクトールに視線がぶつかった。

「ちっ」

 もう一度舌打ち。

(俺がやりゃあいいんだろ)

 何故こんなにも苛立つのだろう。レイモンドは自分が苛立っていることにすら気付いていない。
 ぞんざいな所作でボストロールに近付き、全く注意を払わずに肉塊を足蹴にした。
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